美鈴(ベル)の完璧な世界㉔

文字数 3,148文字

「おい、山田、なんか言えよ、クソッ」

ガッと嫌な音が聞こえて、わたしは身をすくめた。サラちゃんも「イーッ、怖っ!」って顔をした。エリカちゃんがみどりさんの机の足を蹴飛ばした音だと思う。エリカちゃんはすごくイライラしている。エリカちゃんが色々話し掛けているのに、みどりさんがだんまりだから。

「あのさ山田、あまりアサヒやベルっちに甘えんなよ。サラだって迷惑してるよ。わかるよな?」

エリカちゃん、最初はこんな感じでみどりさんに話しかけていたと思う。でもね、

「あの態度はなんだよ。ベルっちのこと突き飛ばしたろ? あれは一体どういうつもり?」

ああ、それはもういいから大丈夫だから、エリちゃん心配させてごめんね、ありがとう、と、あわてて間に入ったベルさんを、それじゃ駄目だろ、わからせないと、こいつは甘やかすから付け上がんだよ、ってはねつけたあたりからエリカちゃんはヒートアップしていって、とうとう机を蹴った。

「なんか言えよ。山田。自分が謝りもしないで逆にベルっちに謝らせて。違うだろそれ。ふざけんなよ、筋通せよ、謝れよ。それくらいなんでできないんだよ。自分は頭が良くて特別だからそんな風でも許されるってか? 当たり前のことができなくてもオッケーってか? 頭が良いのにみんなと同じにできない自分は可哀想だから理解しろってか? ヴァーカ!」

みどりさんはずっと下を向いている。こっちから少し離れたところにいるから表情はわかんない。でもこう言った。早口でボソッと。

「ちがう。わたしは馬鹿じゃない。前の〇〇模試の偏差値は70を超えた。あなたたちが言う通りわたしは頭が良い。あなたたちよりも頭が良いんだ」

みんな一瞬キョトンとした。もちろんわたしも。サラちゃんは「は?」って顔をしたあと、「イテテ」って苦い表情で呟いた。わたしも「何言ってるの?」って呆れた。なんでみどりさんは自分で自分の立場を悪くしちゃうんだろう、自分が何を言ったら何が起こるか、どうして想像できないんだろうって悲しくなった。わたしがそばに付いていたらそんなことは言わせなかったよ。でもみどりさんは言っちゃった。わたしがこっちにいて、みどりさんがそっちにいるから……。

そして、みどりさんの言葉に誰よりも早く顔色を変えていた子がいた。メイちゃんだ。メイちゃんはみどりさんの言葉を聞いた瞬間、今まで見せたことがないほど険しい顔つきになった。それから急にケラケラと笑い出した。 

「アハ、ハハハ! やだ! やだもう、山田さん! 私たちが言っているのはそういう話じゃないの。偏差値とかの話じゃないの。もっと話の流れを読めるようにならなきゃ。ちゃんと話を聞いて、それに合った返事をしてよ。そんなに言葉が不自由じゃ、どんな学校に行っても残念なことになるよ」

日本語でしゃべってよ、日本語でね、と、メイちゃんの近くにいた子が言った。その子も確かメイちゃんと同じ受験生。メイちゃんもその子も怒ってる。すごく怒ってる。当たり前だ。あんな煽りみたいなことを言われたら。それで容赦がなくなってしまったんだと思う。メイちゃんの口撃は止まらない。

「いくら日本語が残念だからって、それで手を上げちゃったらまずいんだよ。知ってた? 暴力は認められない。言葉が通じなくて暴れても許されるのは赤ちゃんだけよ」

ね、わかりまちゅか? おりこうみどりちゃん? とメイちゃんが追い打ちをかけたところで誰かがプッと噴き出した。それが引き金になってクスクス笑いが広がった。

「ね、だからエリカちゃんも熱くならないで。机に当たったりしちゃ駄目だよ。そういうのも暴力なんだから。落ち着かなきゃ」
「それな。メイの言うとおりだわ。さすがメイだわ。山田と同じレベルになったらヤバいよね。いくら勉強ができてもさ」

……こんなことを続けていたら、そのうち一人ぼっちになるよ。ううん、もうなりかけているよね、一人ぼっちに。山田の味方をする奴なんてこのクラスに残ってる? ほぼいなくなっちゃったよね。ま、でもいいんじゃない? 山田はナンタラ女子でもどこでも好きなところに行けば、それで全部解決。そうね、自慢の偏差値に合ったところにね。受け入れてくれる学校もたくさんあるんだろ? 山田みたいな、ほら、◯△✕□(■■■■)でも。うん、あるみたいよ、頭が良い△◯□✕(****)なら歓迎ってところ。それならいいじゃん、行っちまえよ、そういうところに……アサヒはうちらと楽しくやるからさ、山田のことなんか忘れて――。

エリカちゃんが、メイちゃんが、そのまわりの子たちが、どぎつい言葉で代わる代わるみどりさんを追い込んでいた、その時だった。
あっ。
わたしは喉の奥でぐっと悲鳴をあげた。サラちゃんも「イッ!」って呻くような声を……。
見た。わたしは見た。サラちゃんも見た。本当に驚くことが目の前で起こったら、まともに声が出ないことがある……!

教室の掲示物が端から順番に真っ二つに裂けた。習字、当番表、給食献立表、学年目標、クラス新聞……全部。ロッカーというロッカーから、皆のランドセルが飛び出して床に落ちた。学級文庫の本も撒き散らされた。黒板消しが黒板に向けて勢いよく投げ? 投げつけられた? そこに誰もいないのに、浮いて? (でも見たの! その瞬間を!)それからカーテンが見えない手で引っ張られるみたいにガチャガチャって揺れて、天井に吊られたプロジェクタースクリーンは乱暴にひるがえり、照明もはげしく点滅して、そのタイミングで鋭い悲鳴が聞こえた。みどりさんを取り囲んでいた子たちのヘアゴム、ヘアバンド、全部が弾けて切れたの。前にエリカちゃんのヘアゴムが切れたときみたいに。
そこまで、順に、あっという間に、大きな竜巻が全部をなぎ倒していくみたいに、起こったの――!

みどりさんを囲んでいた子たちの何人かが、わあ、って大声で泣き出した。小さい子みたいに。ショックで立ち上がれなくなって、そのまま教室の外に這っていこうとする子もいた。いつも強気なエリカちゃんも座り込んで、胸と口を押さえてえずいている。涙と鼻水で顔をグシャグシャにして。メイちゃんもそうだ「ママ、パパ、たすけて、ごめんなさい、たすけて」って、泣きじゃくっている。
校庭に出ずに教室に残って、みんなとみどりさんのやりとりを見て見ぬふりをしていた子たちもおんなじ状態になっていた。「なんだよ! なんだよ! これ!」と、叫びつづける子、混乱に感染したみたいに泣き出す子。笑い出す子。吐く子。隣りにいるサラちゃんも「ハァ!? ハァ!? 何!? 何!? 何!?」って繰り返すばかり。
ちょっと、これ、ヤバイよ……普通の状況じゃない!

みどりさんがのろのろと青白い顔を上げた。両鼻の穴から血がこぼれている。Tシャツに、机に、何滴も赤い点が落ちている。
みどりさんは、きれいな形の鼻がグシャっとなるのも構わず手のひらで鼻血を拭った。拭いても拭いても血が止まらないことにうんざりして、舌打ちをしたみたいだった。そして口のまわりをべろりと舐め、パニック状態のみんなをダルそうに見回したあと、少し下がった場所にいたベルさんに視線を移し、ゆらゆらと立ち上がった。
みんなの悲鳴や泣き声の向こうからわたしには聞こえた。みどりさんの声が。「ああくだらない、つまらない」って。ぞっとするほど低く、感情がない呟きが。

みどりさんの切れ長の瞳の中は真っ暗だった。
誰もいない、何もない、真っ暗で底のない闇に見えた。
それはさっきベルさんを突き飛ばしたときの目より、もっと、もっと暗くて――。
わたしは弾かれたように立ち上がった。頭の中でJアラートのあの音が最大ボリュームで鳴っている。身体中がゾワゾワする……まずい、まずい、何だかわかんないけれどまずい……!
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