美鈴(ベル)の完璧な世界⑯

文字数 3,240文字

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部屋にある宇宙の本を開いて眺める。幼稚園年少のころに祖父に買ってもらったものだ。まわりよりかなり早く文章を読み始めたわたしに「みどりは神童だ」と、子ども向けの図鑑や学習本を何冊も買って送ってきたのだ。わたしはこの祖父に似ているという。父方の祖父だ。祖母を始め親戚は、わたしに会うたび、困ったように笑いながらこう言う。「あなたはお父さんに似ているけれど、おじいちゃんにはもっと似ているね、何がって? ねぇ……」と。この言葉の裏にあるものには、最近ようやく気が付いた。

祖父はテレビでニュースを観ているとき、出演者が何かを間違えると、すぐそれに気付いてテレビ局に電話をするような人だ。盆に親戚が集まって皆で食事をしているような時でもやる。急に箸を置いて電話をかけるのだ。祖父の頭には辞書や辞典の中身がそっくり入っていて、すぐに出てくるのだとか。祖父は別に学者や先生とかじゃない。大学には行きたくても行けず、地方の実業高校を出たあと、地元の会社で経理の仕事をしたらしい。ささいな間違いにすぐ気づいて遠慮せずに指摘する――どんなとき、どんな相手にでも指摘せずにはいられない――癖が煙たがられながらも役に立ち、定年までまじめすぎるほどまじめに働いた。でも退職と同時に職場の人間関係も消えた……そういう人なんだって。

父と祖父は親子なので、父にもそういうところはかなりある。でも祖父のほうが極端だ。祖父のことは、すごいなって思っていた。祖父はすごく賢くて、祖父みたいに賢い人はああいうふうにするのが正しいんだって尊敬していた。でも最近は……複雑だ。祖父みたいにしていると、まわりはあまり喜ばないと知ったからだ。そう考えると胸がチクチク痛む。正直、そんなのは納得したくない。わたしは祖父を否定したくない。でも、祖父のようにしていればそうなってしまうこともわかり始めてきた。

そのことは社会スキルのトレーニングをする「教室」で学んだ。「教室」では、例えばこんな問題が出される。

「あなたの知り合いが、あなたの前で間違った知識を披露している。あなたはそれを指摘する? しない? もし指摘するならば、どのようにする?」

それを「教室」の皆で考え、話し合う。そうやって、世の中には様々な考え方、ものの視方、感じ方、状況、人と人との関係性、それらに合ったコミュニケーション方法があることを学ぶ。わたしは「そんなの、はっきり言えばいい」と思う。それがいつだろうと、どんな内容だろうと、その知り合いとの関係がどうだろうと、はっきり言うだけ。その他に何がある? と。でも、他者は自分と同じじゃない。それを忘れれば他者は傷つくかもしれない。だから「いつでも誰に対してもはっきり言う」というのはよくない。それを言ったらどうなる? を考えたほうがいい。考えた上でどうすればいいかはその時その時で変わる。ややこしくてはっきりしない答え。正直、嫌になる。

話が逸れた。この宇宙の本は祖父に買ってもらった本のひとつ。大好きになって暗記するほど読んだ。もらった本はどれもおもしろかったけれど、特におもしろかったのが、これと、あと古生物の本。どっちも今では簡単すぎるけれど、捨てられなくてたまに開く。古生物の本は元気な時に、宇宙の本はそうでない時に読むことが多い。だって元気がない時に「大量絶滅」なんてものを想像したくはない。古生物たちの頭の上に隕石が降ってくるとか、噴火から逃げるとか。海の中で酸欠になるとか。わたし、あいつらのことが好きだからね……そういうのが辛いときはもっと遠くのことがいい。そして――。

恒星の誕生。わたしはこれを「やった」ことがある。自分の中にあるものを集めて(勝手に集まる。集まる時には集まる)ぎゅっと収縮すると(これも勝手にできる)爆発する。爆発すると何が起こるか。その時自分が想像したように、目の前に「出来事」を起こすことができる。頭の中で想像した出来事を目の前にコピペする感じだ。コピペできる出来事には限界があるけれど、とりあえずそういうことができる。わたしはこれに「コピペの力」という名前をつけている。

具体的に話す。こうして生まれた力を初めて使ったのは小学2年の後半。担任の先生がわたしの扱いに困って、わたしもどうにもならなくて、毎日がグッチャグチャだった時期だった。先生も頻繁にわたしにキレた。キレることがまずないと言われている評判のいい先生だったのに。それだけわたしが先生を追い詰めたってことだったんだろう。先生がキレてわたしを問い詰めているとき、わたしはずっと下を向いて我慢していた。じっと、石のようになって先生に返事もせずに。正確に言うと、このときわたしは動かないことに集中していた。先生の言うことに反応してしまったら、もう止まらなくなることがわかっていたから。泣きわめく、暴れる、自分を傷付ける……。もしそれをやったら、わたしはこの教室にいられなくなる気がしたから。ここにはアサヒさんがいるのに。アサヒさんは生まれて初めて出会った「遊びの時間を一緒に過ごしてくれる子」だ。学校のことは割とどうでも良かったけれど、アサヒさんと別れるのは本当に嫌だったのだ。

コピペの力はそうやって動かないようにしているときに見つけた。じっさいの身体が動かないようにするため、頭の中で自分が暴れているところを想像していたときに……。最初にやったのは机の中の教科書を破くこと。コツを掴んでからは、掲示物を落したり、壁を叩いたり、照明を切ったり……。いろいろやった。あのときはクラスで一番騒がしいやつが「先生の怒りのパワーがサクレツ」とか言って、わたしが「コピペの力」で起こしたことを先生がやったことにしたっけ。そのおかげでやりたいようにやれた。疑われたり、怪しまれたりする心配もなく。「わたしがやったんだ」って言いたい気持ちも実はあったけれど、それを本当に言ってしまうほど、わたしはバカじゃない。

それからしばらくは使わずにすんだ。正確には使うための力か集まらなくなった。もっと正確に言うと集めずに済んだ。わたしが「コピペの力」でこっそりと暴れたことが、どういうわけか先生を動かして、わたしは色々な人たちに助けてもらえるようになったから。わたしのことを分かってくれる人たちが増えて、学校はどんどん居心地のいい場所に変わっていった。学校のこと、先生のこと、周りの子たちのことがちょっとずつ好きにもなった。あの頃は平和で、幸せで、楽しかったと思う。

2度目に使ったのは大きな受験塾に通っていたとき。担任の先生から「みどりさんは、できれば中学の受験を検討してほしい。みどりさんの長所を活かすには、私立の学校に行ったほうがいいかもしれない」と言われて通い出した。あの塾にはほんの少ししかいなかったけれど、最悪な記憶しかない。そんな塾を選んでしまったのはわたしのIQのせいだ。わたしがどんな子か調べたとき、IQが高いと言われてしまったからだ。それで、「大きな塾ならば同じようにIQが高い子が集まっているはずだから」と親が……父さんが判断したのだ。「みどりみたいな子にこそ、高度な学びが必要なんだ。こういう塾がみどりにふさわしい環境なんだ。きっと学校よりも居心地がいいぞ」って。わたしも最初はそんな気分でいた。塾でなら自分の仲間に会えるんじゃないかって。そして塾通いの先にある私立の学校にも自分の仲間がいるんじゃないかって。退屈でない勉強ができるんじゃないかって。けれど、散々な目に遭った。

確かに塾にはいた。わたしに近い頭の使い方をする子たちが。でもわたしの仲間じゃなかった。あの子たちは「困りごとのない高IQの子たち」だったのだと思う。彼らはわたしとは違った。
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