美鈴(ベル)の完璧な世界⑩

文字数 2,841文字

実は美鈴のママは何度も、個人面談のたびに担任の先生から「安藤さんは中学を受験しますか?」と聞かれている。そしてそのたびこう答えていた。

「いいえ、受験はしません。美鈴には、高校受験で頑張って貰おうと思っています。それまでは勉強をちゃんとやりながら、学校生活や子どもの時間を大事に過ごしてもらいたい……」

美鈴のママの考え方はこの通りで、そこからブレることはない。でもこの発言には嘘“も”ある。嘘、というか隠された本音が。先生が「安藤さんは受験をするのか」と聞くのは、「これまで色々な子の担任をしてきた経験から言うと、美鈴のような子は大抵受験をする」からだ。大人びた優等生、平均以上の経済力のある家庭で大事に育てられているように見える……そういう子は。
そして実は美鈴のママは、できるならは美鈴を私立中学に入れたかった。育ちの良い子たちが集う、質の良いサテンのリボンを胸で結ぶセーラー服が印象的な、伝統ある女子校……そんなところに。もちろん新しい時代の空気がある××女子にも憧れた。

でも、できなかった。多くの子が受験の準備を始める小4のころ、おじいちゃんが有料老人ホームに入居することになり、それにたくさんお金がかかるようになったからだ。これからおじいちゃんに、どれだけの間、いくら、かかるのか? 美鈴の家は余裕がある方だけれど、そんな状態で私立中学に行こうとするのは勇気がいること。だって、中学受験にもお金はかかる。そこに不運が重なった。人間ドックでパパに病気が見つかった。幸い病気は超のつく初期、治療はさくっと済んで、ぶり返さずに今日まで来ている。でも、当時は家族全員がとても不安だった。不安を抱えて無理はできなかった。

だからママは美鈴に言った。「ベルちゃんは中学受験はしなくても大丈夫。あなたなら、公立中からどこでも好きな高校に行けるから、そのつもりで頑張ろうね」と。
そのママが、みどりが難関校を受験すると聞いて動揺している。だって、美鈴がみどりを嫌いなように、ママもみどりのお母さんのことが嫌いなのだ……。嫌いで、見下していた相手に出し抜かれるのは嫌なものだ。

「『あの』家が『××女子』志望? そんなにデキる子だったわけ? じゃあ、学校での『あの』様子は何なの? ……うちもやろうと思えば……。でもいまから受験勉強をしたって、思うようなところには受かりっこないんだから、この話はおしまいよ」

悲しい。美鈴は悲しい気もちになった。ママが自分を責めているような気がして……。家に事情があったとはいえ、みどりのように受験できない自分を、きっとすでにみどりに負けているだろう自分を、そのせいでママをがっかりさせている自分を……。
明らかにイライラしているママの表情はプリンセス映画の魔女(ヴィラン)のように見えた。そして自分も同じ顔をしているんだろうと思った。賢く美しい本当のプリンセスはみどりのほうで、わたしはみどりを妬む偽のプリンセス……そういう醜い顔を。
ああ、どうしてこんなことになっちゃうわけ――?

――。


「アサたん、ちょっと待って待って〜」

それから数日後の学校からの帰り道で、アサヒは後ろから来た子たちに呼び止められた。
しゃべり方の癖から、呼んでいるのはサラちゃんだとすぐわかる。アサヒは足を止めて振り返った。一つ前の角までみどりと一緒だったが、バイバイをして今は一人だ。あれ以降、アサヒはみどりにモヤモヤすることが増えた。けれど結局一緒に行動していた。休み時間も、帰り道も。自分はそういうものなんだ、みどりさんと一緒にいなければいけないんだ、と思いながら。自分は「みどりさんと一緒にいたい」のか「一緒にいないといけないからそうしている」のか、よくわからなくなりながら。これまでずっと「みどりさんは友達だから力になりたい」、そう思って一緒にいたのに。

「待って待って〜」と呼ぶサラちゃんの後ろには、アサヒにとっては意外な子がいた。安藤”ベル”美鈴さんだ。可愛くにっこり笑って手を振っている。今日もファッション雑誌から出てきたかのようにおしゃれだ。美鈴はアサヒにとっては別世界の人で、ほとんど関わったことがない。こんなふうに帰り道で言葉を交わすのも初めてだ。

「アサヒちゃんも一緒に帰ろ? ネッ?」

3人はおしゃべりをしながら帰った。正直なところ、アサヒは、ベルさんこと美鈴が苦手だった。アサヒはいつもみどりと一緒にいるから美鈴と関わる機会がない。遠くから見るベルさんは、隙がなくて完璧でキラキラしていて自分とは別の世界の人……絶対にわたしのことなんか相手にしない、そう思っていたから。

でも実際に話してみたら、美鈴はものすごく感じがいい子だった。
美鈴が話すことで、アサヒにわからないことはなかったし、自分が喋ってばかりでなくアサヒの話を丁寧に聞いてくれる……。互いの思いが流れるように通じ合うやりとりは、みどり相手にはなかなかできないもの。今まで経験したことのない楽しいおしゃべりに、アサヒは心を掴まれた。

「よかったら、アサヒちゃんも休み時間に一緒に校庭であそぼ? たまにでいいから。いまはみんなでバスケをやってるんだ。人数もルールもメチャクチャなゆるバスケだけどね。超ゆるゆるで楽しいよ」

やがて3人は美鈴一家が住むマンションの近くまで来た。そこで美鈴は「じゃあねー」と手を振り、機嫌の良さそうな足取りでエントランスに入っていった。
それを見送りながらサラちゃんはアサヒにささやいた。

「あのね〜、ベルるんはアサたんと仲良くなりたいんだよ〜。アサたんも、ベルるんも、ウチも、同じ中学に行くじゃない? 友だちと一緒の中学に行けるって、なんかいいでしょ? ……みどりさんは、卒業したらウチらとはバイバイになっちゃうっぽいし……」
「えーっ……と、サラちゃんも知ってるの? みどりさんの受験のこと」
「知ってるっていうかさ〜。みどりさんって、基本黙ってばかりなのに、しゃべりだすと声がデカいからさ、聞こえちゃったんだよね、ユウガ(きゅん)と話してたこと」
「あー……」
「ウチも、ベルるんも、ううん、きっとみんながアサたんのことを心配してる……。それを忘れないでね」

翌日の休み時間、アサヒは美鈴たちのグループに混じって外に出てみた。みどりも誘ったが、いつも通り絵を書き始めてしまったので仕方なく教室に置いてきた。美鈴たちとのバスケは楽しかった。校庭の隅のバスケットゴールで、先に来ていた男子数人と合流して遊ぶ。その中にはユウガ君もいる。

美鈴が言っていた通り「超ゆるゆる」のバスケは、集まった人数が多いのでコートに入るメンバーを適宜交代しつつわちゃわちゃ、細かいことは気にしない、誰かが失敗しても気にしない、うっかり反則をしても「おーい」と軽いツッコミが入るだけ――。アサヒはこれまで経験したことがない、明るい時間を楽しんだ。こんな世界があったんだ、とアサヒの胸は躍った。そして、みどりさんも試しに一度来てみればいいのに、とも思った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み