美鈴(ベル)の完璧な世界⑬

文字数 3,773文字

「立ち聞きをしてごめんなさい」と美鈴は先生に詫びた。

「実はわたし、最近はアサヒさんと一緒に帰っているんです。みどりさんとアサヒさんが別れた辺りで追いついて……。けれど今日はみどりさんが先に帰ったようだったので、アサヒさんとの間で何かあったのかもって、様子を見に教室に戻ってみたんです。そうしたら……」

とっさにこれだけすらすらと事情を説明できる子どもは他にはなかなかいないだろう。
先生は何かを考えるような表情で美鈴の目をじっと見ていたが、しばらくしてこう応えた。

「そう。立ち聞きは良くないけれど事情はわかりました。それでさっき美鈴さんが、『たぶんわたしのせい』と言ったのはどういうことなのか、教えてもらってもいい?」

美鈴は説明した。自分がアサヒと仲良くなりたくて一緒に帰ったり、休み時間の遊びに誘ったりするようになったこと。そのときみどりにも声を掛けるが、彼女はどうしてもこちらに混ざろうとしないので、別行動になってしまうこと。それで、アサヒとみどりが一緒にいる時間が減ってしまったこと。そして、みどりがこちらと距離を置き続けることにモヤモヤしている子たちがいること――。

「だからわたしが悪かったんだと思います。アサヒさんに声をかければみどりさんもついてくると思い込んで……でも……。それでみどりさんがこうなってしまって……悪いことをしました」

悲しそうにうなだれる美鈴の表情をうかがいながら
(――ふぅん、なかなか言うわね、この子。大したものだわ)
と先生は思った……。

安藤美鈴、あだ名はベル。
前年度の担任は絶賛していた。彼女がいると教室の空気が荒れない、彼女としっかりコミュニケーションを取れば反抗的な児童がいてもクラスはまとまる、いや、彼女がまとめると。確かにその通り。彼女は半年間評判通りに動き、学級は安定した。
控えめに言っても安藤“ベル“美鈴は非凡な子どもだ。集団をまとめる勘と行動力、魅力、人望……全部を備えている。これは、目立つタイプの児童がノリでクラスの雰囲気を作るのとは違う。

けれど違和感もある。彼女が表と裏で顔を使い分けていることに、先生は薄々気づいている。先生に協力しながら、信頼できる友だちには本音をこぼす……こんなのやってられないよね、ダルいよね、と。そういうことをやっている気がする。もし彼女が表の顔だけの子ならば、ただの「大人の言う事を聞くだけのつまらない子」として皆にそっぽを向かれるだろう。美鈴の周りの子たちは彼女の裏の顔や本音に共感しながら、彼女の表の顔、優れた面を尊敬するのに違いない。

″ひとたらし″

そう、美鈴はまさに優秀なひとたらしだ。先生には分かるわよ、そんなことくらい。でも、それは別にいい、とも先生は思う。これは大人でも普通にやることだもの、と。そして、私が気にしているのはもっと別のこと……。

今回起こっていることは、今までの美鈴の動き方と照らし合わせるとおかしい。クラスをまとめる力がある美鈴が、クラスに生まれつつある分断を放置している。しかもそれに関わっているのは彼女のグループのメンバー……。そこにどんな意味があるのか? まず考えられるのは「エリカ、メイなど、グループの主要なメンバーの機嫌を損ねないため」という理由。これは充分にありうる。いい子面して仲間をコントロールしようとすれば、当然反感が帰ってくるはず。そうすれば美鈴は孤立してしまう。この子は、絶対にそれを避けるだろうと先生は読んでいる。

もう一つは……なかなか意地が悪い想像だけれど「自分の手は汚さず、かわりに仲間に陰口を言わせている」というもの。自身は分断の引き金だけを引いて、後は流れに任せ、仲間が勝手にみどりを攻撃し始めるのを待つのだ。「みどりはアサヒについてくると思った、でも実際は……」と美鈴は言った。でもそれは本当かしら? と先生は疑う。美鈴さん、あなたは本当にみどりさんがアサヒさんについてくると思っていたの? みどりさんがそういう子じゃないってことくらい、空気を読むのが得意なあなたならわかっていそうな気がするのだけれど……。ということは、あなた、もしかしたら……?

先生は思いをめぐらしながら美鈴をじっと見据えた。眼の前のこの子とみどり、過去に二人の間で何かトラブルはあっただろうか? 正反対の二人だ。わかりあえず、許しあえず、何かがあったとしてもおかしくない。けれど今はまだ全て推測でしかない――。だから今はこれだけを伝えた。

「なるほど、そういうことがあったのね。美鈴さんがアサヒさんたちのことを遊びに誘ったのはとてもいいことだと思います。それでアサヒさんとみどりさんの行動が別になってしまったのも、仕方がないといえば仕方がない。それにみどりさんがアサヒさんに頼りすぎていたのも事実。みどりさんには『困ったときに人に頼るのはもちろん良いことだけれど、自分ができる範囲で頑張ることも大事、そして誰かひとりにだけ助けてもらうのではなく、他にも信頼できる人を見つけるのも大事、もちろん先生や学校のことを遠慮せずに頼るように』と、話しました」

「だから美鈴さんもみどりさんが困っていそうなときには是非彼女の力になってほしい」という先生の言葉に、美鈴は「はい」と頷いた。真面目な顔で、少しだけ微笑んで、いかにも誠実そのものという様子で……。



「うぇ~い。アサたんもベルるんもおつかれ〜。長くなりそうだから、グループのみんなには先に帰ってもらったよ〜。『ベルちゃんごめんね』ってみんな謝ってた〜」

教室から出たアサヒと美鈴のことを、サラちゃんが昇降口で待っていた。サラちゃんの独特な喋り方は、彼女が好きな動画配信者のマネだ。でもそれだけではなく、場を和まそうという、サラちゃんなりの心遣いの表現でもある。
アサヒ、美鈴、サラちゃんは横に並んで学校を出た。

「こういうの、何か新鮮だねぇ〜、ウチらが揃って学校から出るの、初めてだよね〜、うん」

そうだ、この3人で最初から一緒に帰るのはこれが初めて。いつも、アサヒがみどりと別れたあたりで、美鈴とサラちゃんが追い付いているのだから。それに、美鈴とサラちゃんも最初からふたりきりではない。学校を出てしばらくはグループのみんなと一緒なのだ。

「アサヒちゃん」

歩きながらサラちゃんのおしゃべりを黙って聞いていた美鈴が静かに口を開いた。

「アサヒちゃんはどうしたい? みどりさんとの関係を、このまま続ける? それとも?」

サラちゃんのおしゃべりがぴたりと止んだ。美鈴はちらりとアサヒを見て少しだけ微笑み、また前を向くと言葉を続けた。

「ごめんね。キツいことを言っちゃうかもだけど……。みどりさんはアサヒちゃんにすごく失礼なことをしているとわたしは思う。一番仲良しなはずのアサヒちゃんに大切な……進路のことを教えなかったのに、ユウガ君にはあっさり話した。それはなんで? アサヒちゃんには……わたしもアサヒちゃんと同じだけれど……受験のこと……みどりさんやユウガ君がいる世界のことはわからないから? どうせ話したってわからないって思っていたから?
「夏休みのアサヒちゃんのピアノの発表会の、サラちゃんが送ってくれたあの写真……実はあれもひどいと思った。ううん、サラちゃんのことを悪く言っているんじゃないの。サラちゃんごめんね。わたし思ったの、あの写真……あの日の主役はアサヒちゃんなのに、アサヒちゃんがあんなに可愛くて素敵な格好をしていたのに、みどりさんの方が目立っていて……なんだか……うまく言えない……。
「それに、みどりさんと一緒にいられるのはあと半年くらいだよ。それまで、アサヒちゃんはみどりさんのために一生懸命頑張って……頑張ったとしても……みどりさんはそんなことはお構い無し、アサヒちゃんを置いて一人でキラキラとした場所に行ってしまう……」

アサヒちゃんはそれをどう思うの? そう問われてアサヒは困った。今までそんなことを考えたことはなかったから――。

いや、本当に?

本当に考えたことはなかった? 正直に言うなら、モヤモヤを感じたことは何度かあったはず。もしかしたら、それを言葉にしたら、ベルさんが言うようなことをわたしは感じていたのかも……。そう考えるとみどりに対する苛立ちが湧いてくる。けれど同時にみどりを裏切る罪悪感も感じて頭がぐるぐるする。

「でも、でもね、アサヒちゃん。わたしは『良かった』とも思うの。みどりさんがわたしたちとは別の学校に行って『くれる』なら、アサヒちゃんは中学校生活をアサヒちゃん自身のために過ごせるようになるから。
「アサヒちゃんは自分がしたいようにしていいと思うよ。なんなら中学生になるまで待たなくたっていい、今からそうしていい――そんな気がする。アサヒちゃんはすごく優しいから悩むかもだけど、アサヒちゃんがやりたいようにやれるよう、わたしは応援するから……今日みたいに」

なぜベルさんはわたしにこんなに親切にしてくれるんだろう? とアサヒは不思議になる。こんなにわたしのことを見て、気持ちを考えてくれて、まだ仲良くなったばかりなのに……。でもそれはベルさんがそういう子だからかもしれないとも思う。人の気持ちがわかって、それを大事にする子。親身になって人と関われる子……プリンセス・ベル……。
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