美鈴(ベル)の完璧な世界⑫

文字数 3,631文字

当たり前のことだ。
みどりとアサヒの間に距離ができればみどりのエラーが増える。それはそうだ、アサヒは陰になり日向になり、ずっとみどりのそばにいてみどりを守ってきたのだから。みどりが「普通」に近い学校生活を送るためにアサヒが果たしてきた役割はとても大きい。

とはいえ、みどりは昔のように目立つやらかしを繰り返すわけではない。みどりなりに努力してここまで成長してきているので、もうそれほど大きな失敗はしない。ぽろりぽろりと小さなミスをする程度。休み時間が終わっても絵を描き続けていたり、教室移動の時に忘れ物をしてみたり、服の裾がだらしない感じになっていたり。生理の失敗もあった。トイレの個室の片付けが不十分だった……。でも昔のみどりを知っている子たちなら、こんなことは失敗とすら思わないかもしれない、全部その程度のこと、多くの人がうっかりやってしまうかもしれないものだと。でも「その程度でも目障り」と感じる子たちが現れてしまった。これはみどりが今までに経験していなかったことだ。

「ねえ見た?」

山田さんがまたあんなことをしていた、と誰かが言う。

「見た見た」

山田さんはいつまであんなことを続けるのかなぁ……と誰かが応える。

「あのままだとヤバいんじゃない? ほら、中学には内申っていうのがあるし? 授業や生活の態度をチェックされて、それで行ける高校が決まっちゃうやつ」
「あーね……。でもそれは心配しなくていいみたいだよ……山田はそのへんはうるさく言われない学校に行くんだもん。頭がいい子を集めて自由にさせる学校に。しかも高校? ううん、高等部だっけ……? には受験無しで入れるんだって、一貫校だから。あ~、山田は頭が良くってうらやましい」

ほぉんとうらやましい! と、周りに聞こえるように大きな声を出すのはやっぱりエリカだ。受験とは関係がない彼女がみどりの志望先の様子についてなんとなく知っているのにはワケがある。美鈴グループにいるメイという子の入れ知恵だ。
メイは難関狙いの受験生で、当然みどりが志望するXX女子も憧れの対象……けれど成績がそこに届いているかというとちょっと厳しい。そんな子がみどりのことを面白く思う訳がない。しかもメイは「みどりが4年生の頃から受験の準備をしている」ということを知っていた。ほんの少しだけ同じ塾にいた時期があるのだ。大きな塾で、メイは上のクラス、みどりは下のクラスだった。メイは知っていた。みどりが下のクラスで落ちこぼれ、個別指導を掛け持ちしても何も身に付かず、塾から去って行ったことを……。なんでも講師たちから徹底的に嫌われたとか。
まあ、「あの子」なら仕方がないよね「あの子」なら、と当時のメイは思った。山田さんって頭は良いらしいけれど、すっごくズレてて当たり前のことができない子、だからドロップアウトは想定内、と生暖かい目で見ていた。それがだ。あの日聞こえてしまった。XX女子が合格圏内? 何? どういうこと? だからメイも陰口にまざる。言葉に呪いを織り込みながら。

「だめだよ。そんなこと言っちゃ。入試の結果がどうなるかは分からないんだから。そんな風に決めつけてプレッシャーをかけたら、山田さんがかわいそう」
「わっ、メイちゃんわかってるぅ」

みどりが何かをするたび、休み時間にちくちくと聞こえよがしにみどりの陰口を叩くのは、エリカとメイ、この二人と似た気持ちや立場の子、そして陰口の魅力に取りつかれた子……その人数は少しずつ増えているようだ。美鈴本人は決してそれには参加しない、けれど止めることもしない。そして美鈴が止めないので教室にいるその他の子も止めない。美鈴がやらないことを、あえてやろうという子はいない――。みどりのファンだったはずのユウガ君も何もしない。ユウガ君は面倒なことが苦手なのだ。そもそも女子のこの手の陰口は、同年代の男子には高度すぎて、簡単に太刀打ちができるものではない。うまい陰口の条件は、正論を装っていること、冗談と見分けがつきにくいこと、悪意がたっぷりのっていること……彼女たちが口にする言葉はそれらを全部満たしている。アサヒは……以前のアサヒだったら何かができたかもしれない。でも美鈴グループのひとりになりかけている今は難しい。そもそも、アサヒがみどりをかばえなくなった「から」陰口が盛り上がったとも言える。

「だよね。可能性っていうなら、山田が明日いきなり、別人みたいにしっかりすることだってあるかもだし?」

もちろんそんなことが起こるわけがない。冗談だ。彼女たちはわかって言っている。わかった上でそれをネタにしている。

「え、待って。そうなったら山田さんは毎日『あの時』みたいなビジュ(ビジュアル)で学校に来るようになるの?」
「あー、それで無敵の完璧美少女、山田みどりが爆誕しちゃうんだ?」
「えっ!? ヤダ、ウケる」

「いきなり完璧美少女って、それ、漫画かな?」「想像するとヤバい」……少女たちが笑い転げる声が教室に響く。「みどりのビジュアルが云々」というのは、夏休みのあの写真のことを言っているのだろう。あの件はやっぱり終わっていなかった。目に見える騒ぎはおさまったた。でも、隠れた美少女、しかも天才系、それなのにとんでもない変わり者……そんなみどりへのやっかみの種子は、少女たちの胸の深くに埋められて、芽を出すタイミングを計っていたのだろう。そして、その時が来てしまった。みどりについてお気の向くまま、言いたいことを言っていい時が。

少女たちがみどりをイジる言葉には際限がなく、アサヒはそれを聞いて辛くなる。こういうのは嫌、本当に嫌。みどりさんは一体どんな気持ちでこれを聞いているんだろう? こっそりと様子を伺うけれどやっぱりみどりは下を向いて何かをしていて、何を考えているか全然読み取れない。ああ、みどりさんは自分に何が起こっているのかわかっているのだろうか? わかっていてこうなのか、それとも全然わかっていないのか。

ため息をつきながらアサヒは思い返した。昨日の帰り際に担任の先生に呼び止められたことを。そして色々きかれたことを。そのあと、美鈴やサラちゃんと話したことを。

アサヒたちのクラスの担任はベテランの「デキる」先生だ。年度のはじめにこの学校に異動して即、学年主任になった。特別なニーズがある子どもたちの支援を行う役職にも就いた。きっとその仕事のために来た先生だったのだろう。みどりがいるクラスを経験や知識が浅い教諭が担当することはないのだ。そんな先生が気付かないわけがない。みどりを巡ってクラスの雰囲気がおかしくなっていることに。

「アサヒさん、ちょっといいかな? ……悪いんだけど、みどりさんは先に帰っていてくれる?」

みどりを先に帰してから先生の聴き取りは始まった。最近、みどりさんの様子がおかしいようだ、周囲とうまく行かなくなっているみたい。あなたと彼女の間で何かあった? 最近距離ができたように見えるけれど。彼女にきいても「休み時間は別に過ごしている。その他はよくわからない」というばかりたから……。アサヒは困った。「休み時間に別々に行動しているのは、みどりさんの言う通りです」と返事をしたが、その後に何を続けていいかわからない……。本当にわからない。先生は、怒ることも急かすこともしないで、アサヒが何かを語るのを静かな表情でじっと待っている。先生にはわかっているからだ。これまでどれだけどのようにアサヒがみどりに寄り添って来たかを。

「これまでアサヒさんがみどりさんのために頑張ってきたことは、過去の担任の先生からしっかり引き継いでいるし、私も半年間見てきたからわかります。あなたがしてきたことは、誰にでもできることではないと私は思う。だからこそ、最近何かあなたに気持ちの変化があったなら、できる範囲で構わないから教えてほしい。――あなたがどんな考えでも、私はあなたを責めません」

そんな風に言われてしまってアサヒはますます困った。自分がしてきたことを先生が見ていてくれたのは嬉しかった。けれど自分は、先生が自分に寄せてくれる信頼を裏切ったのではないか? 休み時間にみどりさんのことを放り出してベルさんたちと遊んだ。みどりさんがいない場所でベルさんたちとおしゃべりをした。それはもう、楽しくて楽しくて、仕方がなかった。けれど多分それがきっかけになって、みどりさんの立場が悪くなった。

困り果てたアサヒは「ごめんなさい」と言おうとした。何を言ったらいいのかわからない、でもとにかく自分が悪いのだという気がして。けれどそのとき、教室の扉がガラリを開けて一人の子が入ってきた。そしてその子は頭を下げながら……

「ごめんなさい」

アサヒが言おうとしていた「ごめんなさい」を代わりに言った。「それはたぶんわたしのせいなんです。ごめんなさい」と。

美鈴だった。
先生とアサヒの間に割り込んでアサヒをかばったその子は美鈴だった。
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