第34話 Queen

文字数 8,609文字

クイーン(英語: Queen)は、イギリス・ロンドン出身のロックバンド。1970年代前半のハードロック・ブーム中にデビューし、その後も時代によってスタイルを変化させ世界中で1億7000万枚〜2億枚の音楽作品を売り上げたとされる。ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」にて第3位。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」にて第52位。2001年には、マイケル・ジャクソン、エアロスミスらと共にロックの殿堂入りを果たしている。

メンバー ブライアン・メイ、フレディ・マーキュリー、ジョン・ディーコン、ロジャー・テイラー

活動期間

1971年 -

1991年にボーカルのフレディ・マーキュリーが死去したものの、現在も活動は断続的に続いている。2021年現在、ギターのブライアン・メイとドラマーのロジャー・テイラーの2人は、ボーカルにアダム・ランバートを迎えて「クイーン+アダム・ランバート」名義で活動している。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%B3_(%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89)

初期のクイーンは、母国イギリスとアメリカ市場での成功を収めるために努力していた。しかし、日本ではクイーンが来日する前に注目が集まり、それは今日まで続く深い絆の始まりとなった。

1974年の時点で、日本では音楽誌『ミュージック・ライフ』にバンドの写真やアルバムのレビューが掲載されていた。自分達の音楽性とステージ・ショーに日本のリスナーが魅了されていることを知ったクイーンは、1975年4月に8日間にわたる日本ツアーの実施を決定。日本での最初のコンサートは、世界的に有名な日本武道館であった。ロジャー・テイラーはこう語る。

「空港に着いてみると、想像していたのとは違う規模で、何千人もの人々が私たちを歓迎してくれていた。普段は受けないような光景でしたね」

当時、ロックグループのバンドは主に男性客に支持されていたが、『ミュージック・ライフ』がクイーンの写真を載せたことで、女性ファンとの新しい世界が開け、日本では男性のファンも女性のファンもともに獲得できた。

この最初の出会いが、クイーンと日本の深い絆の始まりとなり、それぞれがお互いに良い印象を残すことになった。1976年に発売されたオリジナル・アルバム『A Day At The Races』に収録された「Teo Torriatte(手をとりあって)」は、サビが日本語で歌われた曲で、ブライアン・メイが日本のファンへの感謝として作曲したものだ。

クイーンは1985年まで定期的に日本公演を行っていたが、バンドは常に独自のアプローチを行っていたという。

初期の頃は日本全国の都市をまわっていて、北海道の札幌に行ったり、仙台にも行っていたりした。そこまで日本全国をまわる海外のバンドは少なかったので、(日本のファンは)とても心を打たれた。日本には海外から多くバンドがやって来るが、東京と大阪にだけ行って、東京以外の都市の文化を見る機会はほとんどない。しかしクイーンは初期の頃、それも初日から日本を知ろうとした。東京や大阪以外の都市の人々も、海外のバンドを見る機会はほとんどなかったが、クイーンは多くの都市を回ることで、日本での人気がさらに高まった。

https://www.udiscovermusic.jp/news/queen-japan-part-1-greatest-series?amp=1

クイーンの初期のアルバム5枚はよく聴いていた。『ボヘミアン・ラプソディ』よりも気に入っていたのがこの曲。こんな歌詞だとも知らず……

You suck my blood like a leech ヒルみたいに俺の血を吸って

You break the law and you breach 契約も法も破る最低野郎

Screw my brain till it hurts 限界まで俺の脳を締め上げる

You've taken all my money - and you want more 俺の金を全部巻き上げても、まだ足りないか

Misguided old mule  見当違いのクソ野郎

with your pigheaded rules ガッチガチの石頭

With your narrow-minded cronies who are fools いつも馬鹿の一軍が集まったような

Of the first division 取り巻き連中に囲まれてる

Death on two legs 足のついた悪魔

You're tearing me apart 俺はお前に引き裂かれた

Death on two legs 足がついてる悪魔

You never had a heart of your own 人間の心なんか持った事ないんだろ

Kill joy, bad guy 興ざめな、クソ野郎

Big talking, small fly 大きいのは話だけの、ちっぽけなコバエだな

You're just an old barrow boy お前は手押し車がお似合いの商人

Have you found a new toy to replace me? 俺の代わりになる新しいオモチャは見つかった?

Can you face me? 俺に合わせる顔もないだろうけど

But now you can kiss my ass goodbye ケツにキスくらいは許してやる、じゃあな

Feel good, are you satisfied? いい気分か?満足してるのか?

Do you feel like suicide? (I think you should) 自殺する気分にはなった?(ならないはずないよな)

Is your conscience all right? 良心はちゃんとあるのか?

Does it plague you at night? 意外すぎるけど夜は悩んだりしてる?

Do you feel good? (Feel good) 気分はいいか?


Talk like a big business tycoon ビジネス界の大物気取りで話すけど

But you're just a hot-air balloon ただのぷかぷか浮かぶ気球

So no one gives you a damn 誰もお前を気にしちゃいないって事

You’re just an overgrown schoolboy 中身はただのスクールボーイだな

Let me tan your hide 一発殴らせろよ

A dog with disease お前は病気の犬

You’re the king of the sleaze 下品さの王様

Put your money where your mouth is Mr. Know All 言葉より行動で示してみろよ、Mr. 物知りさん

Was the fin on your back part of the deal? (Shark) その背中のヒレは契約の一部だったっけ?(サメって事だよ)

Death on two legs 足のついた悪魔

You're tearing me apart お前が俺を引き裂いた

Death on two legs 足のついた悪魔

You never had a heart (You never did) 人間らしい心なんて

Of your own (Right from the start) 持った事ない(最初から)

Insane, should be put inside イかれてるお前にはブタ箱がお似合い

You're a sewer rat decaying in a cesspool of pride プライドの汚水だめで腐るドブネズミめ

Should be made unemployed お前なんかクビにされて

Then make yourself null and void 自分は無価値だって思い知れば良い

Make me feel good (I feel good) そうしたら俺の気分が晴れる

 

クイーンがまだあまり売れてなかった頃、メンバーには週給20ポンドしか与えない一方、自分はロールスロイスを乗り回していたという当時のマネージャーへの恨みつらみを書き連ねた曲です。

フレディもこの曲に関して「自分たちが作った中で一番悪意のこもった歌」と言っていました。

https://ameblo.jp/whatenglishmakes/entry-12464772183.html

「デス・オン・トゥー・レッグス」(英語: Death on Two Legs (Dedicated to...))は、イギリスのロックバンド、クイーンの楽曲。作詞作曲はフレディ・マーキュリー。1975年に発売された4作目のオリジナル・アルバム『オペラ座の夜』にオープニング・トラックとして収録された。

タイトルの「Death on Two Legs」は、「二本足で立つ死神(=生きている死神)」という意で、歌詞はクイーンの最初期のマネージャーでトライデント・スタジオのオーナーであったノーマン・シェフィールドに向けたものとされている。クイーンは、1974年11月に発売されたアルバム『シアー・ハート・アタック』でヒットしたものの、ヒット前と変動のない給与面において不満を持ち、当時のマネジメント会社と対立。その結果として書かれたのが本作である。しかしながらシェフィールド側から法的措置をほのめかされたことにより、メンバーは曲の内容について明言することはなかった。歌詞やタイトルにおいて、直接的に名前は登場していないものの、シェフィールドは歌詞の対象が自身であり、名誉を棄損したものとし、バンド及びレコード会社を提訴したが、後に示談が成立している。2013年、シェフィールドは回顧録を出版。タイトルは『Life on Two Legs』だった。

後にフレディは、「自分が書いた中で最も悪意に満ちた曲で、他のメンバーも歌詞にショックを受けていた。」と語っている。1976年の来日時のインタビューにおいても、フレディはこの曲を「少々不道徳な歌」と語っている。

「デス・オン・トゥー・レッグス」は、A Day At The Races Tourからセットリストに追加され、1977年6月6日のアールズ・コートでの演奏は映像が撮影されたのをはじめ、1977年後半から1981年にかけてメドレーに入っていたが、1981年9月からのグラットンズ・フォー・パニッシュメントと題されたツアーからは演奏されなくなった。また、ライブ音源が収録されているのは、正式リリースでは『ライヴ・キラーズ』のみである。

『ライヴ・キラーズ』バージョンでは、イントロの前のフレディによるMCに3回のピー音が入っている。この部分は「“This is about a dirty nasty man, we call him motherf--ker. Do you know what motherf--ker means? I’m sure you have a word for it. We call him… We also call him Death on Two Legs!”」と発言したものが消されたものとされている。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B0%E3%82%B9

菊池 亮太(1989年11月20日 - )は、日本のピアニスト、キーボーディスト、作曲家、編曲家、YouTuber。日本大学芸術学部音楽学科卒業。同大学大学院修了

第5回ブルクハルト国際音楽コンクール ピアノ部門 3位(1位該当者なし)

2008年アジア国際音楽コンクール ピアノ大学生部門 5位

第12回「万里の長城杯」国際音楽コンクール 2位 

など数々のコンクールで入賞経験を持つ。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E6%B1%A0%E4%BA%AE%E5%A4%AA

「キラー・クイーン」は、イギリスのロックバンド、クイーンが1974年に発表した楽曲。アルバム『シアー・ハート・アタック』からの第1弾シングルで、「フリック・オブ・ザ・リスト」との両A面シングルとして発売された。後にイギリスのチャートで2位と初のスマッシュヒットを記録したほか、アメリカのチャートで12位にランクインし、アメリカで初めてヒットしたシングルともなった。作詞作曲はフレディ・マーキュリー。

それは2組のスーパー・スターによる一世一代のコラボレーションだった。クイーンとデヴィッド・ボウイのシングル「Under Pressure」は1981年11月21日、全英チャートの首位へ瞬く間に駆け上った。

この曲はバンドお気に入りのスイス、モントルーにあるレコーディング・スタジオ、マウンテン・スタジオでの2組の出会いから生まれた。当時、同スタジオの近隣に自宅を構えていたデヴィッド・ボウイがある夜にレコーディング中のクイーンを訪ねたのだ。「Under Pressure」はベーシストのジョン・ディーコンのリフをもとにしたジャム・セッションが発展したものだ。そのため、完成した楽曲にもフレディ・マーキュリーのスキャットが入っていたり、彼とデヴィッド・ボウイが思うままにヴォーカルを交替で取っていたりと即興の要素が多い。

https://www.udiscovermusic.jp/stories/queen-bowie-feel-no-pressure?amp=1

内気な恋愛に始まり、婚約、破局を経験し、最後は深い愛へと導かれた2人。フレディはメアリー・オースティンのことを「ソウルメイト」と呼び、楽曲「ラブ・オブ・マイ・ライフ」を彼女に捧げた。固い絆で結ばれた2人の関係は、フレディがゲイであることをカミングアウトし、男性と付き合っていることを彼女に打ち明けた後も続いた。1991年にフレディがHIV感染合併症による肺炎で亡くなったとき、彼はメアリーに広大なロンドンの邸宅と彼の遺産の大部分を残した。

メアリーは“遺灰は誰にも知られない場所に散灰してほしい”という彼の願いも聞き届けた。その場所については、彼女は今も口を固く閉ざしている。

「彼の生前、私は一度もフレディを裏切ったことはありません」と彼女。「そしてこれからも決して」

https://news.line.me/detail/oa-ellejapan/8c37e25f1b98

フレディ・マーキュリーの死因がエイズによるニューモシスチス肺炎(カリニ肺炎から改められた病名)であることから、残されたクイーンのメンバー3人(ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、ジョン・ディーコン)が中心となり、エイズ撲滅のためのチャリティー・コンサートとして行われた。会場はクイーンのMagic Tourでも使用され、1985年のライヴ・エイドでもクイーンが伝説的なパフォーマンスを行ったウェンブリー・スタジアムとなった。

収容人数は72000人と大規模だったが、チケットは発売開始から2時間で完売したという。

チャリティーの意識は徹頭徹尾貫かれており、マスコミやフォトグラファーなどの関係者であってもチケットを購入し、その上でパスが発行されていた。コンサード・グッズなどの商品の収益もチャリティーに回された。最終的な数字は現在も継続中なのではっきりしないが、各アーティストが後にCDなどでリリースした収益なども含めると50億円以上が集まったとされ、マーキュリー・フェニックス・トラストのフレディ・マーキュリー基金に寄付された。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC%E8%BF%BD%E6%82%BC%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%88

このコンサートでは、デヴィッド・ボウイ、エルトン・ジョン、アニー・レノックス、ジョージ・マイケル、ロジャー・ダルトリー、ロバート・プラントなど、錚々たるアーティストがクイーンをバックにパフォーマンスし、メタリカ、ガンズ・アンド・ローゼス、U2、そしてスパイナル・タップまでもが、それぞれのバンドでの短いセットを披露した。そしてこの日、1992年4月20日に、72,000人のクイーンファンが集まった会場で、4時間に渡るフレディの人生を祝う華やかな祭典が執り行われたのである。

https://rollingstonejapan.com/articles/detail/29588

アクセル・ローズ (1962年2月6日- )は、アメリカ合衆国出身のロック・ミュージシャン、シンガーソングライター。

最も尊敬するバンドの一つがクイーンで、フレディ・マーキュリー追悼コンサートにも出演。最高のアルバムは『クイーン II』と答えており、「オレが死んだらクイーンIIのアルバムを棺に入れてくれ」と述べている。

エルトン・ジョンと親交があり、フレディ・マーキュリー追悼コンサートではエルトンと一緒に「ボヘミアン・ラプソディ」を歌った。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA

1991年11月24日、フレディ・マーキュリーが亡くなった時、ほとんどの人がクイーンは解散するだろうと思っていた。友人の死を乗り越えようとしていた残されたバンド・メンバーたちでさえ、そうなるだろうと思っていた。

「フレディの死で、僕らはすべてが終わったと思っていました」とドラマーのロジャー・テイラーは2019年に公開さえたドキュメンタリー『クイーン+アダム・ランバート・ストーリー: ショウ・マスト・ゴー・オン』の中で述べている。「私たちは全てのことに揺さぶられていました。そしてもう二度とプレイするつもりはなかった」

2009年、クイーンのメンバーであるブライアン・メイとロジャー・テイラーはアメリカのオーディション番組『アメリカン・アイドル』にゲスト出演する。シーズン8の結果発表の前にふたりの演奏で最終候補者のクリス・アレンとアダム・ランバートが「伝説のチャンピオン」を熱唱する。メイとテイラーはランバートのボーカルに惚れこみ、その場でクイーンへの参加を打診したとローリング・ストーン誌は伝えている。その件に関してその気があるのかとAP通信がランバートに聞いたところ「それは難しい質問だね。だって、正直クイーンにならないかっていう申し出をどう断ったらいいんだ?そんなの信じられないよ!でも、今、自分でやりたいこともあって、それが僕の目標でもあるんだ。だから、できることなら両方やってみたいね」と述べている。

2011年11月、MTV Europe Video Awardsにてメイとテイラーはランバートと再共演し「ショウ・マスト・ゴー・オン」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」「伝説のチャンピオン」の3曲をメドレーで披露した。

アダム・ランバートはクイーンとの共演について「僕の見方としては僕はフレディの代わりを演じるつもりも、フレディの上を行くつもりも、フレディと競うつもりもまったくないし、そんなことはまるで考えてないんだ。フレディとバンドとで書いた音楽を歌って、それをステージに持っていっていいショーをやるように請われたってことはすごい光栄なことだと、そう思ってるんだ。でも、観てるみんなが比較することばかりに気を取られると、きっとライヴを楽しめなくなるとも思うよ」と語っている。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%B3%2B%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88

第10話でキャサリン・ジェンキンスが歌っています。

『作品の中の音楽』9話にフレディの『Who Wants To Live Forever』があります。


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