美鈴(ベル)の完璧な世界⑨

文字数 3,676文字

美鈴が6年に上がって、何に驚いたかといえば、ユウガ君についてだ。彼と引き続き同じクラスになれてよかったと思ったのは一瞬のこと。ユウガ君は美鈴の前を素通りしてみどりの席にダッシュ。王子様のような爽やかさや節度ある態度はどこに行ったのやら。人が変わったようなハイテンションで、みどりと古生物談義を始めた。美鈴にはその方面の知識はないので、二人が何について話し合っているのかわからない。どちらもすごい早口、唾が大量に飛び交っていそうな雰囲気で、美鈴は正直引いた。

ハァ? 何これ? どういうこと? と困惑する美鈴に、サラちゃんが教えてくれた。

「うんうん、ユウガ(きゅん)とみどりさんは、二人とも『古生物』が好きなんだよ~。え? 『古生物』って何かって? ほら、アンモナイトとか、恐竜とか、ああいうやつ……。特にみどりさんはその知識がすごくってさ、大人向けの講座にも行ったりとか? それでユウガ君はみどりさんをリスペクトして、もう『推し』って感じでね〜。うん? それはいつからかって? うーん、3年生のときからだったかな……、あの年は、たしかベルるんはみどりさんやウチらとは違うクラスにいたよね」

サラちゃんは美鈴のグループのメンバーだけれど、同時にみどりの「お世話役」(と、美鈴は理解している)アサヒのお友だちでもある。サラちゃんは動画とゲームにどっぷりの子で、動画配信の人みたいな、癖の強い喋り方をする。例えば、(くん)を「きゅん」と言ったり。そして「ベルるん」という奇妙なニックネームで美鈴を呼ぶ。それらは全部美鈴からすると「微妙」なのだけれど、みどりやアサヒの様子を伝えてくれる子として、サラちゃんは使える。

「でも、大丈夫だよ~。ユウガ君がみどりさんのことが好きとか、そういうのじゃないのは間違いない。ウチにはわかるよ。うん、間違いないよ〜」
「そうかな? そう言ってくれるとちょっと安心するかも。サラちゃんありがとう」

サラちゃんはギークだが、色々なことが良く見えていて、しっかり人の心のツボを押さえられる子なのかもしれない。だからこういう言葉でさらりと美鈴の気持ちをフォローしてくれる。そういうところはいい子、と美鈴はみとめる。
教えてくれて、心配してくれてありがとう。でもサラちゃん、わたしもう、ユウガ君のことがどうでも良くなってきたかも、と美鈴はこっそり思う。実はちょっとユウガ君に幻滅したのだ。美鈴から見ると「恐竜」なんて、小さい子がハマるもの。美鈴が幼稚園に通っていたころ、「恐竜」をモチーフにした子ども向け番組がテレビで放送されて、乱暴な子たちはそれを真似して戦いごっこをしていた……だから恐竜が好きな子を幼稚だとしか思えない。そんなものに6年生にもなって熱中しているなんて、ユウガ君はどうかしている。

だから美鈴はみどりのこともユウガ君のことも放っておいた。みどりに関わらない方がいいことは過去の失敗から学んでいるし、そもそも関わりたくない、嫌いだから。ユウガ君については、突き放すのではなく相手から関わってきたときだけニコニコと丁寧に接し、自分からは近づかないようにした。それだけで十分に「ユウガ君との関係は現状維持」の雰囲気は出せるのだから。二人のことは頭から追い出して、キラキラの、皆に好かれる子であることだけに集中した。そうやって過ごしていると新しいクラスでもどんどん自分の周りに人が集まって、気分はとても安定する。

春と夏はそのように過ぎた。夏休みに例の写真がメッセージアプリのグループで流れてきたときにはギョッとして、「やられた!」とも思ったけれど。
あのときは、即「かわちぃ(かわいい)」「うちゅくちぃ(うつくしい)」と返事をしながらかわいいスタンプを送り、後はスマートフォンをベッドに投げつけて、騒ぎが収まるのを待った。サラちゃんはたぶん、深く考えず「バズらせる」ことだけを目的にこの写真をアップロードしたのだろうと美鈴は想像した。この騒ぎで一番はしゃいでいたのはサラちゃん本人だったから。そういうわけで、「クラスの隠れた美少女騒動」はすぐに静かになり、学校が再開すれば休みの前と変わらない二人がいて、全部がなかったことみたいになった……。そう思っていたのだけれど。

「そうかあ。みどりさんも受験かぁ。うん、ちょっとそんな気はしていた。で、どこを目指してるの?」
「××女子」
「おおっ! すげえ!」

3時間目に音楽があるあの日、移動の準備をしなければならないから校庭での遊びを少し早く切り上げて教室に戻ってきたら、みどりとユウガ君がそんな話をしているのが聞こえた。受験? ユウガ君については本人が公言しているから知っている。でもみどりが? あの子が変なふうに頭がいいってことは良くわかってる。でも学校の勉強にはなじんでいないはず。そんな子が受験? そんなことがある? ××女子って、ユウガ君が言う通りすごい所なの? ええ? 美鈴は彼らの会話を一言も聴き洩らすまいと耳をそばだてた。いくら聞いたって、受験生でない美鈴にわかることはごくわずかだけれど、聞かずにはいられなかった。断片的にわかったのは、みどりが小4の後半から受験の準備のために塾に通っていたこと。受験勉強がうまくいっているらしいこと。××女子の制服がクールだってこと……。
意味が全然わからないのに、自慢話をされているような気がしてモヤモヤした。「あの」みどりに「自慢されている」って、どういうこと? と思って腹が立った。

ちら、と様子とうかがうと、二人の会話に強制参加させられているようなアサヒは、じっと下を向いて何も言わない。その表情がすごく固い。それで、あの子も二人が話していることの中身が分からないんだと気付いた。そこから、みどりが受験することを、多分アサヒも今日初めて知ったんだ、と察した。
音楽室への移動のとき、みどりの頬に鉛筆汚れが残っているのを美鈴も見た。そして、あっ、と思った。こういうのって、いつもならアサヒが拭いてあげりしているやつよ、と。でも今日のアサヒは知らんぷり。それも、ああそういうことね、と理解した。

「××女子学院中等部」。
それが、みどりが受けようとしている学校の正式名称だった。家に帰ってから美鈴は調べた。みどりがどんな世界にいこうとしているかをちょっと見てやろうか、くらいのノリで。だってみどりは「わたしみたいな子も通っている」って言っていた。それはやっぱりそういう意味のはずだから、少し調べれば全部がはっきりして、みどりに見下されているような気持ちを追い払えると思ったのだ。

「××女子」とスマホで検索したら一発でわかった。所在地、公式サイト、偏差値とそのランキング……。
「××女子」は中高一貫の女子校。立地は超のつく都会。明るい校舎、充実した設備。制服は知的でスタイリッシュなブレザー、下はスカートでもスラックスでも好きな方を自由に選べる。公立中学の無難な制服より、ずっとイケている。たしかにこの制服は、アサヒの発表会のときみたいに整えたみどりが着たなら間違いなく映える……ユウガ君の言うとおりだ。

そして、偏差値のランクにもインパクトがあった。上から数えたほうが早い、難関校のひとつだった。
「わたしたちは、新しい時代に羽ばたく女子の、個性と才能、知性の伸長を使命にしています」と学校案内にあった。高度で特色ある授業、社会の第一線で活躍するOGを招いてのキャリア教育、多種多様な部活、海外研修、生徒主導で盛り上がる文化祭……。紹介されているなにもかもがまぶしい。卒業後は「国立、私立問わず難関大学への進学者が多い」、「理系に強く」「海外大学への進学者も増えている」とのこと。そして「入学試験や学校生活において配慮が必要な方はご相談下さい」との添え書きもあった。

調べているうちに美鈴は気持ち悪くなってきた。軽いノリで検索したことを後悔した。あの子がこんな世界を目指していたなんて。今まで下に見ていたみどりが実はすごく高い場所にいて、こっちを見下ろしている……そんな気がした。
みどりでない別の子から似たような話を聞いたことはこれまでにもあった。実は難しい学校を目指しているの、って。でもその時は、色々深く考えず「すごい! 頑張って!」と応援することができた。でも今回は駄目。ああ、クソ、知らなきゃ良かった、こんなこと。この気持ち悪さをひとりで処理するのは美鈴には無理だった。
無理だったので、ママに話した。

「ママ、『あの』山田みどりが受験するんだって」
「ふぅん? 『あの』子、公立中学だと苦労しそうだものね、無難な選択ね、無理せずに自分に合ったところに行くのが一番……」
「××女子ってところを受けるんだって、今のところ受かりそうだって」
「は? えっ!?」

ママは「××女子」という学校を知っていた。どんな学校なのかも知っていた。つまりそれくらい「××女子」はすごいところなのだ。有名で、受かったり、通学したりすれば「すごい」「頭が良い」と特別視されるようなところなのだ――。
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