ストーキング・ライダー<上>

文字数 4,027文字

自転車は車の仲間なので、危険な運転は当然禁止されている。でもおれたちくらいの子どもはだいたい、あぶない自転車の乗り方をするよな、と思う。いや、これは子どもに限ったことではないかもしれない。大人も結構ひどい。小さな子どもガヨチヨチ散歩をしている側をすごいスピードですり抜けていくスポーツサイクルとか、サイコパス染みていてなんだかなぁと思う。おれも人のことは言えないかもしれないけれど。
それはともかく自転車に関わる話だ。

もうまもなく小学五年も終わろうというある日のことだった。休み時間に、同じクラスの女子のアサヒが仲良しグループの友達と騒いでいた。アサヒは基本的に無口でおとなしくて真面目なキャラクターなのに、どういう訳か昨日はヒートアップしていた。ものすごく怒っていた。

「昨日誰かにつけられたのよ。ピアノ教室の帰りに自転車で走っていたら、知らない自転車がぴったりついてくるのよ。こっちのスピードに合わせてついてくるの。他に人がいない道で、怖かった。ストーカーかも」

人通りの多い道に出たところでその自転車はどこかに行ったらしいけれど、それまでとても気持ちが悪かったという。

「ストーカー?」
「えー?」

仲良しグループの子たちは半信半疑といった感じで、まともに取り合わない。
ところがそこで食いついたのが、おれと一緒に自由帳に落書きをしていたカズヤだった。

「その話もっと詳しく!」

何でもカズヤも、塾からの帰り道で同じような目に遭ったらしい。そいつは人通りのない道に入るとつけてくる。こっちがスピードを上げると向こうも上げ、落とせば向こうも落とす。
落しながらじりじりと迫ってカズヤに圧をかけてくる。けれど人通りの多い道に出ればいなくなる。これまでに2度ほどあったとか。

「それ、ストーカーじゃなくて、煽り運転じゃない?」

おれがぽつりとそう言うと、その場にいた全員がこっちを向いた。

「それ、それだよ。マサト」

カズヤがぽんと手を打って、うんうんと頷いた。そうそうそんな感じそんな感じと。

「ストーカーでも煽り運転でもどっちでもいい。わたし警察に相談する! わたしだけじゃなくてカズヤ君にも同じことがあったんだよね!? なら、別の誰かに同じことが起こってもおかしくないよね。もっと小さな子が同じ目にあう前になんとかしてもらおう」

アサヒはそう宣言した。おれはアサヒがどんな子なのか何となくわかった。小さい子に同じことが起こらないように、という考え方はすごいな、と思った。アサヒは地味で無口でおとなしいけれど、その分正義感が強いのかもしれない。
その放課後、アサヒと、アサヒのグループと、おれと、カズヤと、あと遊び仲間のジン君、エージ、リョーちんといった大勢はぞろぞろと最寄りの交番を訪ねた。ジン君、エージ、リョーちんまで来た理由は「なんか面白そうだから」とのことだった。
応対してくれたおまわりさんは見覚えのある人だった。向こうもおれたち男子の顔を一通り眺めたあとで「ああ、君らか」という顔をした。公園でおじさんが消えた事件や、ジン君が巻き込まれた連れ去り未遂事件などがきっかけで、おれたちとおまわりさんはなんとなく知り合いのようになっていた。おれたちにとっては交番がやたらと敷居の低い場所になっていたともいえる。それに付き合ってくれるこの地域のおまわりさんはやさしい。

「つけてきた自転車の特徴は覚えてる?」

おまわりさんが聞いた。最初に答えたのはアサヒだった。

「黒い自転車で、乗っていたのは大人だったと思う……。男の人? 黒いキャップをかぶっていて、顔は見えませんでした」
「いやいや? 黒い自転車と帽子ってのは同じ気がするんだけれど、乗っていたのは子どもだったかも」

アサヒが全部喋り終わらないうちに、「あれぇ?」という感じでカズヤが被せてきた。
それでアサヒも「あれぇ?」という顔をした。

「ええ? あれはどう見ても大人よ」

思ってもみなかった方向に話が進みだしたので、おれたちは顔を見合わせた。

「じゃあ、アサヒの件とカズヤの件って、別人で別件なのかな?」
「やだぁ。そんな怖いことをする人が複数いるとか、それってどうなの?」
「ヤバいよね」
「二人とも、見間違えたり、思い込んだりしてんじゃないの?」
「わたし、あれは絶対大人の男の人だったと思います!」
「いやあ。子どもでしょ」

アサヒもカズヤも自分の見たものが正しいと一歩も譲らず、周りもあれこれ口を出したのでグダグダな感じになったが、おまわりさんはおれたちの話を根気強く聞いてくれた。記録を付けて、身を守るためのアドバイスをいくつかくれた。人気のない道は避けること。防犯ブザーを持ち歩くこと。
何度でも言おう。この地域のおまわりさんはやさしい。

しかし俺たちの「相談」もむなしく被害者は出てしまった。被害者はとても身近な人物……エージだった。
エージは週に何回か夕方まで公園の広場でドリブル、リフティングの練習をしていた。エージは地域の少年サッカーチームのスターなのだ。その日もみっちり練習をして、5時のチャイムが鳴ったタイミングで公園を後にした。冬がもうほぼ終わり、日が延びはじめた夕方の道を、エージは自慢のスポーツサイクルを走らせて家に向かった。
その途中でのことだ。
脇道に何度も逸れて最短ルートで進むのがエージのスタイルだった。住宅街の入り組んだ道を走るのだ。おまわりさんからは「人気のない道は避ける」ように言われていたけれど、それを無視するかたちになったのは、エージいわく「自分は大丈夫だ」と思ったかららしい。
エージが「それ」に気付いたのは何本目かの脇道に逸れたときだった。
後ろから何かがついてくる。その圧がエージの背中に乗っかってきたのだという。
「来たな」とエージは思ったらしい。実はエージにはちょっと自信があった。身体能力が自慢だから、それで切り抜けてやろうと思ったらしい。
エージはスピードを上げて相手を捲こうとした。けれどこれは本当に危ない。入り組んだ道でやるのはなおさら。そいつはエージがスピードを上げてもぴったりついてきた。エージはスピードを上げて角を何度も曲がり、その度そいつも角を曲がる。ひりひりするほどの危なかしさ。走るほどにエージの中に小さな不安がうまれ、どんどん大きくなる。それを振り切るかのようにエージは走る。そうしているうちに二台の自転車はエージ一家が住んでいるマンションの近くまで来た。このマンションはとんでもなく大規模なマンションで、建物の周りはマンション住民の庭がわりにもなる歩道になっている。3色ほどのブロックを組み合わせて敷き詰めて舗装した道は、公道のアスファルトとは違うがたがたした感触を自転車に伝えてくる。それは焦るエージに「これ以上はダメだ」「落ち着け」と警告していたのかもしれない。けれどはっきり言って、そのときのエージには逆効果だった。それを振り払って走らなければならないという気になってしまっていた。
歩道が直線だということもあってエージはさらに自転車を漕ぐスピードを上げた。家まであと少し。後ろから来る何者かを引き離して家にたどり着かなければ――! たどり着きさえすれば――!
けれど膨らみきった不安と焦りがエージの冷静さを飲み込んだとき、事故は起こった。スポーツサイクルの細いタイヤが縁石に乗り上げ、エージは転倒した。転倒して歩道のわきの植栽に突っ込んだ。

「突っ込んだのが植栽だったから怪我が少なかった」

とその翌日、登校したエージは言っていた。本当にその通りだと思う。突っ込んだ先次第では命にかかわったのではないか。
でも当然無傷ではすまなかった。怪我が少ないと言ってはいたけれど、結構ひどいことになっていた。整形外科のお世話になるような怪我ではなかったけれど、手足の広い範囲に擦り傷ができた。普通のサイズのばんそうこうでは傷を覆いきれないので、テープとネットで大判ガーゼを当てる処置をしていた。みな、可哀そうなものを見る目でエージを見た。そして「あの運動神経抜群なエージがこんな怪我をした」ということにおののいた。おののきながら、一体なにがあったのかを知りたがった。

「こけた直後、そいつがおれを抜いて走っていくのが見えた。やっぱりそれは黒い自転車だった」

エージはそう言って少し遠くを見るような、考え込むような目をしてから、その顔を見た、と言った。そして、

「知っている顔だった。でもそいつは、ここにはいないはずのやつだった」

とも言った。

「覚えているやつは覚えていると思う。3年のとき、半年だけこの学校にいた、ヤマト……。シノダ・ヤマトだった。あいつがここにいるわけがない」

それを聞いたアサヒとカズヤは顔を見合わせた。二人が見た相手と、エージが見た相手は違うようだ……。しかも、エージが見た相手は、ここにいるとは思えない人間だった。
何か普通でないことが身の周りで起こっているということに、そこにいた全員が気づいた。

そして自転車に乗る子どもの姿が、この町から消えた。
エージの事故はそれくらい強いショックをみなに与えたのだ。そしてそのショックや噂がまたたく間に地域に広がったからだと思う。
みな、どこに行くにも歩くようになった。例外として、親が一緒にいる時だけは自転車に乗る子はいた。でも、子どもだけで自転車に乗っている姿はまるで見なくなった。少し離れた塾に通っているカズヤも自転車を使わなくなった。でも、歩いていくと時間が掛かりすぎてしまうので親御さんが車で送り迎えをしてくれたという。子どもだけでなく大人の行動も変わってしまったというわけだ。
もちろん俺も自転車に乗るのをやめた。誰もが「追いかけてくる自転車」の影におびえていた。「そいつに追いつかれたら殺される……」「狙った相手を仕留めるためにそいつは追ってくる……」そんなことを言い出す奴まで現れ、みながその恐怖に共感した。そんな時期がしばらく続いた。
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