美鈴(ベル)の完璧な世界㉓

文字数 3,892文字

「しかたないわよねぇ」
っていうのが、うちのお母さんの口癖。

「しかたない」の始まりは、今住んでいる家を買って、越して来た時だったと思う。おばあちゃん(お父さんのお母さん)の体が思うように動かなくなってきて、これから不安だから近所に住んで、と言われて、中古の戸建てを買ったんだって。わたしは幼稚園生だったけれど何となくおぼえているよ。まだ人が住んでいた家を見に行ったことを。雨のせいでどの部屋も暗くて、正直微妙だった。ワクワクはしなかったな。
お父さんもお母さんも、「この条件でこの値段は他にはないけれど」って言いながらちょっと困った顔をして……結局住むことになった。幼稚園を転園までして住んでみたら、前に住んでいた人が隠していた「小さな不具合」がぽろぽろと見つかって「あーあ」ってなった。窓が少し歪んでピッタリ閉められないとか、どこからか虫が入ってくるとか、おとなりさんが怖い人だったりとか。そういうことが分かるたびに、お母さんは「しかたないわよねぇ」って言ってた。「まぁ、こんなものかもね」って。

おばあちゃんの家の近くに住んでからは、何かと「おばあちゃん優先」の生活になった。お父さんはお休みのたびに呼び出されて、おばあちゃんの家に行った。わたしも何度かついて行ったけれど、その間はほったらかし。おばあちゃんはお父さんをつかまえてずっと何かを話してる。わたしはその間、本を読んだり、テレビを観たり、おやつにお菓子をもらったりして過ごした。正直楽しくはなかった。退屈だし、お菓子はおばあちゃんが知り合いからもらった物で、だいたい賞味期限が切れていたし。でも「アサヒが来るとおばあちゃんが喜ぶ」って言われたからついて行った。わたしが行くと「おばあちゃんは喜ぶ」はずなのに「ほったらかし」。変なの。でも「まぁ、こんなものかもね」「しかたないわよねぇ」ってわたしも思った。

おばあちゃんが不機嫌になるから、長いお休みがあっても旅行に行きにくくて、遠出ができなくなった。その代わりに「まあ、しかたないなりにどこかに行こう」とお母さんが、博物館や美術館に連れて行ってくれるようになった。その帰りに、フルーツパーラーに寄ってフルーツとクリームが沢山載ったパンケーキを食べたり、カフェで大きなハンバーガーにかぶりついたりしたことを覚えてる。周りはおしゃれな大人ばかりで、ドキドキしたな。
一番たくさん行ったのは科学博物館だったかな? あそこはいつでも、子どもが楽しめる企画展をやってるでしょ? 
その中でもよく覚えているのが「生命超進化展」。生命の誕生と進化がテーマの企画展で、古生物の化石の展示が目玉だったよ。あ、古生物っていうのは、みどりさんが好きなやつ。大昔の生き物。恐竜とか、化石で出てくるやつ。

今思いだすとバカバカしくて笑っちゃうんだけれど、「生命超進化展」には宣伝キャラがいてね。名前を「かんぶりあ貴族・あの麿」っていったの。これほんとワケわかんないんだけれど、ちょっと流行ったんだよ。アノマロカリスがなぜか平安貴族みたいな服を着て、生命の進化の歴史を説明しながら「いとあはれ」とか、「いとおかし」とか言うの。意味不明。キモかわでカオス。サラちゃんっぽく言ったら「草生える」。でもどういうわけかわたし、そのキャラをすごく好きになっちゃって、博物館のおみやげコーナーで「あの麿」のぬいぐるみキーホルダーを買ってもらって、イラストも真似してたくさん描いたな。それが小学校にあがった春のことで、それがきっかけでわたしはみどりさんから声をかけられた。「『生命超進化展』行った。わたしもアノマロカリスが好き」って。

おばあちゃんはね、今年のはじめ、体調が本当に悪くなって、病気も見つかって、面倒を見てくれる施設を探していたとき、突然「お父さんの妹」が現れて。「ここから先はわたしがお母さんの面倒を見る」「施設に入れるなんてお母さんがかわいそう」「こんな病気なんて大したことない」って、遠くに連れて行っちゃった。「お父さんの妹」なんてわたし生まれて初めて会った。なんでも今までおばあちゃんと折り合いが悪くて20年近く絶縁状態だったんだって。そんな人がいきなり全部ひっくり返して行っちゃった。
わたしたちが今までここに住んでたこと、何だったんだろう? って思ったけれど、その時もお母さんは「しかたがないわよねぇ」って言った。「おばあちゃんは久しぶりに娘さんに会えて嬉しかったんでしょ。これでもう、深夜早朝の鬼電、呼び出しは無くなるし。しかたがないけれどこれでよかったのよ」――だから世の中、「しかたのない」ことだらけっていうのは、わたしわかっていると思う。

みどりさんと一緒にいる時のわたしの気持ちは、正直なところ晴れたり曇ったりの繰り返し。時々雨も降る。一緒にいて楽しいときもあれば、みどりさんの事情に振り回されてしんどいときもある。しんどいときは「しかたがない」。「しかたがなくても」わたしはみどりさんのそばにいる。わたしたち家族がおばあちゃんの近くに住んだみたいに。それはわたしがみどりさんの友だちだからだし、おばあちゃんのことも好きだったからだし。
それに「あの麿」とか、もっとちゃんとしたアノマロカリスとか、みどりさんと一緒に描いたこと。あれは楽しかったし、嬉しかった。他にもいろいろいいことはあった。みどりさんって面白い子だな、って思うことがたくさんあった。だからわたしはみどりさんと友だちになったんだけれど。ずっとみどりさんの味方でいるって決めたんだけれど。

最近、ベルさんと一緒に遊ぶようになって「あれ?」と思うようになった。わたしが今までみどりさんと一緒にいて感じる「曇り」や「雨」って、それは当たり前なのかな? って。ベルさんたちといると「晴れ」が多いの。何でもない一瞬一瞬がキラキラしてるの。ベルさんが、周りの子たちが、曇ったり雨になったりしないように気を付けているんだと思う。きっと「晴れ」は作るものなんだね。晴れていると楽しくて、ずっとそっちにいたくなる。当たり前の気持ちだよ。でも、それは間違ったことだって気もする。やっちゃいけないこと。つまらない方から楽しい方に行くために友だちを変えるってこと……それはきっとずるいこと。

でもね、間違ってもいいのかな、ずるくてもいいのかな? って最近思う。そう思うのも間違っている気がするけれど、それこそ本当に「しかたがない」んじゃない? って。
わたしはみどりさんのことを友だちだと思ってた。でもみどりさんがこっちのことをどう思っているのか分かんなくなってきた。夏休みの発表会だって、みどりさんは本当に来たかったのかな? みどりさんのお母さんが気を使って……みどりさんのおしゃれとか、大きな花束とか……それで来てくれたのが本当のところなのかも。みどりさん自身が来たいと思って来てくれたわけじゃないのかも。わたしのために、とかそういう発想はなかった、のかも。

そもそもみどりさんと一緒にいるのも、あと半年。わたしはずっとみどりさんの味方でいようと思ってたけど、そんなの必要なくなりそう。半年たったら、みどりさんは、どこかすごい学校に行って別の世界の人になるんだから。わたしのことなんか忘れて。
みどりさんがわたしのことを友だちだと思っていないなら、それはもう、わたしがベルさんの(がわ)に行っても「裏切り」じゃないのかも。おばあちゃんのことと同じ。おばあちゃんが遠くへ行ったのは、わたしたち家族がおばあちゃんを大事にしなかったからじゃない。ちゃんと大事にしたと思う。お正月もお誕生日もクリスマスも、夏休みも、おばあちゃん優先で過ごした。外食とか旅行とか我慢して。でもおばあちゃんはきっと、いつからかわたしたちに興味がなくなって、子や孫の気持ちよりも自分の気持ちが、20年ぶりに現れた娘のことが大事になった、そう思うほうがすっきりする。その結果、おばあちゃんは遠くに行った。わたしたちはおばあちゃんの件から手を引くことになって、その後片付けだけが残って、もう会うことはないかもしれない。みどりさんのこともそれと同じ。
こっちが悪くてそうなったんじゃないんだ。

それにさっきの、ベルさんに対するみどりさんの乱暴な態度……。あんなのを見せられたらわたし、本当に嫌になっちゃうよ。結局あの後、みどりさんはそっぽを向いて、班の話し合いにちゃんと参加しなかったし。ああいうことは、もう起こらないと思っていたのに。起こさせないようにわたしも頑張っていたのに。


「ねえ、山田(みどり)、ちょっといい?」

あっ――。
考えごとをしていて気が付かなかった。
エリカちゃんとメイちゃん、そしていつものみんなが、みどりさんの席のまわりに集まっていた。みどりさんを取り囲むみたいに。今日は休み時間なのに外に行こうって声がかからなかったな、って思ったらみんな教室に残ってる。口を開いたのはエリカちゃんだ。メイちゃんは特に仲の良い子たち数人と組んで「わたしたちは山田さんに話があるから、みんなは外で遊んでていいよ」と、男子や関わりのない子を校庭に追い出していた。

ちょっと――なに? どうしたの? みどりさんが何か? と席を立とうとしたわたしの腕を誰かが掴んだ。サラちゃんだった。サラちゃんは「らしくない」真面目な顔で、ふるふるっと首を横に振った。高めに結んだツインテールとぱっつんの前髪をぶんぶんと揺らしながら。「ヤバイよ」「さっきの件だよ」って。

ヤバイ、さっきの件、ってちょっと、ちょっと――待ってよ――!?
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