アサヒ・リヴァイヴ、あるいは子犬たちのワルツ④

文字数 1,538文字

隣家の末っ子の名前は「ハルト」という。最近多い名前だ。当てられる漢字はそれぞれだが、このように読む名前はどの学校のどの学年にも2、3人はいるように思う。「ユニークな名前」でも、「よその子と被らない名前」ではない。
ただ、彼の「ハルト」に当てられた漢字はなかなか強烈だった。唯一無二で、やりすぎの感があった。どういう文字が当てられていたのか具体的には書かないが、おそらくは父親のセンスによるものだろうと周囲は想像した。人を見た目で判断するのは良くないが、父親には「この親なら」「いかにも」と感じさせるものがあったのだ。

この父親が家族に対して抱えている問題は明らかだ。子どもの名前を見てもわかる通り、家族を自分の良いようにしようとしすぎ、ボスになろうとしすぎるのだ。だから家族との諍いが絶えなかったし、それに耐えられなくなった者は出て行ったのだろう。
ちなみに出て行った二人の兄たちの名前も、ハルトに負けず劣らずのインパクトがあった。でも、どの子どもの名前も「読みだけならば普通」だった。この点については、おそらくは常識人であり、戦える人でもある母親が頑張ったのかもしれない。母親は懸命だった。それは傍から見てもわかることだった。自分の夫が引っ掻きまわしていったものの軌道をどうにか修正しようと必死に戦っていた。子どもたちの気持ち、周囲との関係……。それで喧嘩もした。そうとう激しいやり取りもあった。
結局母親は次男と一緒に出て行ったけれど、決してハルトを見捨てようとしたわけではない。ハルトも連れて行こうとしていた。けれどそれを断ったのはハルトだ。自分が母親や兄弟と一緒に出て行ってはいけないこと、その理由がハルトには分かっていて、それを無視できなかったからだ。
何が? ハルトには何がわかっていたのか? それは父親が抱える「さびしさ」のようなものかもしれない。それで家に残ってしまった。ハルトは優しい子だ。自分も出て行ってしまったら父親はどうなるのか? と案じたのだ。友だちと離れたくないからここにいるのだと周囲には説明していたが、それは表向きの理由に過ぎない。そうして今の状況に至る。
父親は、ハルトの思いに気付いていたのだろうか? そしてそれに応えようとしただろうか? 父親は、ちゃんとハルトの世話をしているようには見える。父一人子一人の生活でもみすぼらしくなった感じがない。実はこれはすごいことなので、それができていれば充分と言えば充分なのかもしれない。親が子どもに果たすべき義務はちゃんと果たしているのかもしれない。
けれど、この父親は何かを間違えやすい人間でもある。間違えて周囲を傷つける。そして相手が負った傷に鈍感なのだ。
父親の間違いは多分「家」に執着したこと、「家」を自分だけのものだと思ったこと、子どもたちがヒビをいれたガラス窓に「前向きな言葉」をちりばめたポスターを貼ってごまかしたこと、そして、いなくなった人間の代わりに犬を飼い、いなくなった相手に対するのと同じように接してしまうこと……。これらは多くの人から見て「何となくおかしい」「気持ちは分かるがおかしい」と感じられる行動かもしれない。「おかしいけれど、しかたがないね」と。でも「なぜおかしい」「ならばどうすればよかったか?」「何ができたか?」「これからどうするべきか」と問われれば答えられないものでもあるかもしれない。

傍から誰かの行動を見て、それを何かがおかしいというのは容易だ。でも、そこから先に踏みこんで関わることができる人が、ありきたりな言葉や方法を使わずにそれができる人がどれだけいるだろうか。
いや、そういう人はなかなかいないのだ。そもそも、こんな危なっかしい家庭にすすんでかかわろうという人はいない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み