美鈴(ベル)の完璧な世界㉖

文字数 3,153文字

このままこいつ、山田みどりの前にいるのは危ないのかもしれない、と美鈴は思った。
こいつは無器用で表裏が無くて何もできなさそうなフリをしているけれど、それは表向きの顔。その裏で良くわからない力を使って目の前の子たちを傷付けるのが本当の姿。ためらったり、後悔したりする様子も見せずに傷付ける。すごく、すごく危なくてひどい奴だ。こいつはその力をわたしにも向ける気だろう、むしろ本当に傷付けたい相手はみんなではなくてわたしなんだろうから、と。
何となくだけれどわかるよ、そんなことくらい。あんたがわたしのことを傷付けたくなるほど嫌っているってことくらい。わたしたちはお互いに嫌い、嫌われるようなことを沢山したものね。

でも美鈴は逃げる気にはなれなかった。どんなに危険だとしても、このズルばっかりの卑怯で残酷なこいつから逃げるだなんて、こいつに負けるだなんて、そんなのは違う。こういう奴に立ち向かうのがわたしなんだ。たとえ危険でも勇気をもってそれができるのが、本物のプリンセス……ううん、プリンセス(そんなもの)なんてもうどうでもいい、でも、わたしがなりたいものはそういうものなんだ。プリンセスがどうでも良くなってもそれは変わらない。変わってはダメ。

(来なよ! やれるものならやってみなよ!)

美鈴はみどりを睨んだ。わたしを傷付けたいなら傷付ければいい。罵りたいなら罵ればいい。でもそのかわり卑怯なことはするな、良く分からない力なんか使うな、見えない力を使って、やりたい放題やって、それで知らんぷりなんてするな。傷付けたいならその手でやれ。罵りたいならその口を使え。わたしもそうする。あんたがわたしを殴るなら、わたしが自分で殴り返す。あんたがわたしを罵るなら、わたしは自分で言い返す。誰かに代わりにやらせるなんてしない。そもそももう、今ここに立ってあんたに立ち向かえるのは、わたししかいないんだ。わたししか!

みどりには「コピペの力」があった。でも美鈴にも、「見えない力」はあった。
美鈴が持っている力。それは自身の言葉や行動、姿によって周囲の子たちの心を次々と掴み、自分の味方にする力。コミュ力、人たらしの才能、愛される技術などと呼ばれるもの。それはみどりから見れば不可解な、何をどうすればこんなことができるのかわからない「見えない力」だ。みどりからしてみれば、美鈴の力は自分が使う「コピペの力」とは比べ物にならないほどの不思議そのものだ。
でも、みどりの力と美鈴の力はとても似たものなのかもしれなかった。それぞれ作用する対象は違うけれど、どちらも自分が思うように相手を動かすことができるのだから。みどりが動かせるのは「モノ」で美鈴は「こころ」。そういう違いがあるだけで。

美鈴はみどりを攻撃するためにその力を使った。エリカやメイたちに使った。サラちゃんに使った。アサヒにも使った。使いすぎた。美鈴には使えるけれどみどりには扱えない力を、ためらうことなく使ってしまった。ひとのこころを変えると、ひとの行動は変わり、その結果として現実も変わる。みどりの世界は美鈴の力によってヒビだらけになった。
美鈴には「自分がそれをやった」という自覚があった。ちゃんとあった。自分の力で周囲を動かし、みどりの世界をかき回した自覚が。目の前のこの教室のぐちゃぐちゃは、かき回されたみどりの世界そのものだ。それをやったのはみどりだ。そして美鈴だ。

やったことには落とし前をつけなければならない。自身がしたことから逃げることはできない。今はそういう時。サイアク! 最悪! 最悪!!

「「最悪」」

最悪というのはこういうことだ、とみどりは理解した。ぐちゃぐちゃの教室。一歩もひかず、挑みかかるような目でこちらを睨む美鈴。この状況を一体どうしたらいいのかわからない。何もかもがみどりの問題解決力を超えている。正直オーバーフローだ。自分の力では抱えきれないものを突きつけられると、頭の中が、思考が、気持ちがザラザラになる。意識がバラバラになる。何かを痛めつけたくなる。スクラッチマークを付けたくなる。いくつもいくつも、自分に、周りに。爪を立てて、傷を付けて――。
でもそれはできない。
「コピペの力」でそんなことはできないんだ。
「コピペの力」でできるのは、その真似ごとにすぎないし、バラバラザラザラの頭で想像できることはやっぱりバラバラザラザラで、それを目の前にコピペすることはできない。やろうとすると頭が破裂しそうになる。できない。たぶん、やってはいけない。

だからそれができるのは身体だけなんだ。わたしの身体だけ。身体をつかって傷を付けなくてはいけない。わたしに、こいつに傷を付けなくてはいけない。この不器用でみっともない、自分で自分をととのえることすらできない、ちょっとした刺激や出来事でグラグラ揺らぐ、思い通りにならないわたしの身体。不便な、大嫌いな身体。それを動かさなくてはいけないんだ。そうでなければ傷をつけることはできないんだ。

わたしは腰を持ち上げて立ち上がった(フラフラする)
腕で押して机をよけ(手のひらの鼻血が机につく)
うずくまるやつらを膝や脛で蹴り(よけられない)
左脚を右脚を動かし(もつれて転びそうだ)
手をのばし(安藤美鈴はこっちを睨んでいる)
指をひろげ(安藤美鈴は逃げない)
つかみ(つかまえた)
右手指の爪を安藤美鈴の頬に立て(鼻血が安藤美鈴の服につく顔につく)
指に力を入れ(皮膚が爪と指のあいだにくい込む)
そのまま引く(そのきれいな顔に傷を――)

みどりは美鈴の肩をつかみ、頬に爪を立てて傷をつけようと指に力を入れた。みどりはやる気だった。美鈴もそれを受けて立つ気だった。
けれどその時、誰かが美鈴を横から強く押して二人の間に割り込み、みどりの腕をきつく掴んだ。みどりはそれを振り払おうとした。掴まれた腕を強くふった。ターゲットを美鈴からそいつに変えて引っ掻こうとした。みどりとそいつは互いに掴み合いのもみ合いになった。そいつの顔や服にもみどりの鼻血がついた。けれどそいつの手は決してみどりを離そうとしなかった。一歩も退かなかった。決して離してはいけないという思いでみどりに立ち向かったそいつはアサヒだった。
アサヒは叫んだ。

「馬鹿! 何やってるのみどりさん! やめなよ!」

もみ合いの隙をついてみどりの腕から手を離すと、アサヒは勢いよくみどりの頬を叩いた。1回、2回。だめだよ! もうやめなよ! 馬鹿! と叫びながら叩いた。学校で誰かを叩くなんてこれまでしたことがない。でもやった。やるしかないからやった。みどりは叩かれて怯んだ。学校で誰かに叩かれるなんてみどりにとっても初めてのことだった。誰かに――例えばアサヒやサラちゃんに――手を上げてしまったことはあったけれど、上げられたことはなかった。経験のないことが自分の身に起こってみどりはフリーズした。アサヒはみどりの両肩を掴んで揺さぶった。ぐらぐらとみどりの頭が揺れた。みどりさん! と必死に呼びかけながらアサヒはもう1度みどりの頬を強く叩いた。
みどりさん! みどりさんの馬鹿!

叩かれたあと、少しだけ間を置いてみどりはわあっと泣き出した。自分の内側にあるものすべてを絞り出すような激しい泣きかただった。崩れるようにしゃがみこみ、泣きながら髪をむしり、額を床に打ち付けようとするみどりをアサヒは必死に押え込んだ。みどりが外に向けていた爪がひっくり返って全部みどり自身に刺さっているようだった。放っておけばみどりはみどり自身を徹底的に傷つけてしまう。それはダメだ。させてはいけない。アサヒはみどりを押さえ込みながら、抱きかかえるようにして立たせた。
「ごめんね、みどりさん、ごめんね、気持ちを落ち着かせる部屋に行こう」と。
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