第八項 黙示

文字数 3,515文字

 カーテンを閉め切った病室で、彼は意識を取り戻しました。
「リジ……ル?」
 ぼんやりとした彼の視界に、折れた右手を吊ったリジルくんが立っています。彼はずっと、蓮のそばを離れなかったのです。そんなリジルくんを、蓮は静かに見つめていました。
「すまない……俺のせいで……」
リジルくんが、蓮の腹部に視線を向けます。リジルくんとの戦いで、穴だらけになっただけでなく、内臓がほとんど壊死しているのです。
 「こんなもん、どうってことないさ」
「でも……」
「男のくせに、細かいこと気にするなって」
そんな彼の強がりに、リジルくんは悲しみを堪えて目を閉じてしまいました。
「どうした……笑ってくれよ」
それが無理だと、蓮にもわかっていました。だってフェルトちゃんを失ったのだから。
「お前は妹を守り続けた……絶対に手を離さなかった……お前は悪くない。お前だけは絶対に、悪くないんだ!」
 そのとき、一人の女性が病室に入ってきた。
「スメラギ……」
何も言わない彼女は、蓮を叱責に来たのです。蓮の苦しみを知りつつ、彼を諭すために……
 部屋に入るや否や真直ぐに歩いてきて、いきなり蓮の顔面を引っぱたき
「この人殺し!」
と叫ぶのです。あまりの事態に、病室のみなが困惑します。そんな空気をよそに、彼女は蓮を殴り続けます。そして
「憎しみで戦ってはいけないと、あれほど言ったでしょう!それなのにあなたは」
憎悪に呑まれ、黒い炎を開放したことを責めているのです。
「恨みを晴らしちゃ……いけないのかよ?」
「当たり前です!敵は憎まずに調伏しなさいと、逃げ道を残してあげなさいと、私はあなたに教えました!」
「ふざけるな!リジルを傷つけられ……フェルトまで……フェルトまで」
蓮がリジルくんから目を逸らし、スメラギさんに激情を向けます。
「それでも憎むなってのか!?娘を殺されて平気でいろってのか!?俺はそんなに人間出来ちゃいねぇんだよ!」
「まだわからないのですか!」
再びスメラギさんが引っ叩きます。
 「憎悪に呑まれれば、更なる悪意を呼び寄せる。より激しい争いに見舞われるのです!」
そして殴る手を止め
「あなたがあそこまでやったから、ミカエルが動き出しました。まもなくこの国は戦場になります。あなたと、あなたに関わった全てを消し去るために」
泣きながら諭す彼女の心は、とっても苦しいものでした。だって本当は、蓮のことが心配で仕方がなくって、優しい言葉をかけて上げたいと思っているのだから……だけど彼女は叱責を続けます。これは任務でしょうか?それとも何かの演技でしょうか?
 「あなたがやりすぎたから、ミカエルはあなたを脅威と捉え、討伐指令を出しました。もうアザリアであっても庇いきれない」
「まさか……機動兵器(ベル・ゼブブ)の封印が解かれたのか?」
「その最中です。恐らく攻撃が開始されるのは半年後でしょう」
「くっ……」
 ベルゼブブ?物語やゲームに登場する、とっても強い悪魔の名前ですよね?確か、メソポタミア一帯で崇められ、”崇高なる主、バアル・ゼブル”と称えられていた神様です。ただ、キリスト教では邪神とされて、”蠅の王、バアル・ゼブブ”に貶められていて……そんな名前の兵器があって、それをミカエルさんが利用するのでしょうか?エリクシールを降らせた美しい天使が、そんな兵器を使って、日本ごと蓮を滅ぼそうというのでしょうか?そういえば、ウリエルさんたちが用意した爆撃機が、”蝿(ゼブブ)”と呼ばれていました。それらが軍団になって、日本を滅ぼしにくるのでしょうか?
 「ミカエルも迷っていました。だから、直接あなたを見に来たのです。あなたがウリエルを殺そうとしなければ、ミカエルだって決断を避けたはずなのに」
 あまりにも重大なことが動き出しています。でも、やっとのことで生き残ったのに、なんとか勝つことができたのに。それが原因で、更なる不幸が始まろうとしているなんて……
 それを伝えきったとき、スメラギさんは最後の質問を投げかけました。試すように、蓮に問いかけるのです。
 「今一度問います。あなたはこの世に、人を殺すために、世界を死で染めるために”しがみついている”のですか?」
「……」
「もしそうなら、今すぐここで死になさい。この世界に在る数多の生命のために、自ら命を絶ちなさい。そうすれば多くの生命が救われます」
「くっ……うぉおおおおおお!」
 死の淵から目を覚ました蓮には、酷な内容でした。瀕死の重傷を負って弱りきった身体。心が壊れるほどの悲しみ。とても、こんな重い話を受け入れられません。それがわかっていながら、スメラギさんは彼を叱責するのです。

 彼が叫んだとき、病室に2人の子供が現れました。
「フェ、フェルト!?」
リリィちゃんと手を繋いで、ぬいぐるみを抱えたフェルトちゃんが入ってきたのです。
 「パパー!」
亡くなったと思ったフェルトちゃんが生きていて、目の前にいて、蓮はベッドから飛び出しました。飛び出したというより、体をよじってベッドから落ちたという方が正確ですが……
 下半身が動かない蓮は、頭から落っこちました。でも、そんなことはお構いなしに、必死にフェルトちゃんの方に向かおうとします。
「フェルト……本当に、フェルトなのか?」
「うん!」
「よかった……生きてた……生きててくれた……」
しゃがみこんだフェルトを、蓮がしがみつくように抱きしめます。
 「アザリアは」
蓮の体を支えながら、リジルくんが口を開きました。
「フェルトを守ってくれた。あの日、俺たちが眠る亜空間(アルヘイム)に、ウリエルが現れた。”心の疵(きず)”が癒えた俺は先に目覚めて、ウリエルと戦った。異常を感じて駆けつけたアザリアには、フェルトを連れ出してもらった。ごめん……俺がウリエルに勝てなくて……迷惑かけて」
 リジルくんの話が聞こえているのか、蓮はただ泣きながら、フェルトちゃんを抱きしめていました。
「パパ……」「ん?」「いたいよ~」「あ、ごめん!」
 泣きながらだけど、蓮はようやく笑顔を見せました。リジルくんに抱えられながら、再びベッドに横になります。いまは嬉しくて仕方がなくて、暖かい涙が頬を伝って零れ続けています。そんな蓮に向けて、フェルトちゃんがアッカンベーのような、変な顔をしていました。涙ぐんでいた蓮が、思わず吹き出してしまいます。
「何やってんの……?」
「変な顔ぉ~」
 そう、ただ変な顔をしているのです。自分も怖い目にあったのに、リジルくんがいなくなって心配だっただろうに……この子は、フェルトちゃんは、蓮を笑わせてくれようとしているのです。
 蓮に、元気をあげるのです……
 「ありがとう……大好きだよ……フェルト」
震える声を発する蓮の、左眼から涙が溢れ続けます。
「蓮……眼が」
「え……?」
「左眼が……」
リジルくんが涙を流し、蓮の左眼を見つめます。
「あ~、茶色!茶色~!」
フェルトちゃんが嬉しそうに声を上げます。
「心が……戻ってきたのか?」
 3人は抱き合い、声を上げて泣き続けました。亜空間で眠っていたとはいえ、30年ぶりに再会したのですから……
 「あなたには……失望しました……」
湧き上がる感情を噛み殺し、スメラギさんは病室から去っていきました。

 「あのねパパ。フェルトね、お友達が出来たの」
フェルトちゃんが嬉しそうに紹介するお友達とは、リリィちゃんでした。
「君が……守ってくれるのかい?」
「もう、大丈夫よ」
 リリィちゃんの笑顔に、蓮も笑顔を返します。安心したのか、安らかな表情でベッドに横たわっています。
 「ねぇパパ」
「ん?なんだい」
「早く元気になって!公園に行こう!滑り台がある公園」
「ありがとう。パパ頑張ってお怪我治すよ。元気になったら、公園でいっぱい遊ぼう……いっぱい、いっぱい」
「じゃあ約束」
そしてフェルトちゃんは左手の小指を差し出しました。蓮がいつか教えた、お約束のやり方です。
 「ゆ~びき~りげ~んま~ん。嘘つ~いたら、針千本の~ます。指切った!」
微笑みながら指切りを交わし、離れると同時に、彼の左手は力無く崩れました。そしてそのまま、静かに眠りに落ちるのです。とっても深い、眠りの底に……
 そのまま彼は、昏睡状態となりました。集中治療室に運ばれて、お医者さんが姿を現したのは、12時間も後のことでした。寝ないで待っていた私たち。そんな私たちに対して、執刀医は静かに現実を音にしました。

 私達は、蓮野久希を失ったのだ……
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登場人物紹介

桜苗沙希(さなえさき)(16)

ちょっと天然な、お菓子系の美少女。

パステルカラーがよく似合う。

感受性が強く、不思議な青年、蓮と惹かれあう少女。

後に、”特異点”と呼ばれる。

蓮野久季(はすのひさき)(21?) 通称:蓮(レン)

その経歴や言動から、とにかく謎の多い青年。

「黒い剣士、銀色の悪魔、ワケあり伊達眼鏡、生きる女難の相」など、いろいろ呼ばれている。

物語の核である、「グラマトン、プラヴァシー、継承者、閉じた輪廻」に密接に関わる、左利きの男。

多重人格者であるが、それらは前世以前のもの。

セト

蓮が利用するアルドナイ(AI)

蓮を「兄サン」と呼び、主に情報収集と相談役として活躍する。

本編で詳しくは語られないが、遂に正体が見えてくる。

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