ポケットの中に猫

文字数 4,072文字

クラスメートのカズヤがやらかした。おれはそれを何もせずに見ていた、とマサトは思った。



数日前、学校からの帰り道でカズヤと、一緒に帰っていた何人かがふざけ始めた。おれはいつものことだと思ってボンヤリと見ていた。それは内容がまったくないふざけ方で、誰かのことを弄ったり悪く言ったりするのではなく、電信柱を叩いてゲラゲラ笑うようなふざけ方だった。
カズヤはよくそうなる。頭はいいし(ひとことでいうと人間計算機みたいなやつだ。小六なのに、カズヤはもう中学の数学がわかっている)優等生で、先生との関係が良く、問題も起こさないのだけれど、ときどき羽目をはずしすぎる。

あの日は、そうやってふざけていたカズヤが、どういうわけか電信柱だけでなく通り道にあるあるお宅の庭を囲んでいる柵をゆすりだした。一緒にいた何人かも、それに加わった。どういうわけか加わった。みんなすごく楽しそうにやっていた。
ああ、どいつもこいつも何やってんだ……。その日は一日ほとんど運動会の練習をしていたので、全員が疲れて頭がおかしくなっていたのかもしれない。
けれど、うん。ダメだな。それはやっちゃダメだよな。それはわかる。今、冷静になってみれば完全にアウトだと思うけれど。なぜかみんなやっちゃったんだよな。おれもあのときは「あーあ。何かやっているな」くらいの意識しかなかったんだよな。そういうおれもヤバイよな。

で、それが学校に伝わった。そして始業前におれを含む全員が呼び出された。その家の人が連絡したのだ。現場を撮った動画付きで。そういえば、カズヤたちが大騒ぎしているあいだ、その家の人がスマホのカメラのレンズを室内からこちらに向けていたのをちらりと見たような気がする。その動画を学校に持って行ったのだと思う。そこに写っていたメンバーが始業前に呼び出されて、先生から事情をきかれたのではないかな。
「このお宅の前で騒いでいた子がいると連絡が来たのだけれど、何か知っている?」
カズヤは素直に自分のしたことを認めて、叱られた。
おれもこう説明した。
「騒いでいる子がいるのは見ました」
そうしたらおれも叱られた。
「そういうものを見たら、注意をするか、止めるかしないと駄目でしょう」
何もしていなくても 何もせずにその場にいたなら同じだということらしい。うん。これが連帯責任か。でも、話したことが信じてもらえたのはよかった。疑われて「本当は一緒に騒いでいたのではないか」と詰められなかったのは、動画にその通りに写っていたからかもしれない。

こんな感じでおれはカズヤとあと数名……その中にはカズヤと一緒にやらかしたやつも、おれと同じように見ていただけのやつもいる……と一緒に十分間くらい絞られた。
その中の何人かには親に連絡が行ったらしい。
うちには連絡が来なかったけれど、困った。だって、おれはその家に住んでいるひとを知っているのだから。

その人は「ワタライさんちのおばさん」。
実はおばさんはうちのご近所さんなので何度も会ったことがある。幼稚園生の頃にお菓子をもらったこともあった。地域猫の世話をするボランティアチームの中心人物で、この辺りにいる猫たちの名前を全部知っている。仕事で「芸術家みたいなこと」をしているらしく、自作のヘンな置物をもらったこともあった。つまりそういう人。一言でいえば自由な人。

そんなおばさん自身が放つ個性的な雰囲気が家の外まで漏れているのだと思う。それを隠す気もないようで、玄関ドアには奇妙な飾りがぶら下げてある。そのせいか、このおばさんの家は何かと子どもの興味関心を引き、狼藉のターゲットになりやすい。でもこのおばさんは、仕掛けられて黙っている人じゃない。やられたら筋をとおして反撃する。つまり、具体的には今回のように学校に連絡する。過去になんどかそういうことがあったとうちの親からきいている。おばさんから直接教えてもらったのだそうだ。最後にそういう話を聞いたのは……二、三年くらい前かな? 今回のおれたちみたいにやらかした連中がいて、やっぱり学校に連絡が行ったのだ。そのときは「登下校時のマナー」について全校集会で校長先生からの指導があったのを覚えている。

でも最近は静かだな、そういう話を聞かないし、そもそもおばさんを見掛けなくなったなと、思っていたら病気で入院していた時期があったらしい。これは親から聞いた。入院生活はかなり長かったという。そして退院した後も、どう過ごしているのか全くわからないとか。
あまりに長く顔を合わせていないので、向こうもこっちの顔なんて忘れていそうな気がする。けれど、ご近所はご近所だ。困った。
おれは何もしていない、というか、何もしていないのが、おれのしたことの全てだと思うのだけれど、困った。何もしなかったのは決して悪いことではなかったはずだけれど、何かした方が良かったのだ。「おれは何もしていないから関係ありませーん」で済ませられる相手ではないのだ。
考えれば考えるほど……。これは、スルーできないやつだとわかった。

仲間と相談して、放課後ワタライさんの家に謝りに行った。俺と、実際にやらかしたやつらと5人くらいで。もちろんカズヤも一緒だ。みなで謝りに行こうという話が持ち上がったとき、カズヤはかわいそうなくらいビビっていた。そりゃそうだよな。問題を起こすようなやつじゃないから、当然よその人から叱られることにも慣れていないわけで。いや、おれも慣れているわけじゃないんだけどね……。
でもカズヤは結局一緒に来た。何と言っても今回の件の中心にいたのがカズヤだったし、根が真面目な奴でもあるから。
こうしておれたちは放課後、学校帰りにワタライさんの家のチャイムを鳴らした。

ピンポーン。



今、おれの机には変な置物が二つある。一つは何年も前、まだ小さいころにもらったやつ。もう一つは今日もらったやつだ。どちらも木彫りにペインティングを施したもので、ワタライさんのおばさん曰く「猫」とのことだ。保護活動をしているくらいだし、猫のことが本当に好きなんだと思う。
昔もらったやつは黒いぶち模様で、今回のは灰色のしましまだ。どちらも「君に似ているのはこれ」とおばさんが選んだのだ。そう言われて見てみれば、模様も形も違うけれど顔だけは同じように見えないこともない。それがおれの顔と似ているかどうかはともかくとして。
ちなみにこの置物は、ワタライさんちに謝りにいった全員がもらった。おばさんからそれぞれが「君に似ているのはこれだね」と握らされたのだ。
ワタライさんちのチャイムを鳴らしたら、まず出てきたおばさんに「よく来たね」と歓迎され、謝りに来たことを褒められた。おばさんは終始ご機嫌だった。おれたちは拍子抜けした。絶対に叱られると思っていたから。そして褒められたあとは励まされた。「勉強がんばってね。運動会もがんばってね」そのあと例の「猫」を渡されて、ワタライさんの家を出たのだ。おばさんがおれのことを覚えていたかは、今回のやりとりからは正直よくわからなかった。忘れているようにも見えた。「もしかしたら病気のせいで忘れているかもしれない」とは親から聞かされていた。
帰り道でおれたちはホッとしながら、互いの「猫」を見せ合った。今回のいわば主犯で、徹底的に怒られるかもしれないという不安から解放されたからか、最初にまくしたてるように話しだしたのはカズヤだった。おばさんの前では小さくなって下を向いていたのがウソみたいはしゃいでいた。
「あああ。良かったぁ! どうなることかと思った!」
「カズヤ、お前はしゃぎすぎ」
そうだ。はしゃぎすぎ。少し落ち着かないとまた同じようなことになるぞと思う。
「別にいいだろ? で、これ、猫に見える?」
「何となく見える……」
「これとこれが耳かな……」
「ああ。わかる気がする……」
「マジかよ。おれにはわからない」
「多分こういうのをアートっていうんだな」
誰かがそう言ったので気付いた。そうだ、アートだ。あのおばさんは「芸術家みたいな仕事」をしているのだ。
「でもこの『猫』っておれたちに似ていると思う……?」
「わかんね」
「似ている気もする。すくなくともカズヤには似ている」
「ええ……?」
カズヤは「ありえねー」という顔をしていたけれど。それは確かに似ていた。何となくしょんぼりとした上目遣いのハチワレ猫……叱られると思ってびくびくしていたカズヤにそっくりと言えばそっくりだった。
「そっかぁ……。似てるのかぁ……」
カズヤはしげしげとその「猫」を眺めてからポケットに入れた。それを見て、一緒にいたやつらも自分の「猫」をポケットに入れた。もちろん俺もそうした。
こうしておれたちの手元にはそれぞれ奇妙なものが残った。でもとりあえずこの件は無事に片付いたのだと思う。

この件を親に報告したら、「ああ、ワタライさんってそういう人だったかもねぇ……」とのことだった。「病気になってから、どうしているのか全然分からなかったけれど、あまり変わっていないみたいで良かったわ」「最近見かけたときには、こっちの顔を忘れてしまっているように見えたし……」とも言っていた。そうだ。ワタライさんはおれのことが分からなかったように見えた。昔おれにお菓子をくれたことも、木彫りの猫を渡したことも、全部すっかり抜け落ちてしまうほど、たいへんな病気だったんだろう。でも、抜け落ちてもなお、ワタライさんはワタライさんだったということか……。
けれどさ。
「『そういう人』ってどういう人だっけ?」
おばさんがかつてどういう人だったのか、思い出そうとしても思い出せなかったので、おれは「猫」に聞いてみた。
当然「猫」は返事なんかしない。だって置物だし。ギリギリ猫と分かる不思議な姿と変な顔でただこちらを見るばかりだ。
変なやつ。と思う。
こいつはすっごく変なやつだ。
けれど何年も前にもらった奇妙なものをいまだに取ってあって、さらに新しく増えたものも捨てる気になれないということは、おれは結構この「猫」たちを気に入っているのかもしれない。
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