第14話 トスカニーニ

文字数 4,560文字

トスカニーニは、ドイツのフルトヴェングラーと並ぶ20世紀最大の指揮者です。

ワルターを加え、19世紀生まれの「3大指揮者」と呼ばれています。

フルトヴェングラーの芸風とは常に比較されていますが、音の背後にあるドラマなどを重んじたフルトヴェングラーとは正反対の芸風で、スコア(楽譜)こそがすべてでした。

トスカニーニは「音」にすべてを託します。よって演奏中、パッションは炎のように燃え立ち、リズムは地の底にまで突き刺さります。楽員一人たりとも気を抜くことは許されず、全身全霊を込めた音楽を創造していくスタイルです。この、音のダイナミズムこそがトスカニーニの芸風でした。よって、テンポは速めで、楽譜のffなどの記号も殊更強調されます。ただ楽譜どおりに演奏するスタイルと一線を画しているのは、音楽に対する熱意、芸術家としての格の違いでしょう。スコアには忠実ながらも、最高のエネルギーに満ちた「音」を聴かせてくれるのがトスカニーニです。その点こそがトスカニーニイズムです。

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若い時にローンで買ったクラシックのレコード名曲集の指揮者はブルーノ・ワルターとジョージセル、バーンスタイン。


ブルーノ・ワルターは、トスカニーニ、フルトヴェングラーと同じ19世紀生まれの指揮者で、この3人は19世紀生まれの3大指揮者と言われています。しかし、ワルターが2人と決定的に違い、我々にとって身近な存在である点は、1960年代まで長生きしたために、コロンビア交響楽団(世紀の大指揮者、ワルターの録音のためだけに結成されました)との一連の名演を、ステレオ録音で存分に鑑賞できるという点です。トスカニーニにはわずかにステレオ録音が残っていますが、フルトヴェングラーにはありません。ワルターの演奏は、1930年前後のウィーン・フィルとの一部の古い録音を除き、ステレオ録音で聴くことができるのです。

何という幸せでしょう。しかも、現在では、そのほとんどが高音質化されています。神とワルターに感謝する他ありません。

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アルトゥーロ・トスカニーニ1867年3月25日 - 1957年1月16日)は、イタリア出身の指揮者
トスカニーニは反ファシズムの象徴でもあり、アドルフ・ヒトラーやベニート・ムッソリーニと関わることを断固拒否し続けた。1930年と1931年にはバイロイト音楽祭に非ドイツ系指揮者として初めて出演、大成功を収めたことは今や伝説的な出来事になっているが、ナチスが政権をとった1933年からは出演していない。

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Wagner: Lohengrin, Act III: Prelude, Toscanini & NBCso (1951) ワーグナー ローエングリン第3幕への前奏曲 
リハーサルが過酷なことでも有名だった。トスカニーニは妥協の二文字を知らない。そのため現場はしばしば修羅場と化した。怒鳴り散らすだけでなく、物を投げたり、譜面台を壊したり、指揮棒を折ったりすることもあった。すぐれた芸術は唯一の絶対的指導者によって創造されるものであり、民主的で和気藹々とした雰囲気からは何も生まれない。いくつかあるトスカニーニのリハーサル音源を聴いていると、地獄絵図を延々見せられているような気分になり、胸が苦しくなる。それでもオーケストラはトスカニーニに従い、彼に指揮されることを望んだ。

なお、義理の息子であるウラディミール・ホロヴィッツがトスカニーニと初協演する際、ヴァイオリニストのアドルフ・ブッシュから与えられた忠告は、絶対に遅刻しないこと、怒鳴り声が響いても驚かないこと、反論しないこと、の3つだったという。

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チャイコフスキーピアノ協奏曲第1番 ホロヴィッツ(1941)
ホロヴィッツはトスカニーニの義理の息子!
Respighi: Pines of Rome, Toscanini & NBCso (1953) レスピーギ ローマの松 
ローマの松』は、イタリアの作曲家オットリーノ・レスピーギによって1924年12月に完成された交響詩。この前後に作曲した『ローマの噴水』(1916年)『ローマの祭り』(1928年)と共に「ローマ三部作」と呼ばれる。
検索していると、晩年のローマ三部作は素晴らしいと……
指揮者としてのトスカニーニがどれほど素晴らしいか、遺された音源のみを頼りに語ることは容易ではない。今日、トスカニーニの録音に接した人々が抱く最初の印象は、おそらく硬直した音が痛快なテンポで威勢よく鳴っている、というものだろう。トスカニーニを嫌っていたサー・トーマス・ビーチャムは、お得意の辛辣な調子で「美化された楽隊長」と揶揄したが、別に嫌っていなくても、そういうイメージを抱く人はいるはずだ。サウンドの輝かしさ、美しさ、明晰さが、貧弱な音質のせいで、ほとんど剥落しているのである。
 同じように古い音源でヴィルヘルム・フルトヴェングラーの指揮に接した人が、悪条件の音質までも含むその怒濤の演奏世界にのみこまれていくのとは異なり、トスカニーニの指揮は聴き手を酩酊させるよりも覚醒させる。作品の明確な表現や造形感といったものに対し、意識的になるよう促す。だからよけい音質がハンデに思える。しかし、トスカニーニの音源にどんな瑕があるにせよ、そこから圧倒的な統制力や解釈の妙味やこぼれ出る歌心を感じ取ることが全く出来ないとしたら、それは聴き手の理解不足によるものである。

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       …………?
Dvořák: Symphony No. 9, Toscanini & NBCso (1953) ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」
交響曲第9番 ホ短調 作品95新世界より』は、アントニン・ドヴォルザーク1893年に作曲した、4つの楽章からなる最後の交響曲である。

親しみやすさにあふれるこの作品は、旋律が歌に編曲されたり、BGMとしてよく用いられたりと、クラシック音楽有数の人気曲となっている。オーケストラの演奏会で最も頻繁に演奏されるレパートリーの一つでもあり、日本においてはベートーヴェン交響曲第5番『運命』シューベルト交響曲第7(8)番『未完成』と並んで「3大交響曲」と呼ばれることもある。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/交響曲第9番_(ドヴォルザーク)


トスカニーニの『新世界』は土の匂いがしないそうだ。鋼鉄!

嫌いな人は嫌いだろうな……と。私にはわかりませんが。

非常に短気であり、オーケストラのリハーサルの際には怒鳴り声を発することは頻繁にあった。戦前に出演したバイロイト音楽祭では、オーケストラが一音出すたびに「ノー、ノー!」と怒鳴るので「トスカノーノ」というあだ名を付けられていた。トスカニーニの癇癪も計算の内で、弛緩した雰囲気に喝を入れるのが目的であった。オーケストラが指示通りに演奏すると怒ることはなく、リハーサルは極めて短時間で終わった。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/アルトゥーロ・トスカニーニ

Mozart: Symphony No. 41 (Jupiter), Toscanini & NBCso (1945-46) モーツァルト 交響曲第41番「ジュピター」
交響曲第41番 ハ長調 K. 551 は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲した最後の交響曲である。

モーツァルトを崇敬していたリヒャルト・シュトラウスは、1878年1月26日ルートヴィヒ・トゥイレに宛てた手紙においてジュピター交響曲を「私が聴いた音楽の中で最も偉大なものである。終曲のフーガを聞いたとき、私は天国にいるかの思いがした」と称賛している。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/交響曲第41番_(モーツァルト)

リハーサル中に激怒すると、指揮棒を折る、スコアを破く、インク瓶や懐中時計を地面に投げつける、譜面台を壊したりするということもよくあり、コンサートマスターの指を指揮棒で刺してしまい、裁判沙汰になったこともあった。しかし一通り暴れ終わった後は平然とした顔で「それではリハーサルを始めましょう」と何喰わぬ顔でリハーサルを始めた。また、いかにもイタリア人らしく激しく怒っても翌日には忘れてしまい、まったく後に引くということがなかった。翌日も怒りが残るジョージ・セルとは対極をなし、常日頃からオーケストラの団員との会話を図るなどして人間関係の維持には心を砕いたので憎まれるようなことはなかったという。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/アルトゥーロ・トスカニーニ

Mendelssohn Symphony No.4 "Italy" - Toscanini (1954)

何も言う必要はない不滅の名盤。これがあの悲劇的な引退の数ヶ月前の演奏とは、とても信じられない。

メンデルスゾーンの十字型指揮がトスカニーニに受け継がれ、ヴァーグナーの流動的指揮がフルトヴェングラーに受け継がれた、と考えるならば、トスカニーニのメンデルスゾーンが名演なのも理解できるか。

http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn4.htm


大変な好色家で、共演者の歌手との浮名を流すこともしばしばであった。また、トスカニーニが怒り狂った時にそれをなだめるため、若い女性があてがわれていた。それについて妻は常に悩んでいたという。しかし家族愛は強く家族の人数分のハートを彫刻した腕輪をはめていたり、孫のソニア(娘ワンダと娘婿ホロヴィッツとの間の娘)を溺愛し、臨終の際、ソニアが見舞いに来たときトスカニーニは、「おお、ソニア、ソニア。来てくれたのか。おじいちゃん、もうすぐ死ぬからな」と言ったという。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/アルトゥーロ・トスカニーニ

トスカニーニは極度の近視であり、譜面台に置いた楽譜が見えなかったため本番もリハーサルも暗譜で指揮するのが常であった。暗譜能力は驚異的であり、合奏曲約250曲の全パート、オペラ約100曲の譜面と歌詞、更に多くの小品を完璧に覚えていたという。
しかし、1954年4月4日の演奏会での記憶障害により指揮を一時止めてしまった。 そしてこの演奏会の直後にトスカニーニの引退が発表された。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/アルトゥーロ・トスカニーニ

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