オオシマ・ジンの 尋常ならざる夕方5時(ループ・ゼロ・アワー)<上>

文字数 4,305文字

「それはジン君の身に起こったことだった」

とおれたちは知って仰天した。
おれたちが小2だったあの年の初夏のことだ。
前日の夕方に、近所で子どもの連れ去り未遂事件があったと朝の会で先生から説明があった。

「連れ去られそうになった子は無事で、犯人と思われる人も捕まっていますが、今日は集団下校になります」

とことだった。
その連れ去られそうになった子どもというのが同じクラスのオオシマ・ジン君だった。もちろん先生がそんなことをみんなに教えるはずがない。ジン君本人がこっそりおれたちに教えてくれたのだ。

「何度も間違えて、ほんとヤバイ感じだったんだけれど、なんとかうまくいったよ」
「うん? 何それ?」

ジン君は皆にはそれしか話さなかった。けれど俺には、何があったのか具体的に教えてくれた。「マサトにだけは教えてやるよ」と言って。

ジン君はもともと興奮しやすい子だけれど、前日にとんでもない経験をしたせいか、その日はいつもに輪をかけてテンションが高かった。だからおれには正直、ジン君が何を言っているのかわからなかったところもある。
けれど、その日ジン君に起こったことは、多分、ジン君が落ち着いて話しても「何を言っているのかわからない」ことだったかもしれない。それくらい奇妙なことが起こった。ジン君が語ったことをそのまま信じるならば。
これからその話を書く。ジン君が話してくれたことをできるだけ変えないように書く。

この事件からはもう何年も経ってしまったけれど、だからこそわかることもあるように思える。


******


TRY:1

  



防災無線が夕方5時のチャイムを流しはじめたので、家に帰ることにした。
皆で集まっていた「ドラえもん公園」(ドラえもんに出てくる土管のようなトンネルがあるのでこう呼ばれている)を離れて、家に向かって歩いた。
この公園では前に「不思議なおじさんが現れて、消えた」という変な事件があったので、その後しばらくは皆行くのを避けていた。けれど、結局またそこに集まるようになった。集まる時にはみなウォーターガンを持ってきた。集まったメンバーで適当にチーム分けをして撃ち合うゲームを毎日のように楽しんでいた。
公園を離れて、一緒だった友達とも別れて住宅街の入り組んだあたりに入り、人通りのない路地を進んだ。そして、地域猫が沢山集まってくるせいで「猫神社」と呼ばれている小さな社の鳥居の前を通りすぎたときだった。俺の隣に黒い車が停まった。

「もしもし、ちょっといい?」
「は?」

車の窓がすーっと開いて、中から声を掛けられた。知らない人だ。

「きみ、この辺の子?」
「あ? えーっと、そうっすけど?」

何だこいつ? と思った瞬間、車のドアが開いて、おれはその中に引きずり込まれた。
やばい。おれは暴れた。暴れて、車のシートに置いてあった高そうな望遠カメラを蹴飛ばした気がするが、テンパっていたのでよく覚えていない。そしてその次の瞬間、おれは頭を殴られ、そのまま意識は真っ暗になった。


TRY:2
防災無線が5時のチャイムを流した。おれは「ドラえもん公園」でそれを聞いていた。

《≪とーおきぃー やぁーまにぃー ひぃーはおーちてぇー
≫》

ちがう。落ちたのはおれの意識だ。冗談を言っている場合ではないけれどそうだ。
知らないやつに殴られて落ちた。そのはずだ。それなのに、今おれは「ドラ公」にいて5時のチャイムを聞いている。じゃあさっき経験したアレは一体何だったのだろう? なんだこれ。さっきのは夢か? 心臓がバクバクする。オエッ。

「ジン君、どうしたのぉ? なんか気持ちわるそうだけど」

そばにいた遊び友達のマサトが声を掛けてくれた。心配そうにこっちを見ている。

「いや、なんでも……。なんでもない、かな? うん」
「うん? それならいいけれど」

おれが変な返事をしたせいか、マサトは変な顔をして頷いた。
誰かが皆に声をかけた。

「そろそろ帰るぞ」
「5時になったら絶対帰ってこいって親に言われててさぁ」
「それな」

例の事件があったので、皆、親と「5時になったら必ず帰る」という約束をすることが「ドラ公」で遊ぶための条件になっていた。それが守れないなら「ドラ公」には行くなというわけ。
それでおれも皆も「ドラ公」を後にした。
家に帰る道の途中までは何人かと一緒だったけれど、そいつらと別れて住宅街の入り組んだあたりに入った。
ここまでの流れは、マサトがおれを心配して掛けてくれた一言をのぞいて、さっき経験し
同じ……同じ……。それはつまり……次に起こることも? それに気付いた途端、凄く嫌な感じがした。でも間に合わなかった。「猫神社」の前を通りすぎたとき、またあの黒い車がおれの隣に停まった。
「もしもし、ちょっといい?」
思い出したくもない。その後起こったことはその前に起こったことと全く同じだった。
さすがに間抜けな返事はせずに即、逃げようとしたけれど、駄目だった。


TRY:3

  



「ジン君、どうしたのぉ? なんか気持ち悪そうだけど」

マサトが心配そうな顔でこっちを見ている……。


TRY:4

  



「最初の回」と「前々回」おれは「そいつ」、つまりあの車の中にいたやつに殴られた。でも、殴られるたびにこのドラえもん公園の夕方5時……防災無線からチャイムが流れ出す時間……に戻っているらしいことを何となく理解した。何言ってんだか滅茶苦茶だけれどそれが全てだ。
それで「前回」は少し工夫してみた。皆と別れた後、すぐに全力で走ってみた。あの「猫神社」を過ぎたあたりで「そいつ」につかまらなければいいのではないかと思ったから。そうすれば同じことは起こらないはず。
けれどだめだった。走り出した直後に例の車は追いかけてきた。追いかけられていることに気付く瞬間はとても怖いって、その時知った。おれはそのまま追いつかれて、結局3度目も同じことが起こった。そしてまた、いま、ここにいる……。戻ってきている。

「ジン君、どうしたのぉ? なんか難しいこと考えてる?」

マサトに声を掛けられて、おれはハッとした。
ここまでの3回、結局最後は殴られてエンドだったけれど、まったく同じことを繰り返しているわけじゃない。おれが変われば何かが変わる。だって目の前でマサトの行動が変わっているじゃないか。それなら、この次に起こることも変えればいいのだ。もっともっと変えるのだ。
おれは考えた。
「猫神社」のあたりの人通りが少ない道を歩いて帰るのが良くないのは間違いない。人の目がないからやばいやつに狙われるんだ。だからその道を通らないようにすれば問題は解決するかもしれない。けれどそれだとおれは家にたどり着けない。家に帰るにはどうしてもあの道を通るしかない。

「マサトぉ。ちょっと相談があるんだけれどさぁ」

おれはマサトの家がここかから割と近い場所にあったのを思い出した。

「実は今日、家の鍵を持ってくるのをわすれちゃってさぁ。で、今、母さんが出かけているかもしれなくって……。マサトんちで母さんが迎えに来るのを待たせてもらうってこと、できる?」

本当のことを言うと、母さんは別に今、出かけてなんかいない。多分家にいると思う。つまりこれは嘘だ。嘘だっていい。要はおれ一人であの道を通らなきゃいいわけで。母さんを呼び出して一緒に帰るための嘘だ。

「ジンくーん。俺、もう帰るよ」

エージがおれを呼んだ。地元サッカーチームで活躍しているエージだ。エージと、もうあと数人はここからの帰り道が途中まで一緒なのだ。

「ごめーん。今日は先に行ってて」

おれとマサトは手を振ってエージたちを見送った。
そういうわけでおれは、マサトの家で母さんが来るのを待つことになった。マサトのお母さんが母さんの携帯に連絡をとってくれて、迎えに来た母さんと一緒に家に帰った。
帰って夕飯を食べて、テレビを見ていたとき、母さんの携帯に着信があった。

「ジン。あんた今日、公園でエージ君と一緒に遊んだって言ってたよね。いまおうちの人から電話があって。エージ君がまだ家に戻っていないみたいなんだけれど」

あんた何か知ってる? と聞かれてざわざわと全身の血が引いた。
まさかまさか。ひょっとするとそれは「おれのかわりにエージが」ってことじゃないのか? これまでと同じように動けばエージは途中までおれと一緒に帰っていたはずだったのに、今回はおれがいなかったから、エージを狙ったのかもしれない。

駄目だ。そんなのは駄目だ。おれが助かったって、そんなの大失敗じゃないか。


TRY:5
戻ってきた。
いま、ここ、ドラえもん公園の5時におれは戻ってきた。失敗だ、と思った瞬間またここにいた。
防災無線がチャイムを流している。

  



これはゲームだ、とおれは思った。正解にたどり着くまでずっとやり直しをさせられるゲームだ。正解を見つけてそこから抜け出すまで、おれは殴られ、そうでなければ誰かがおれの身代わりになってしまう。そういうルールのゲームなのだと思った。その考えは、今おれにおこっていることにぴったり合っていて、それならもうやるしかないという気になった。

「ジン君、どうしたのぉ? 何か探してる?」

あちこちをキョロキョロと見回しているおれを見てマサトが怪訝そうに聞いた。
ひょっとしたら「そいつ」が乗った黒い車は、いまこの公園の近くにいて、こちらの様子をうかがっているかもしれない。そう思っておれは公園のいくつかある出入り口を順に見て回った。マサトやエージたちは先に帰らせた。一人になるのは怖かったけれどあいつらを巻き込みたくなかった。そうしたら、やっぱりいた。猫神社の方に出るのとは反対の、出入り口の近くにその車は停めてあった。
一体いつからいたのか見当もつかないけれどいた。「そいつ」は行き当たりばったりでおれに声をかけたんじゃなくて、計画的に、おれか、おれと一緒にいる誰かをねらっていたわけだ。くそう。
おれはその車をにらみつけた。車から「そいつ」が降りてきた。首に掛けていたカメラ……最初に「そいつ」と遭った時にクルマのシートに放ってあった高そうなアレだ……を外しながら。
「そいつ」がカメラを車のシートに放り込んだのが見えた瞬間、おれはくるりと身体の向きを変えて駆けだした。いま、ここで捕まったら、今回も同じ結末を迎えることを秒で理解したからだ。
背後で「そいつ」も走り出したのがわかった。おれは必死で走った。でも。ああ。追いつかれる――!!



<下>に続く。
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