美鈴(ベル)の完璧な世界⑮

文字数 2,992文字

「いやさ、それでも山田はしっかりしなくちゃダメなんだよ。山田が行きたい学校にアサヒはいないんだからね。てかさ……仮に二人で同じ中学に入ったとしても、引き続きアサヒに助けてもらうつもりだったりしたら終わってる。ないわー。そんなのをアテにされたらアサヒがかわいそう、っていうか、それが嫌ならアサヒもちゃんと拒否らないとさ」

突然エリカが自分の名前を出した。それが聞こえて、アサヒはビクッとして、教室のいまここに連れ戻された。嫌だ、こんな陰口にわたしを巻き込むのはやめてほしい――全身を固くして成り行きに意識を向ける。エリカは気が強く言葉もキツいがすごく身内びいき。エリカに言わせれば、彼女の家では家族みんながいつもこんな感じのキツい言葉でやり取りをしていて「でも家族だから仲はいいんだよ、言葉なんていちいち気にしないものだよ」ってことらしい。だからこれは「新しい身内」のアサヒの「ために」言っていることなのかもしれない。けれど……と、アサヒの頭はまたグルグルし始める。こういうとき、わたしは何かを言ったほうがいいのか、言わなければいけないのか、みどりさんとベルさんのどっちを選ぶのか、それを今試されているのか? それとも黙っていたほうがいい? 一体どうすれば――? そんな思いを巡らしながら美鈴の様子をうかがうと、彼女と目が合う。陰口の輪から絶妙に距離を置いた場所にいる美鈴は(こういう陰口って、嫌だよね、困ったね)という表情をアサヒに見せる。悲しそうな眼差しで軽く肩を竦める。そして(アサヒちゃんは今は黙っていたほうがいいかも、何も言わないで)と、唇の先に人差し指を当てて目配せ、小さく合図を送ってきた。つまりエリカたちに言いたいことを言わせ、アサヒはそれを知らんぷりして聞き流すのが今回の「正解」というわけだ。美鈴は見ているのだろう。アサヒが「正解」を選ぶのかどうか、いや、「正解」しか選べないはずだと確信しながら見ている。だって、そうするのが一番ラクで簡単……。

そのときガタン、と誰かが椅子を引いて立ち上がった。

「受験は4年の時に担任の先生からすすめられた。個人面談のときに。検討するように言われた。中学はわたしみたいな子もいる学校に行く予定でいる。だからアサヒさんは頼らない」

みどりだった。みどりは立ち上がって、だしぬけに、本当にだしぬけに、エリカたちにそう言った。普段から平たい喋り方をするみどりだが、このときはさらにそうだった。平たく、うわずった、早口で、言いたいことを一気に言った。

――。
ハァ?

エリカ、メイたちはちょっとびっくりして一瞬黙り、顔を見合わせた。けれど驚きはすぐに白けた空気と悪意に変わった。

「……だから、何?」
「えーっと、ちょっと何言ってるんだかわからないんですけれど?」
「……おもんな(面白くない)」

みどりは「余計なこと」「言わないほうがいい」ことを言ってしまった。エリカたちにとっては、みどりの事情なんてどうでもいい。みどりのように、込み入った事情があって、進路を慎重に考えなければならない子もいることを知るわけもない。小学校の先生が、担任をするクラスの子どもに受験を勧めるなんてことがあるのも……。つまり、彼女たちにはみどりが何を言っているのかわからない。わかりたくも、聞きたくもない。ひょっとしたら「先生が受験を勧めたなんて、山田が何かの自慢をしている」と勘違いをする子もいるかもしれない。「わたしみたいな子」ってどんな子よ? と穿った受け取り方をする子もいるだろう。公立に行くうちらとはちがう、山田に釣り合うくらい頭のいい子ってコト? って……。はい、アウト!

そもそも、こんな、みどりのような子が、こんな状況で、これを言って、これをすれば正解なんてものあるだろうか? 不利な状況をひっくり返して、自分に陰口を叩く相手を黙らせる言葉が、行動があるだろうか? あるわけがない。美鈴はアサヒに黙っていろと合図したけれど、みどりも黙っていたほうが良かった。なのにみどりは言ってしまった。何をやってもアウトな状況で、特に良くない言葉を。

一部始終に聞き耳を立てていたらしいサラちゃんが(それはダメだよみどりさん〜)と呆れながら苦い顔をしている。アサヒもハラハラしすぎて吐きそうだ。それに(わたしのことは頼らない、って言った……)みどりの言葉に心がささくれるよう。
当のみどり自身は、言いたいことを言ってはみたものの、それに続ける言葉がわからず、引きつった顔で固まっている。
とうとうアサヒは耐えられなくなって、見ぬふり聞かぬふりを打ち切った。みどりがアサヒのことを切り捨てるようなことを言ったのも、とりあえずはいい。今はいい。美鈴のことも、エリカ、メイのことも。今はみどりを何とかしないと……。「ここまでにしとこう? みどりさん」と間に入り、みどりの肩を抱いて席に座らせた。こういうことはこれまでは普通にできていたはずなのに、今回はとても勇気が要った。席に着かされたみどりはずっと下を向いている。「保健室か、ひとりになれる部屋に行く?」というアサヒの提案に首を横に振っただけ。アサヒはその背に一度だけ軽く触れてからみどりから離れた。エリカやメイ、美鈴が見ている前でずっとみどりの側にいるのは難しかった。怖かった。一体自分は何をやっているんだろう? と思う。「あなたのことは頼らない」と言って、自分から離れて行こうとしている子のことを、なんだかんだ、結局庇ってしまった。危ない思いをしてまでみどりさんに関わってしまった。結局自分はこうなんだ、こうしてしまうんだ、こういうやつなんだ、バカみたい――。

ハハッ……、と少女たちが意地の悪い乾いた笑い声を立てた。「やっぱりこいつはアサヒがいないと駄目じゃん」「アサヒちゃんには頼らないって言ったばかりなのにね、ウケる……」ハハッ……ハハハッ……。エリカやメイはあからさまに。そのまわりの子たちは、この悪意にどれくらい同調するか互いの腹を探り合うように笑った。ハハ……。
そのとき、その輪の一番外側、教室の隅で日和った笑みを浮かべていた子の頭の上に、画鋲で壁に止めてあったはずの掲示物が外れて落ちて「ひゃあっ」とその子に悲鳴を上げさせた。頭には張り紙が、服には画鋲がひっかかった。

「何? どうしたの?」
「だ、だいじょうぶ……、これが壁から落ちてきたの……。びっくりした……」
「ええ? 『また』?」

エリカとメイが不審そうに顔をしかめた。「また」? と。美鈴も「また? 何だか変よね」と眉をひそめながら、その子から紙や画鋲を外す手助けをした。
最近この教室ではそういうことが多い。壁に貼ってあるものが剥がれたり。棚に置いてあるものが落ちたり。照明が切れたり。壁がミシミシと鳴ったり。こういう、空気がよくない休み時間には特に。
誰か、覚えている子はいるだろうか? みどりとずっと一緒のクラスにいた子たちの中に、覚えている子はいるだろうか? 以前、もう何年も前に、同じようなことがその時も立て続けに起こったことを――。


(『先生の怒りのパワーがまたサクレツ。ギャハハ』と、お調子者男子のオオシマ ジンはふざけた)

あの時の担任の先生は、翌年度に異動してもうこの学校にはいない。
では誰か? 「あれ」を起こしていたのは、あの時怒っていたのは本当は――?
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