美鈴(ベル)の完璧な世界⑧

文字数 3,160文字

ユウガ君の名誉のためにはっきりと言っておく。
彼は別にみどりが美少女に変身したから彼女に馴れ馴れしくしているわけではない。周りがどう思っているかはわからないが、本当にそうだ。
彼はもうずっと前からみどりのことを尊敬していた。ずっと前、小3で同じクラスになった時からだ。その年、みどりとユウガ君は自由研究のネタが被った。みどりもユウガ君も古生物のファンで、どちらもそれをテーマに「調べ学習」をした。成果物のデキはみどりの圧勝だった。ユウガ君は賢い子で、彼の自由研究のデキも良かったのだが、相手がみどりでは分が悪い。自分のフィールドで存分に弾けた彼女に勝つのは無理だ。

「か、か、か、神ってる……!」

教室の後ろに据え付けられているランドセル棚の上に並べられた皆の自由研究の中からみどりのものを手に取って、パラパラ……とめくったユウガ君は、そう一言、上ずった声でうめいた。ユウガ君の調べ学習がいかにも小学生らしい「博物館で撮った写真と、図鑑で調べた色々」だったのに対し、みどりはそれプラス「某大学の生涯学習センターの講座で教授から聞いたこと」や、子ども向けの図鑑ではない、一般の大人向けに書かれた書籍の内容まで盛り込み、それをドキュメント作成ソフトに打ち込んで提出していた。

「今年から、自由研究は手書きでなくてもいいです」

夏休みの宿題について、先生はそう皆にアナウンスした。

「学校が貸しているタブレットでも、おうちのパソコンでも、タイピングができる人はそれで書いていいですよ」

みどりにとってはありがたい変化だった。みどりは書字が苦手なので、手書きでは自分が書きたいものを書ききることができない。でも、タイピングなら。それでみどりはやる気を出して、全てをやり切った。それがユウガ君の心に刺さった。それで彼はみどりを尊敬するようになった。ユウガ君は単純なのだ。
そのユウガ君がみどりにきいた。

「みどりさん、相変わらず絵がうまいね。ところで、今年は自由研究をしなかったの? 後ろの棚に無いよね、みどりさんのやつ。ちょと残念でさ」
「うん。いそがしいんだ」

この学校では、高学年になると自由研究はやってもやらなくてもよくなる。やりたい子、時間に余裕のある子だけがやるようになる。理由は中学校を受験する子がそれなりにいるからだろう。何年か前、高学年でも自由研究を必ず提出しなければならなかったころには「子どもが忙しいので親が代わりにやった」という話も聞く。先生も、さすがにそういうものを見るのはキツいだろう。多分そういう理由があって、今のような形になったのかもしれない。

「わたしも受験する。オカダ君と同じ」

描き上げたアノマロカリスの腹を指で擦り、立体感を与える仕上げをしながらみどりは言った。ぽろっと、何でもないことを話すかのように。
ユウガ君は「おお~! いいね」と手を叩き、アサヒは弾かれたようにみどりを見た。(え? 何それ、知らない、初めて聞いた)と。

「いろんな人から、わたしは公立中に合わないって教えてもらったから、4年の後半から塾に通ってた」

そういう話は良く聞く。頭が良く、勉強はできても癖が強い子は公立中学校では評価されにくいと。そういう子たちはテストで良い点を取っても、授業態度などでマイナスの評価をつけられたり、実技教科で(この教科こそ、授業態度が評価のキモになるのだ)さんざんな成績になったりして、公立上位の高校への道が閉ざされると。公立中学で良い評価をもらうのは美鈴のような子だろう。真面目なアサヒも健闘するかもしれない。でも、みどりは? オーバースペックな面と極端に未熟な面を両方持つみどりは? 授業中に意識がどこかにいってしまうみどりは?
みどりのような子には中学受験が勧められることがある。公立中学では才能がつぶされてしまうから、自分に合った中学を捜したほうがいいのだと。

「そうかあ。みどりさんも受験かぁ。うん、ちょっとそんな気はしていた。で、どこを目指してるの?」
「××女子」
「おおっ! すげえ!」
「わたしみたいな子も通っているって聞いたから目指してる。偏差値は足りてきてる。算数が解けないことはないし。物語文をなんとかできれば多分大丈夫。そこが駄目でも似たようなところを受けて受かったどこかに行く」

アサヒの目の前でアサヒには分からない話が始まり、置いてけぼりを食らった気分になる。なんだろう、モヤモヤする。アサヒはずっと、みどりは自分と同じ地元の中学に行くのだと思っていた。確かにお母さんは「もしかしたら、みどりちゃんは受験するのかもよ」と言っていた。でも、自分はみどりから何も聞かされていなかったから、それはないと思っていた。でも。

(わたし、みどりさんと友達になれたつもりでいたけれど、ちがったのかな……?)

だって、アサヒは全然知らなかった。みどりが受験するかもしれないこと、塾に通っていたこと。でもそういえば、みどりが塾に行き始めたという4年生の後半から、みどりはなんだか変わった……そんな気もする。放課後に一緒に行動することが減ったし、勉強との向き合い方も……まず字が、上手にはならなかったけれど「読める形」で書けるようになってきた。それから、話したり、説明したりが少しずつできるようにになってきた。でもそれは、みどりが頑張っているからだ、とアサヒは思っていた。放課後に遊べないのも同じ理由だと想像していた。アサヒはみどりが「社会スキルをトレーニングする教室」に通っているのを知っていたから、その回数を増やしたのかな? と。
でも、違った。そういうわけじゃなかった……。

わたしはみどりさんから教えてもらえていなかった。受験するとか、大事なこと、友だちだったら教えてくれそうなことを。みどりさんはピアノの発表会に来てくれて、しかも頑張って苦手なおしゃれをしてくれて、立派な花束まで用意してくれて……。友だちだからここまでしてくれるんだろうな、って思って嬉しかった。あのお花にはウチのお母さんもびっくりして、みどりさんのお母さんにお礼の連絡をしたら「他でもないアサヒちゃんの発表会だから、いつも仲良くしてもらっているから」って……。
だけど――。

「××女子の制服って、クールだよな。みどりさんに似合うと思うよ」
「ん、わたしはスラックスが履ければどんなのでもいいんだけど」

自分の知らない世界の話が眼の前でつづく。居心地が悪い。早く終わらないかな、と思いながらアサヒが教室前方の時計をちらりと見ると、時刻は休み時間終了の5分前になっていた。

「つぎ、音楽だよ、移動の準備をしないと。みどりさん、イヤーマフを忘れないでね」

アサヒは自分の自由帳を手早く片付け、がたん、とわざと大きめの音を立てながら椅子から立ち上がった。

「そうだ、やべえ」
「あ、うん」

教室の移動があるとき、みどりに声を掛けるのはアサヒの役目だ。声を掛けなかったら、みどりは授業に遅れ、何か忘れ物をするだろう。いつのまにかそうなってずっと続いている。みどりはそれを当たり前のように受け入れ、アサヒも疑問を感じなかった。でも、今日は……。

(『あ、うん』って何?)

これまで一度も開いたことのなかったアサヒの心の奥にあるものが、それに封をしていたフタが少し緩んで漏れたのかもしれなかった。(みどりさんはなんで当たり前の顔をして「あ、うん」って言うんだろう? 「ありがとう」くらいは言ってもいい気がする……)初めてそう思った。

一緒に教室を移動するとき、みどりの白い頬に二、三筋黒い汚れが付いていることにアサヒは気付いた。きっと、絵をこすって汚した指で触ったのだろう。いつもだったらそうなっていると教えてあげたり、拭いてあげたりするのだけれど、今日はしない。そうする気になれない。
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