トンネルのつながる先

文字数 4,635文字

これはおれが小2の時の話だ。この年は梅雨明け前から夏休みのように暑かったので、おれたちは、放課後毎日のようにウォーターガンを持って近所の公園に集まっていた。

当時この公園には、小山のように盛った土に埋められた土管のトンネルがあった。土管はドラえもんに出てくる空き地に積んであるのに似ている。だから、俺たちはここを「ドラえもん公園」あるいは「ドラ公」と呼んでいた。ちなみに小山の表面は小さい子向けの、低くてなだらかな滑り台になっている。おれも三歳のころ、これで遊んだ記憶がある。

待ち合わせの時間から少したって、メンバーが揃ったので、めいめいが自分のウォーターガンに水を入れて、適当にチーム分けをし、さあ、やるかということになった。ルールはあるようでない。広場を走り回りながらとにかく撃ちあう。このとき強いのは沢山水を貯めておけるタイプのウォーターガンだ。なぜなら水場での補給中にも狙われるから。ルールがないゲームほど厳しいものはない。だからおれも、飛距離が長いシンプルなウォーターガンから、貯めておけるタイプに乗り換えた。飛距離よりも、止まらずに走り続けることが重要なのだ。でも、強い弱いがあったとしても勝ち負けはない。全員同じようにずぶぬれになって、夕方になったら終了だ。

けれど、撃ち合いをはじめてすぐに、妙なことが起こっているのに気付いた。同じ公園に遊びに来ていた別のグループがざわつき始めたのだ。
そのグループの面々には見覚えがあった。休み時間によく校庭で見かける顔だった。確か4年生で、ちょっと怖いもの知らずなところがある連中だ。
そいつらに向かって髭のおじさんが一人、何か言いながら近づいていた。
何を言っているのかは、おれたちのいる場所からははっきりとはわからない。けれど、何か大声で、怒ったような声で何かを言っているのが細切れに聞き取れた。

「お前たち……知らないのか? でももう知らないとは言っていられない……。XXXはまもなく世界の書き換えを……XXX。残された時間はもう……XXX」

そのおじさんは、言っていることだけでなく様子も普通ではなかった。着ている服は上下ともにくすんだ感じの白で、どこで売っているのか見当もつかない不思議なデザインをしていた。一言で言ってしまうとRPGに出てくる「ナンタラ神官」のようなそうでないような。
足取りは何となくふらふらしていて、まるで船から降りた人のように見えた。手にはノートを抱えているが、凄くボロボロだ。

このおじさんがいつからこの公園にいたのかわからない。ほんの数分前、おれたちが公園に集まったときにはまだいなかった。でも、いつの間にかいた。まるで突然この場所にふっと現れたような……うまく言えない。別の世界からやってきたような「『いま、ここ』からズレた感じ」がこのおじさんからは漂っていた。

そんな人に絡まれてしまった4年のグループも困っているようだった。放っておいてくれという様子で返事をしているのが見えた。
そんなやり取りがしばらく続いたのち
「うるせーぞ」
「何言ってるのかわかんねーよ」
4年の連中がキレた。
おれは「まずそうなことになった」と思った。こんなふうに言い返してしまったら、無事では済まない。煮えた油に火を放り込むようなものだ。おじさんは怒って大炎上するだろう。そうなれば巻き込まれることは間違いがない。
それで皆に「ここを離れよう」と声を掛けようとしたその時、となりにいたジン君が「ヤベー」とげらげら笑い出した。
おい。なんてことを。やめてくれ。

それがおじさんに聞こえてしまったのだと思う。
くるりとおじさんがこっちを向いた。

「笑うな! 笑っている場合ではない! 今しかない! 今を逃せばもう時間が……時間が無いぞ!」

怒鳴られた。空気がビリビリいうほどの大声が公園中に響いた。それだけで怖い。当の4年生グループはおじさんの注意が自分たちから逸れた隙に逃げ出した。クソッ。速い。

「おい! 逃げるぞ!」

おれたちも走り出した。後でおじさんが吠えているのが聞こえた。おれたちと、4年のグループと、どっちに向かって怒鳴っているのか全然わからない。わからないけれど逃げるしかない。ああ。何でおれまで逃げなきゃならないんだろう。もともとはやつら(4年)のせいじゃないか。やつらが不用意なことを言うから。あとジン君。あんなときに笑うからこうなる。本当にひどいとばっちりだ。でも自分が危ない時にはとにかくなんだろうと逃げないといけないのだ。
おれたちは例の土管トンネルやブランコがある遊具エリアを横切り、そのとなり、ゲートボール用のエリアに駆け込んだ。
そのとき

「アキくん。こっち! みんなも!」

おれたちに公園の外から声がかかった。この公園のすぐそばには、遊び仲間のアッキーの家がある。そのアッキーのおばあちゃんが、公園でのただならぬ様子を察知して様子を見に来てくれたのだ! 懸命に手招きをしておれたちを呼んでいる。
こうしておれたちは無事アッキーの家の庭に避難させてもらえることになった。
庭の生垣の隙間から公園が見えたので様子をうかがった。4年生のグループの姿は見えない。おじさんをうまく撒いて外に逃げることに成功したのだろうか。当のおじさんはというと、まだ公園をうろうろしている。

「なぁ? マサトぉ……?」
隣にいたジン君がおれの脇をつついて聞いた。
「その水鉄砲、まだ打てるの?」
それで気付いた。自分がウォーターガンを抱えたままおじさんから逃げ回っていたことに。
「水? まだ残っているけれど……」
ジン君はニヤニヤしていていた。興奮しているようだった。声が上ずっている。
「じゃあそれであいつを打ってきてよ! おれのはもうほとんど水が残ってなくてさぁ」
「はぁ?」
ジン君はどうも、そういう、後先を考えないところがある。言っていることもやっていることも冗談なんだか本気なんだか見分けにくい。さっきおじさんに怒鳴られるきっかけを作ったのはジン君じゃなかったか? それで今度はウォーターガンでおじさんを狙えと?
「ねぇ。打ってきてよ!」
「何言ってんだよ。いやだよ」
「じゃ。おれが行ってくる。貸してよ」
「やめろって」
おれとジン君はもみ合いになった。ジン君はかなり粘って、おれからウォーターガンをもぎ取った。あああ。やめろ。やめろって。まわりのやつらもあっけに取られている。
「まって! 警察が来たみたい」
そのとき、生垣から様子をうかがっていたアッキーが、絶妙なタイミングで皆に声を掛けた。
見れば自転車に乗ったおまわりさんたちがまさにいま、公園に駆け付けたところだった。遠くからパトカーのサイレンの音も聞こえる。騒ぎが起こってすぐ、近所の誰かが通報してくれたのだろう。
「マジか! 様子を見に行くぞ!」
そう言うなり公園に向かって駆けだしたのは地元の少年サッカーチームで活躍しているエージだ。すごい行動力だ。はじかれたようにみんなもそれに続いた。もちろんおれも。もしなにかあってもおまわりさんがいれば安心だしね。


おじさんは数人のおまわりさんに取り囲まれていた。そこからすこし離れた場所で、俺たちは事情をきかれた。今思い出すと、あの時のおまわりさんはよく辛抱して話を聞いてくれたものだ、という気になる。俺を含め、どいつもこいつも言いたいことを言いたいように言いまくっただけだったからだ。冷静に考えれば、俺たちはただ逃げ回っていた「だけ」でたいしたことなど喋れるわけもないのだが、この時は「大事件にかかわって」「それを証言した」ような気でいた。本当の「大事件」はこのすぐあとに起こるとも知らないで。

おまわりさんに取り囲まれたおじさんはものすごく興奮していた。おまわりさんたちはそれを一生懸命に落ち着かせようとしていた。この地域のおまわりさんたちはやさしいのだ。おじさんは大粒の涙をこぼして、顔をぐしゃぐしゃに濡らしていた。それを見ておれはびっくりした。大の大人がこんな悲しい顔をして泣いているところを見るのは初めてだったから。それはみな同じだったと思う。こういうものを見たら一番に騒ぎそうなあのジン君ですら、何も言わなかった。怖い目にあわされたのに、なんだかかわいそうな気すらして始めていた。

おまわりさんたちがどうにかおじさんをパトカーに乗せようとその肩に手を添えたとき、それまで泣きじゃくっていたおじさんが爆発した。
おじさんは吠えて、力のすべてでおまわりさんたちを振り払った。そして逃げ出した。決してここでつかまるわけにはいかない……! そんなおじさんの覚悟を感じるような身のこなしだった。
「待って! 待ちなさい!」
おまわりさんの制止を無視しておじさんは例の土管トンネルに向かって走った。そしてその中に滑るように潜りこんだ。
おまわりさんはおじさんを追いながら二手に分かれてトンネルの入り口と出口とを確保した。そしてその中を覗き込んだのだが……。
「いない……!」
その時の公園の空気を、おまわりさんの困惑した声を、おれは今でも覚えている。

信じられない話だが、トンネルに潜ったおじさんはそのままいなくなっていた。脱出マジックのように消えた。おれは、おれたちはその一部始終を見ていた。
お巡りさんに制止されたので、土管トンネルには近づけなかった。でも遠くから、トンネルに潜ったおまわりさんが青い顔をして戻ってくるのを見た。普段は強そうに見えている大人たちがひどく動揺した表情も、多分この時初めて見た。
土管から出てきたおまわりさんは一冊のノートを手にしていた。表紙に茶色いシミがある古ぼけたノート……。あのおじさんが抱えていたのと同じもののように見えた。
あのおじさんはこのノートを残して消えたのか……。
「マジかよ……」
慌ただしく動き出したおまわりさんたちを眺めながら、おれたちは顔を見合わせた。

おじさんが抱えていたあのノートに何が書かれていたのかはまるでわからない。
おまわりさんが持って行ったから、今もまだ警察にあるのだろうか?
あれを読めばあのおじさんが何者だったのか少しはわかるだろうか? それとも結局はわからないままだろうか?
この経験はあのとき公園に集まったおれたちだけの秘密になった。おまわりさんにそうするよう言われたからというのもあるし、あの場にいなかった人に話しても、信じてもらえる気がしなかったからだ。

おじさんは確かに怖かったけれど、悪い人ではなくて、ひょっとしたらどこか普通でない場所から、あの瞬間、あの場所に迷い込んできた気の毒な人だったのではないかという気がしている。ひょっとすると、消えた時と同じようにあのトンネルを通って、どことも知れぬこの場所に……。おじさんの切実な泣き顔は今でも思い出す。

ちなみに、「本当に怖い人」は他にいるということを、俺たちはこれからしばらく経ってから知ることになる。けれどそれはまた別の話だ。


土管トンネルはこの事件から数年後に撤去された。理由は古くなったことと、中で遊んでいる子どもの姿が見えなくなるので危ないから、とかなんとか聞いた気がする。その跡地には新しいトンネル遊具が設置された。カラフルなフープをつなげたようなスケルトンタイプのトンネルだ。このトンネルを通っても、多分どこにも行けない。そしてトンネルの向こうから何かがやってくることもないだろう。

それで、今ではもう、あの公園を「ドラえもん公園」と呼ぶ人もほとんどいない。
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