美鈴(ベル)の完璧な世界㉘

文字数 4,904文字

資料室のドアがノックされて、外から声が掛かった。カウンセリングの先生だった。

「みどりさん、アサヒさん。ここにいるのかな? 入ってもいいかな?」

そういえば今日はカウンセリングの先生が学校に来ている日だった。わたしも、みどりさんもこの先生のことは良く知っている。わたしはみどりさんのことが良くわかる先生が来てくれてホッとした。保健室は今は多分、教室にいた子たちであふれていて、養護の先生やサポートの先生はそっちの相手で手がいっぱいのはず。それでカウンセリングの先生が来てくれたのだと思うけれど、この先生でよかった。そして、この部屋に先生が来たのはマサト君、ジン君のおかげだと思う。わたしたちふたりはクールダウンルームにいるかもしれないって、先生たちに言ってくれたんだと思う。
「はい、大丈夫です」ってわたしは返事をした。

カウンセリングの先生と少し話をした。主にわたしが。何かを質問されて、それに答えるって感じじゃなくて……。それはもちろん「何があったの?」とは聞かれたけれど、わたしは何を言ったらいいかわからないし、先生も答えが返ってくることを期待している感じじゃなかった。
本当に、何を言ったらいいかわからないよね。きっとあの場にいた全員が、あの時あったことについて何も言えない。せいぜい、女の子たちの間でケンカがあったこと。ケンカの最中で教室がぐちゃぐちゃになったこと。それが引き金になって女の子たちがショックを受けたこと。ケンカの中心にいたみどりさんがパニックになってそれをわたしが止めたこと……それくらいを話すのが限界。教室がぐちゃぐちゃになったことについては、それを「誰が」「どのように」やったのかなんて気付いていても言えるわけがない。それをやった本人のみどりさんならなおさらだよ。
だから、カウンセリングの先生がわたしたちの気持ちを落ち着かせることに集中してくれているのが本当にありがたかった。みどりさんもどうにか、ひどい状態を抜けだせたみたいだった。そうしていたら、もう一度資料室のドアがノックされた。

「恐れ入ります。山田みどりの母です」

みどりさんのお母さんだった。
学校から連絡が行ったんだと思う。大慌てで駆け付けてきた雰囲気があった。みどりさんは今日はこのまま早退するとのことで迎えにきたんだって。手にみどりさんの荷物を持っていた。教室に寄ってきたか、先生から渡されたかしたんだと思う。お母さんはみどりさんの様子を見て「一体何があったの?」ってうめくように言った。でもあまり取り乱していないのは「慣れている」からなんだろうな、と思ったら何か切なくなった。わたしには、みどりさんのお母さんの気持ちが少しわかるのかもしれない。
「アサヒちゃん、いつもありがとう。みどりの味方でいてくれて……」ってお母さんから深く頭を下げられた。「いいえ、そんな」って返事をしようとしたけれど、うまく言えなかった。
わたしとみどりさんの関係って一体なんだろう? ってこんな時なのに考えちゃって。それにわたしが「いつもみどりさんの味方」だったかっていうと、決してそうではない気もして。むしろそれがいやになって放り出そうとしていたのが本当なんだから。

鼻血が止まったのでみどりさんはお母さんにつれられて席を立った。さっきほど激しくはないけれど、まだ肩を揺すって泣いていた。わたしは資料室のドアのところまでみどりさんを見送った。「じゃあね」と、みどりさんの背中に声を掛けたとき、みどりさんがくるっとこっちを振り向いて、言った。

「あ、あ、あ、アノマロ、また、一緒に、描き、たい、い、い、い、一緒、に描い、て。あ、あ、アサヒさんが描いたの、わたし、ぜ、全部持ってる、から、一緒に、また……お願い……」

――反則。
お母さんに肩を支えられながら、帰っていくみどりさんを見送りながら、わたしは「反則」って思った。だってみどりさん、今までわたしに「一緒に何々をしよう」って言ってくれたことがなかったんだよ。ただの一度もなかった。いつもわたしのほうから、みどりさんのそばに行って、みどりさんの向かいや隣に座って……ってやってきた。みどりさんにとってそれは「当たり前」だったんだろう、ってわたしは思ってる。なのに、今、こんな時に、こんなタイミングでそんなこと言うなんて、「お願い」だなんて、ずるい、反則だよ、反則……って思ったら、涙がボロボロこぼれてきた。さっきから、ううん、もうずっと我慢していたのが、まとめて出てきたみたいだった。

「アサヒさん、あなた、頑張ったんだね。何があったのかはわからないけれど、本当に頑張った……」

カウンセリングの先生がそう言ってくれたから、本当に涙が止まらなくなって困った。
わたしは考えなきゃいけない、決めなきゃいけない。これからわたしがどうするか、誰に、どんな風に向き合うか。みどりさんに、ベルさんに、そしてみんなに……。


あの日はあのあと、クラス全員がおうちの人とすぐに下校することになって、先生たちはすっごく大変だったみたい。わたしも資料室にお母さんが迎えにきて、一緒に帰った。みんなには会えなかった。教室の前は通れなくなっていたし。みんな教室から別の部屋に移動して、おうちの人が来るのを待っていたらしいから。その次の日はお休みになって、教室の調査とか、安全点検があってから、そのまた次の日に学校は再開した。教室はね、あの日はすごいことになっちゃったと思ったけれど、ちゃんと調べたら壊れているものはなかったって。掲示物は全部破れちゃったけれど、それだけ。その他は大丈夫だった。
メッセンジャーアプリで作ったクラスのグループには、誰も書き込んでいないって、スマホを持っていないわたしにサラちゃんが教えてくれた。先生が「この件ついてスマホで話すのはやめてください」と言ったのをみんな守ったみたいだって。個人的に繋がって連絡を取り合っている子たちはいると思う。でもそういうのはわたしからは見えない。
学校に来てくれるカウンセリングの先生の人数が増えた。これはしばらく続くので、不安なことがあったらいつでも話をしに行っていいって言われた。わたしとサラちゃんは学校再開と同時に登校できたけれど、すぐには学校に出てこられない子もいたの。あのとき教室にいた子たち、女の子も男の子も。

みどりさんは3日休んだ。2日目でみどりさんのお母さんに「みどりがアサヒちゃんに会いたがっているみたい」と頼まれて、わたしが迎えにいって……そうしたら学校に来た。わたし、みどりさん本人のだけじゃなくて、みどりさんのお母さんの頼みにも応えちゃうんだと思う。エリカちゃんとメイちゃんはその次の日に登校。みどりさんが登校したのがきっかけになったっぽい。あの日、みどりさんを追い詰めたことについて、二人とも何か思うことがあったんだと思う。みどりさんが来ない限りは、ふたりとも学校に来れなかったかもしれないと思う。
みどりさんとエリカちゃん、メイちゃんたちは互いに距離を置いて過ごしている。エリカちゃんたちはわたしからも距離を置いているけれど、無視されたりとかはなくて、挨拶はしてくれるし、用事があるときは普通に話しかけてくれる。今までどおり親切にしてくれる。ただ、「身内なんだからいつも一緒」みたいなのは無くなって、わたしがみどりさんといても何も言われない。多分わたしが仲間に入りたいって言えば混ぜてもらえるんだろう。でもエリカちゃんたちから外遊びに誘われることはなくなった。

あの時教室にいた中で「比較的冷静な子」だったサラちゃんとベルさんは、直後に先生から事情をきかれたって。そのときサラちゃんが、サラちゃんっぽい言い方をするなら「かました」。こうだよ。

「えっと……ウチもわからないんですけれど。エリりん……じゃなくてエリカさんとメイさんがみどりさんと移動教室の件でなんか話してるな~って思ったら、急に喧嘩みたいなことになって。ええッ!? って思ったら、教室が急にガタガタいいだして、ヤダこんなときに地震? ってビビったらだれかがキャーって叫んで。みんなはそれにびっくりしてバタバタ倒れて……同時にみどりさんがパニックになって、美鈴さんやアサヒさんともみ合いになって………。
「ね、ベルるん? そんな感じだったよね。えーと、しゅ、集団ヒステリー? 起こったことはほんとにそんな感じで。で、それで動揺した子が教室の中をもっとぐちゃぐちゃにしちゃったのかもしれない。ひょっとしたら最初に叫んだ子は『こっくりさん』みたいな怖い遊びをしていたのかも。最近、やる子がいますよね、こっくりさん……。でなきゃ怖い話とか。そこに原因不明のガタガタが来たからみんなおかしくなったのかも。それがなかったら喧嘩だけで済んでたし、喧嘩だけだったらアサヒさんか美鈴さんが止めていたと思います」

こんなことをとっさに言えるなんてサラちゃんはどうかしている。あ、どうかしている、っていうのは誉め言葉だよ。それを聞いた先生はすっごく変な顔をしていたって。「それはあなたの推測よね」「どこまでが事実でどこからが推測なのかわからない」って。当たり前だよね。でも、「そういう言われるのは分かってたけどかましてみたんだよ~」ってサラちゃんは言ってた。

「『アレ』をやったのはみどりさんでしょ? ウチにも何となくわかった。あの時のみどりさんの様子と……アレが起こっている時に感じなかった? 『これをやったのはわたしです』みたいな、むしろ『わたしがやったと気づけよ』みたいな圧? サイキックパワーとかそういうやつだね「アレ」は。ってことはみどりさんってサイキッカーなの? 意味不明で草生える。
「でも『原因はみどりさんの超能力です!』なんて言ってもさ、ふざけるなって怒られるよ。大草原不可避だよ。言わないよ。でも何か言わなきゃ、言わなきゃ~って。そうしたら、あ、これは集団ヒステリーだ! って。そうしたら、なんか降りてきたんでそのままガーッて喋った。ドキドキしたよ〜。
「ベルるんも、あれは絶対『わかっていた』よね。その上でウチに話を合わせてくれたんだ。『そうです。サラさんの言ったことで合ってます。多分そうです』ってね。それもあって、ウチの話じゃ全然説明が付かないことばかりだけど、先生も納得なんかできないけれど、だいたいその方向で、ってことにはなったかも~なってたらいいな~」

……だって。
サラちゃんは自分の話で「そっちの方向」に先生たちを誘導したってことだと思うの。みどりさんがしたことから先生たちの注意を遠ざけながら、本来オチなんか付けられないところに、オチをつけようとしたの。
ちなみにサラちゃんに「集団ヒステリーって何?」って聞いたら、「動画サイトで探してみてよ〜。解説動画があるから。『こっくりさんによる集団ヒステリー事件』」って言われた。調べてみたらびっくりした。こっくりさんで遊んでいる子どもたちがパニックになったり倒れたりすることがあるんだって。確かにあの時みんなに起こったこととそっくり。あの状況を見て、集団ヒステリーなんて言葉を聞かされたら、そういうことが起こったんだと思っちゃうよ。
とっさにそんなのを思い出せるなんて、サラちゃんは天才なの? って言ったら、「アサたんには負けるよ」って笑って返された。「あのとき、アサたんを見てウチも日和ってられないなって思ったんだよ」って。

ベルさんは。サラちゃんの話に合わせたベルさんは、サラちゃんの話に「そうです」って言いながら一体なにを考えていたんだろう。わかんないや。でも、サラちゃんが頑張って、それをベルさんが助けてくれたから、あの件はうやむやな終わり方にできたんだろうと思う。誰がどう頑張ったってうやむやな終わり方にしかできないあの事件を、ほじくり返せばほじくり返すほど、訳がわからなくなるあの日のことを、最短距離でうやむやにすることができたんじゃないかなって思うの。

そのベルさんはまだ学校に来ていない。教室からベルさんの姿が消えて、今日で1週間になる。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み