美鈴(ベル)の完璧な世界⑥

文字数 2,946文字

5年生に上がるとき、一旦美鈴はみどりと離れることに成功した。クラス替え様々だ。 

4年生の初めごろに例の一件があって、美鈴はますますみどりのことが苦手になっていた。みどりの言うことやること、ことごとく美鈴は気に入らない。けれどそれに対して何かをしたり言ったりすれば、しっぺ返しをくらって恥ずかしい目にあうのはこっち……。この教室には、そういうルールがあるのだと美鈴は理解した。「山田みどりのせいでおかしなクラスになった」けれど「どうにもならない」と美鈴は色々な思いを飲み込みながら一年間をすごした。その間、美鈴はクラスの代表委員を務め、運動会ではリレーの選手を務め、もちろんカラーテストの点数も高めで安定。もちろん見た目にも手を抜かない。身長が伸びて、脚もすらりと長くなってきたので、どんな服を着ても映えて、友だちからよく褒められるようになった。「ベルちゃんはクラスで一番かわいい子」と言われ始めたのはこのころだ。

けれど、それで山田みどりをどうにかできるわけではない。美鈴がどんなにキラキラした女の子になっても、そのことで山田みどりの間違いをただし、凹ますことはできないのだ。「はやくこいつ、山田みどりと離れたい。別のクラスになりたい」と美鈴は日々願いながら過ごした。そしてそれは、無事かなえられた。

こうして迎えた5年生の一年間は美鈴いわく「サイコー!」だった。気の合う仲間に囲まれて、先生からも気に入られて……。それからこれが大事。気になる男子とちょっと親しくなれた。その子の名前はオカダ ユウガという。彼はこれまではいかにも「大事に育てられたお坊ちゃん」という雰囲気だったのに。急に大人びた空気をまといだした。中学受験の準備のために大きな塾に行き始めて、ぐんぐんと成績を伸ばし自信をつけたらしい。

ちなみに5年生になって、美鈴がさらに先生から気に入られるようになったのは理由がある。この年齢にもなると、素直に礼儀正しく先生に接する子がどんどん少なくなってきて、舐めた態度を取る子が増えてきて、そっちのほうが当たり前みたいな空気もある。これは当然よくない。けれど子どもたちの集団はそういうものに、同調の空気に弱い。
そこを美鈴は本当にうまくやった。
美鈴は先生に対して素直に礼儀正しく、笑顔で接した。それにどれだけの威力があるか。この年の先生は個人面談の際に美鈴のママにこのように本音を漏らし、ママを大変満足させた。

「ベルさん……いえ、美鈴さんがとても協力的に接してくれるので助かっています。彼女の明るさと素直さに癒されていますよ」

生意気な子どもたちを相手にしていれば先生も消耗するだろう。小学5年生とはこういうものだと分かっていても。
美鈴は先生の心の疲れた部分に入り込むことに成功したのだ。先生に気に入られるのは、そういうことができる子なのかもしれない。
しかし、そうなると周りの子たちとの関係が微妙になるのが子どもたちの世界だ。皆と違ったことをして先生の機嫌を取る子は嫌われる。
けれど美鈴はそれもうまく乗り切った。先生向けの顔とクラスメート向けの顔をうまく使い分けたのだ。クラスメートの誰にでも明るく親切に接するだけではない。先生に礼儀正しく愛嬌を振りまいた後で、友だちには「ホンネ」をこぼし、特に親しい子たちには自分と同じように、つまり先生の前ではいい子に振舞うことをすすめた。「これはゲームみたいなものなんだよ。うまく行くと面白くって、難しくないんだよ。試してみて」と耳打ちをして。
たぶん美鈴にはそういう才能があったのだろう。あっちとこっち、どちらにも良い顔をして誰とも喧嘩しないという、ずば抜けた政治のセンスのようなものが。美鈴はみどりとは別のタイプの天才なのかもしれない。

例のオカダ ユウガ君とも、そのように立ち回っているうちに親しくなった。ユウガ君は賢い子なので、クラスメートたちが大した理由もなく先生に反抗するのを見て、正直「アホかな」と思っていた。そして、いい子ぶってそいつらを周りの子たちを注意して、ぎくしゃくするのもまた「アホだな」と考える。だからそれをうまいことやっている美鈴をリスペクトするようになった。
そうなったのは、美鈴は「ホンネ」を見せる相手を上手に選んでいて、ユウガ君がその対象からはずれていたから、というのは多分大きい。相手のずるいところを知らないほうが、良い所だけを見ている方が尊敬しやすい。ユウガ君は賢いが単純な子でもあった。

「デキる」ユウガ君から教室で色々と話しかけられたり、休み時間の外遊びに誘われたりするのは、とても美鈴の気分をよくした。本当にとても……。まわりの子たちから「オカダくんって、ベルっちのことが好きなんじゃない?」「ベルちゃんはユウガ君のことどう思うの?」と聞かれるのも、とても気分がいい。みんなは漫画やドラマでしか恋愛を知らないけれど、わたしはちょっとちがうのよ? と得意になる。

「ユウガ君は勉強が忙しいから、そういうことを考えているヒマはないんじゃないかな」

美鈴は、ユウガ君と自分の関係を聞かれるたびにこう答えた。この関係が自分の価値をアゲるのは間違いないが、変に浮かれたら皆に引かれるということもまた分かっていたから。それに実のところ、美鈴には「ユウガ君とどうなりたい」という願望はなかった。意外なことだけれどそうだった。ただ美鈴は「ユウガ君と親しくしていると、周りの子たちよりも一つ高い場所に立っているみたい、それがいい」と感じているだけで。
そのためにはユウガ君とちょっと親しければいいだけで、別に彼が美鈴のことを好きでなくてもいい気がした。そして多分ユウガ君は自分に恋愛感情なんて持っていないのだろうけれど、別にそれでもいい。別に美鈴はユウガ君のことがすごく好きというわけではなかったのだ。
ユウガ君は単純だけれどスペックが高くて、自分のいい所だけを見てくれて、一緒にいればみんなから特別な目で見られて、ちょっと気になる子。――それはつまり童話の王子さまみたいな男の子だ。美鈴……ベルにとって必要なのはそういう子だった。そういう便利な子が身近にいたので利用したのだ。

この「サイコー」の一年によって、とにかく美鈴はこの年学校生活を通して「これが自分だ」という手ごたえを得た。これが自分にとっていい状態だということ。これがなりたい自分だということ。
この経験は美鈴の中に信念を作った。
それは「嘘はついてもいい」「表裏のあるふるまいも、二枚舌も許される」というものだ。正直であることより、目の前にいる人の気持ちを大事にする方が正しい。

(嘘を言う子は嫌われる、表裏がある子は嫌われる……そんなの嘘! 大嘘! そんなわけないじゃん!)

と、美鈴は思う。

(表裏なく正直でいるなんて、目の前の人に嫌な気持ちをさせてまで、することではないわ! そんなのが正しいわけないじゃない!)

わたしは正しいことをしている、正しいことをしているからみんなに好かれている。何が正しいか、わたしはちゃんとわかっている。わかっているからうまくやれている。もしわたしのやり方に文句をいう奴がいるなら、そっちが馬鹿なのよ。わたしは後ろ暗いことは何もしていない。わたしは正しい。
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