トンネルのつながる先Ⅱ<上>

文字数 3,900文字

アッキーとの付き合いも長い。

みなが集まる「ドラえもん公園」のすぐそばに住んでいるアッキーである。
低学年の夏休みには、公園遊びの合間にアッキーちの庭で、おばあちゃんが削るかき氷を御馳走になったこともある。味はいつも「みぞれあずき」だった。アッキーのおばあちゃんはいつも粒あんをたくさん氷に載せてくれた。ガラスの器にたっぷり盛ってもらった甘いかき氷の味は今でも思い出せる。
アッキーの家はお父さんもお母さんも働いているので、アッキーは昼間、おばあちゃんと一緒に過ごしていた。おばあちゃんと一緒に住んでいたわけではないという。おばあちゃんはアッキーの住んでいる家から少し離れたところに住んでいて、アッキーが学校から帰ってくる時間にあわせてアッキーの家に行き、アッキーを出迎え、おやつやご飯を食べさせ、夕方に自分の家に戻るという生活をしていたと聞いた。「お母さんのほうのおばあちゃんなんだよ」「それで遠慮しているんだよね」と教えてもらったことがある。ちなみにおじいちゃんのほうはアッキーが産まれる前に亡くなっている。それもあって、おばあちゃんにとって一番大事なのはアッキーの面倒をみることだったようだ。

夏休みのように長い休みが続く時には、お昼前から来てくれていたという。おばあちゃんとお昼を食べ、午前中に終わらせた宿題を見せてから、楽しい夏休みの午後が始まるのだった。
アッキーはおばあちゃんっ子だった。こんな風に暮らしていればおばあちゃんっ子になるのは全然不思議じゃないとおれは思う。おばあちゃんはアッキーだけでなくおれたちにも優しかった。「アキ君のお友だちだから」と、とても大事にしてもらった。
……。
やべ。思い出したら涙が出てきた。
あの時のことを思いだすと辛いけれど書く。
おばあちゃんは、小3の冬に亡くなってしまった。お正月が明けてすぐのころだったと思う。実はおばあちゃんは前々から病気だったのだという。それが悪くなって、思っていたよりも悪くなって。入院したけれど治る感じじゃなくて、亡くなったんだって、教えてもらった。
その後しばらくアッキーは大変だった。学校に来れなくなって、みなで何度も宿題やお便りを届けに行った。お父さんとお母さんが交代で仕事を休んで、アッキーを一人にしないようにしていた。そのうち、アッキーはまた学校に来るようになって、放課後はまたみんなに混ざるようになって、年度が終わるころには元気になったように見えた。

でもそれは、「そう見えた」だけだったんだ。おれはちゃんとわかってなかった。人の寂しさはそんなに簡単になくなるものではないって。
そのことをおれは小4の夏休みに知った。

***

今から思えば、小4の夏休みはみなが自由に集まれた最後の夏休みだったと思う。
受験塾に行き始めたやつもいたけれど、毎日のように通っていたわけではなかったから、みなそれなりに公園で遊べていたのだ。この季節に公園で遊ぶとなれば、当然持ち寄るのはウォーターガンだ。おれたちのウォーターガン熱は、この年になっても冷めそうで冷めなかった。
照りつける夏休みの日差しの中を、熱い砂利の上を、公園の木々が濃く落とす影をくぐり、蝉の鳴き声が降る下を、おれたちはウォーターガンを手に走り回った。

「まって」

七月の終わりが近いある日、俺たちと一緒に走り回っていたアッキーが、何かに気付いたかのように足を止めた。探し物をするようにあたりをきょろきょろと見回して、すぐそばにあった土管トンネルに駆け寄った。土管トンネルは、あの頃この公園が「ドラえもん公園」と呼ばれる理由になっていた遊具だ。ドラえもんに出てくるみたいな土管が小さな山の中に埋まっていて、そこをトンネルのように通って遊ぶことができる。
でも、おれたちはその中に入ることは、このときにはもうなかった。小2のとき、不思議なおじさんが突然この公園に現れて、このトンネルに入って消えたという事件があったからだ。おれたちは、そのおじさんは「このトンネルを通って別の場所からやってきて、またこのトンネルから別の場所に行った」と思っている。だから怖くて入れない。あまり近寄りたくもない。入ったらおれたちもまた別の場所に行ってしまうような気がして。

それなのにアッキーはそんなことは忘れてしまったかのように、どんどん土管トンネルに近づいて、片側の入り口に頭を突っ込んで中を調べ始めた。
心配になってみんながアッキーのそばに集まった。

「聞こえる。おばあちゃんが呼んでる。かき氷を作るよ、って」
「えっ?」
「聞こえる。トンネルの向こうから……」

おれたちは、今にもトンネルの中に這っていきそうなアッキーを、どうにか宥めて落ち着かせ、トンネルから離れさせた。とにかく今、アッキーをトンネルの中に入れるのはまずいという気がしたからだ。

けれど多分その時から、アッキーはトンネルに取りつかれてしまった。おれたちと遊んでいても、ずっとトンネルのことを気にしているようだった。放っておけばアッキーはきっとトンネルに入るだろう……。入ったからってなにも起こらないかもしれない。いやきっと起こらないだろう。でも。

「やばいよなぁ。アッキー」

そんなアッキーの背中を見ながら、ジン君が心配そうにつぶやいた。ジン君は基本的に怖いもの知らずのキャラだけれど、小2の時に知らない人に連れ去られそうになってから慎重になった。自分の想像がおよばないものに対する「畏れ」みたいなものを備えたように思う。

「今のアッキーをあの土管に入れるのはダメだ。絶対にダメ。おれたちが見張ってないと」

ジン君はそう何度も繰り返した。もちろんおれも同意見だ。みんなもうなずいていた。おばあちゃんが亡くなったことでアッキーがどれだけ傷ついたか、みんな本当によく知っていた。そして、その痛みがまだアッキーの中からなくなっていなかったことを今更のように知って、何ともいえない気持ちになった……。

夏休みの始めのほうはこんな風に過ぎた。
8月に入って、旅行に行ったり、それぞれのおじいちゃんおばあちゃんの家に泊まりに行ったりという子が現れはじめ、公園に集まる面々が少ない日もあるようになった。
そんなある日、公園でアッキーとおれと二人きりになったときのことだ。
おれは前日に、その日はアッキーとおれしか公園に来ないと知っていたので、親に頼んでチューブ入りのアイスをおやつに持ってきてもらうように頼んでおいた。親もアッキーの事情は知っているので、こういう頼みは断らない。
その日はウォーターガンの撃ち合いはせず(これはみなでわあわあ騒げるから楽しいもので、一対一でやるものじゃない、という気がする)、ブランコを漕いだり、広場でフリスビーを投げたりして過ごした。
そのうち3時になって、親からアイスが届いたので、おれたちはベンチに座り、チューブの封を開けて中身をすすりながら、互いに色々ととりとめのないことを話した。
夏休みの宿題はどれくらい済んだか。自由研究は何にするか。プールには行ったか。子ども会の夏祭りの露店のくじで何を当てたか……。
そんなどうでもいいような話をしていたとき、アッキーがぽつりとつぶやいた。ぽつりと、でも何か心を決めたような口調でつぶやいた。

「マサ君?」(アッキーはおれのことをマサ君と呼んでいた)
「うん」
「もうすぐお盆だよね」
「あ? ああ。そうだよね」

アッキーは、空になったアイスのチューブにふっと息を吹き込んだり、つぶしたりしながら、何かを話すかどうか悩んでいるように見えた。何度かチューブを膨らまして、つぶしてを繰り返したあと、こういった。その言葉はおれを少なからずぎょっとさせた。

「お盆にはさ、つながるんでしょ? あの世とこの世がさ」

お盆にはあの世とこの世とがつながって、あの世に行った人たちがこの世にいる親しいひとたちのところへ帰ってくる、という話は聞いたことがある。お盆はその人たちをもてなすための行事なんだって。

「お盆にはおばあちゃんも会いにきてくれるのかな? いや、こっちからおばあちゃんに会いにいくことはできないのかな?」

アッキーはそう言って、例の土管トンネルを見やった。

「会いに行くって、それって……」

アッキーがとんでもないことを言い始めたので、おれはすごくドキドキした。アッキーがとんでもない発想に取りつかれていることがわかった。

「変な意味じゃないよ。おばあちゃんのいるところにちょっとだけ行って、会って、戻ってくる、それだけ」
「『それだけ』って……」

アッキーがあんまりなことをサラッというのでおれは面食らった。だって「それだけ」って、全然「それだけ」じゃないぞ。そもそもそんなことができるのだろうか? とてもそうとは思えない。何を言っているんだろう、と思う。
そんなおれの考えを読んだかのように、アッキーは続けた。

「できるよ。多分できる……。ううん。できなくても、やりたい。やって、確かめたい」

アッキーは土管トンネルを見ながらそう言い切った。

「聞こえるんだよ。おばあちゃんの声が。あのトンネルから。ずっと。あのトンネルの向こうの世界で、おばあちゃんはトンネルの向こうにいる僕と一緒に夏休みを過ごしているみたいなんだ」

その世界がどこなのかはわからないけれど。そう言って、アッキーは少しだけ笑った。
そんなアッキーを前に、おれは何も言えない。
アッキーはすごく怖いことを考えて、とても現実的ではないことを信じて、それをやろうとしている。正直おかしいと思う。けれどそれが、それを信じて願うことがアッキーにとっては希望なのだ。そのことが分かったからだ。
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