美鈴(ベル)の完璧な世界⑦

文字数 3,240文字

2時間目と3時間目の間の休み時間はちょっとだけ長い。

アサヒはその時間をだいたいみどりと一緒に過ごす。1年生のときからそうだ。そのときやることは決まっていて、一緒に自由帳に絵を描く。みどりは字が下手なのに絵は奇妙にうまい。繊細な線を少しずつ繋ぎ合わせて正確な形を描写するのだ。とくに得意なのは恐竜、古生物……。図鑑や特別展の目録に載っている絵や写真を鉛筆一本で「ほぼそのまま」に写し取る。アサヒはそれに付き合って、けれど彼女自身にはみどりほどの画力は当然ないので、名も無いオリジナルのゆるキャラを描いてお茶をにごす。でもみどりはそのキャラを気に入って、昔アサヒが描いたものをずっととってある。自分で描いたものには執着しないのに。

そういえば、アサヒがみどりと休み時間を過ごすようになったきっかけも、自由帳へのお絵かきとゆるキャラだった。あれはたしか小1のとき。あの時に描いたゆるキャラはアサヒのオリジナルじゃなくて、当時一部の子どもたちの間で流行っていたもの。もうずいぶん前のことだから、アサヒはもう名前を忘れてしまったけれど、当時開催していた古代生物展のマスコットキャラだった。アサヒはたまたま展覧会を観に行って、そのキャラを気に入ったのだ。アサヒがそれを休み時間に描いていたら、みどりがいきなり紙をひったくって、絵をまじまじと見つめて「好きなの?」ときいたのだ。

(好き? それはお絵かきが? それともこのキャラが? この子が知りたいのはどっち?)

何と応えようかアサヒは一瞬悩んだけれど、どちらにせよ答えはイエスなので「うん」と首を縦に振った。それでみどりとの縁ができた。


――。
6年生の夏休み明けの、まだまだ暑さが終わりそうにない日の二十分休みだった。

「子犬のワルツ、うまかったね。発表会の……」

アサヒと額を突き合わせて自由帳に「アノマロカリス」を描いていたみどりが唐突にそうつぶやいた。アノマロカリス、カンブリア紀にいたとされる生き物で古生物好きのひとたちから人気がある。翼の生えたエビみたいな姿をしていて、海の中の生き物なのに、空を滑るように飛んでいきそうな雰囲気がある。

「あっ、ああ、ああ――、来てくれてありがとうね」

アサヒは夏休みに、習い事として続けていたピアノの発表会を終えていた。これが済んだらピアノは卒業と決めて臨んだ発表会だった。弾いた曲は「子犬のワルツ」。アサヒはみどりをそれに招待した。みどりはうるさいのが苦手な子だが、このステージは観に来た。「ピアノだけで演奏する曲なら大丈夫。家でも聴いてる。それにアサヒさんが弾いているのならまず大丈夫」と言って、自分から来たがった。
そのときのみどりがすごかったんだよね、とアサヒは思い出す。みどりは学校に来るとき、いつも同じような格好しかしない。黒いTシャツにカーキのカーゴパンツ、寝癖付きの髪は一本に結ぶ。みどりの髪がいつも寝癖だらけの理由をアサヒは知っている。去年の移動教室で同じ部屋になったときに教えてもらった。なんでも「ブラシが頭の皮膚に当たるとすごく痛い」のそうだ。「痛すぎて無理」なので、手ぐしでざっくりと髪の流れを整え、跳ねた毛先に水道水をまぶしてなでつけていた。

けれど、発表会のとき、大輪の百合の花束を抱えてアサヒの前に現れたのは、アサヒのよく知るいつものみどりではなかった。髪はまっすぐ整えておろし、ノースリーブのカットソーと黒のスリムなパンツという大人びた服装をしていたので、アサヒには、目の前にいる少女が一瞬誰だか分からなかった。シンプルな装いがみどりのやや骨ばった手脚を引き立てて、その場にいる人たちの注目を一身に集めていた。

「すごい。アサヒちゃんのお友達、モデルさんみたいねぇ。ドラマで人気の、クールビューティーなスーパーモデルに似ている……!」

みどりがアサヒに百合を手渡していたときに丁度ピアノの先生が居合わせて、そうみどりを褒めると写真を撮ってくれた。大きな花束に手を添えて並ぶみどりとアサヒの姿を。
みどりはもちろんモデルや芸能人には疎いので「誰ですか? その人? 聞いたこともない名前」と大真面目な顔でボケたが、それも先生にウケた。「おもしろいお友達ねぇ」と大笑いしてくれた。

「自分は、知っている人の音楽なら聴けるんです。独奏で、この人が演奏してるってはっきりわかるやつか、プロの人たちがちゃんと『音楽』として作っているやつなら。そうでないと音の中に色々な人がいて、頭の中がぐちゃぐちゃになるのでダメです。良くわからない人たちが聴いてくれってめいめいに訴えてくるのが辛いんで。そういうわけでアサヒさんのピアノは聴けます」
「えええ? どういうこと」
「今この瞬間から先生のピアノも聴けます」
「アッハッハァ――! 意味が分かるような、分からないような!」

「独特の感性!」と爆笑しながら先生は「はいはい、二人とももっと近づいて! スマイルスマイル!」とシャッターを切ってくれた。美鈴はめったに見せない、いい笑顔をしていた。先生のおおらかな人柄に心を開いたのかもしれない。
ちなみにそのときの写真は、クラスのメッセージアプリのグループに公開された。先生が撮った写真そのものではなく、そのときみどりと一緒に招かれていた別の友達が――とあるゲーム実況配信者の熱心なファンで、自身もゲーマー。そして配信者を目指しているサラちゃんだ――「これは映えるわ~! アツいわ〜!」と興奮しながら何枚か撮って、「これ、クラスのグループに上げていい?」と尋ねてきたのだ。アサヒもみどりも深く考えずに「いいよー」とOKを出した。こういう写真がグループにアップされるのは珍しいことではない。

「これ見て! すごいよ!
「アサたんグッドガールなワンピが似合ってかわヨ
「みどりさんはモデルの『アイ』みがあって超カッコよ」

これが反響を呼んだ。アサヒは学校ではUNIQLOのチラシの子供服のコーナーの見本そのもののような服しか着ない。Tシャツかスウェット、それにデニムの組み合わせ。小学6年の女子が「いつでも全身UNIQLO」というのは清潔でさっぱりして、学校生活にはふさわしいが、どちらかというと地味な方だ。そんな彼女が黒のサテンのワンピースをまとっている。ワンピースのデザインはシンプルで全く派手ではないが、無駄を削ぎ落した可憐さがアサヒに大変似合っていた。そしてみどり……。普段の姿からは想像もできない、シャープな美少女に変身したみどり。みどりの顔立ちが実はすごく整っているということは、わかる子たちには分かっていた。でも、いつものみどりはボサボサで適当な格好をしているので「きれい」と認識している子はいなかった。そもそもみどり自身に自分を良く見せようという考えがなかったこともあって、そういうイメージとは無縁だった、そんなみどりが。

白と黒のよそ行きの服で装った少女二人が、大きな百合の花束を挟んで肩を寄せあい、素晴らしい笑顔を見せている……これが映えないはずがない。サラちゃんが狙った通りこの写真はクラスで「バズった」。特にみどりについてはみんな驚いて騒ぎになった。当の本人たちは、アサヒもみどりもグループに参加していないから、サラちゃんが「すごかったんだよぉ~」と大満足のホクホク顔で報告したのを聞いただけだったけれど。

でもそれも一瞬のこと。夏休みが終わって学校に戻ってみればアサヒは地味子でみどりはボサボサで適当。アサヒはこれが普段着だし、みどりはあの時一回だけ頑張ったのだ。そういうわけで、みんなに幻のような記憶を残して(そういえばあの子たちって、実はけっこうかわいかったりキレイだったりするんだよね)すぐに静かになった。表面的には。それでこうして二人は以前と変わらず、二十分休みに絵を描いている。
そこに声を掛けてきた男子がいた。

「おっ! みどりさん、今日も神ってるね」

オカダ ユウガ君だった。美鈴と噂になっている例の子だ。
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