美鈴(ベル)の完璧な世界①

文字数 2,234文字

「本当は」

本当は「ベル」と読ませたかったのよ、とママは言った。
それを美鈴は覚えている。
「美鈴」と付けた名前を「ベル」と読ませたかったと。いや、「ベル」「ベル」「娘に『ベル』という名前を付けたい」と思いながら「美鈴」という字を考えたのだ、とも。「鈴」は「ベル(bell)」。「美しい子」も「ベル(belle)」。ならば「ベル」という名に当てる漢字は「美鈴」しかない、と。
なぜママがこんなに「ベル」という名前にこだわったかというと、ママはディズニーの古い映画が好きで、中でも「美女と野獣」がお気に入りで……そのヒロインの名前が「ベル」だからだ。王子に掛けられた野獣の呪いを解く、美しくて聡明で勇敢な「ベル」。ミモザ色のドレスをまとうディズニープリンセス。
でもね、とママは言った。そうすると、個性的すぎる名前になっちゃうでしょう? だから普通に「みすず」と読むように出生届は出したのよ。でも、ママにとってあなたは「ベル」よ。美女と野獣の「ベル」のように素敵な子になってね、と。
美鈴はママと一緒に「美女と野獣」を沢山観た。昔のアニメ映画だけじゃなく、実写版の映画も、ミュージカルも観た。その度ママは美鈴に言った。「あなたもこんな素敵な子になって」と。それを聞くのは決して嫌ではなかった、と美鈴は思う。だって「ベル」は素敵なプリンセスなのだもの、あんな風になりたいと思わない子はいない、と。

「だからわたしのことは『ベル』って呼んでね」と、美鈴は自己紹介のたびに言うのだ。
クラス替えのときや、転校生が来た時に。少し恥ずかしそうな、困ったような笑顔と一緒に。
それはものすごく感じが良くて、誰もがそれを受け入れて、彼女を「ベル」と呼んでしまうのだった。「表面的」には「皆」が。そのはずだった。そうでなくてはいけなかった。皆にそうさせるために、美鈴は大変な努力を続けているのだから。
髪型や服装は研究を重ね、小学6年生らしさや清潔感を重視しながらも、おしゃれと褒めてもらえる見た目にしている。その甲斐あって「クラスで一番かわいい子」と言われることもある。喋りかたはハキハキ、身のこなしもきびきびとして、溌剌とした子というイメージを持ってもらえるように気をつけている。友だちは多く、クラスの女子のリーダー格。委員会活動が始まる4年生からは、年に一度は必ず「学級代表」または「児童代表」を務めている。学芸会でもらう役も当然主役級。演技がうまいわけではなく、いかにも「優等生の朗読」といった感じの芝居なのだが、小学校の学芸会の大きな役は大体華があって目立つ子が持っていくものだ。
もちろん勉強もわるくない。中学受験に挑む子たちほどできるわけではないが、学校の「カラーテスト」は90点より下を取ったことはない。スポーツだってそうだ。クラブに所属して厳しい練習をしている子たちにはかなわないが、それでもできる。どんなことでも普通以上にできる。運藤会のリレーの選手にも必ず選ばれる。
これだけいろいろ揃っている子どもが先生に嫌われるわけがない。
だから美鈴は「ベル」なのだ。自分を「ベル」と呼ばせることをクラスメートに要求してもいいのだ。安藤美鈴はキラキラ輝くクラスのプリンセス「ベル」。それを周囲に納得させるのは並大抵のことではない。でも、それをやってのけている。わたしはちゃんとやっている、と美鈴はいつも思っている。

それなのに。それなのに。

「へっ? えっ!?」

教室の隅から心底驚いたような素っ頓狂な声が響いた。
6年生に上がってすぐの、「学活の時間」に自己紹介をしたときのことだった。美鈴たちが通う学校は、ここしばらく、毎年クラス替えをしていた。以前は2年に一度のイベントだったけれど、「こまめにクラス替えをして、色々な人と関わる機会を作ろう」という空気に変わり、こうなった。
去年のクラスのままがよかったな、と美鈴は思う。友だちはサイコーだったし、担任の先生もわたしのことを気に入ってくれていた。それなのにクラス替えでリセット。でもまあ、もう6年生だし、クラスにいるのはほとんどが知っている子。仲がいい子も多い。でもね、そういう中に混じっているのよ……。一緒のクラスにはなりたくなかった子が。

「えっ!? あのベル? 黄色いドレスのあのキャラ?」

ああこの声。「また」、「こいつ」だ。
ひとがせっかくいい感じの自己紹介をしているというのに水を差す……。美鈴はぎりりと奥歯を噛みしめた。けれどそれに気づかれないようににっこりと微笑み、目をしばたかせながら小首をかしげ、声が聞こえた方を見た。
そこには予想していた通りの顔があった。山田みどり。変わり者の女子。これまでに何回かクラスメートになったことがある。でもできれば関わりたくない相手。今年度のクラス替えで一番嫌だったのが、こいつと同じクラスになってしまったことだ。
山田みどり、空気の読めないやつ。わたしが頑張っていること全部、何一つとして頑張っていないのに、それが許されているように見えるやつ。
みどりの顔を見た瞬間に沸き上がった暗い苛立ちを隠して、美鈴はキラッキラの笑顔を作った。

「そうなの。その『ベル』なの。山田さんとはこれまで何度も同じクラスになっているし。だから今年こそ覚えてくれるとうれしいな」

そして「よろしくね」と笑う。自己採点では満点の、感じの良いレスポンスだ。でも微笑みながら睨まずにはいられない。

(嫌い。こいつ、嫌い。ほんっとーに大嫌い!)と。
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