第四項 熊川農園

文字数 2,422文字

 「見えてきたわよ」
新千歳からワゴン車で1時間ちょっと、助手席のセシルさんが到着を知らせます。窓の外を見ると、広々とした田園風景です。およそ50ヘクタールの敷地に、牧場と畑が見えます。その先には小さな山も見えます。朝7時前に出発して、もうすぐ13時。お陽様が空高く昇って、農場の緑の芝が日差しでキラキラ輝いています。
 ここは熊川農園さん。これから一週間、私たちが北海道で行動する拠点です。
「あんりゃ、蓮さん。久しぶりだなや」
「ご無沙汰しています。熊川さん。お世話になります」
「いや~、よぐ来た、よぐ来た。まあ、ゆっくりしていってくれや」
 出迎えてくれたのは、この農場を経営する熊川さんのおばあさんです。
「遠くから大変でしょう?お昼準備できてっから、一緒にどう?」
「ありがとうございます。もうお腹ペコペコで」
「ちょっと待ってて。男衆がもうすぐ戻ってくるから、ここでバーベキューにしましょ」
 そういっておばあさんは家屋に戻り、お嫁さんたちと一緒に食事の準備を始めました。私たちもお手伝いしたかったのですが、食材や鍋の置き場もわからないので、所在なく眺めているしかできません。申し訳ないなぁと思っていると、蓮が手招きで私たちを呼んでいます。
 「テーブルとお皿を運ぶから、手伝って」
テーブルと言われたそれは、ジュースやビールのケースと、大きな板でした。箱を並べて、その上に板を置いて、即席テーブルの出来上がりです。
 「紙皿とコップを並べてもらっていい?あ、そっちは醤油とかお願い。焼いた野菜にかけると美味いんだ」
 楽しそうな蓮。仕事ができて安心した私たちも、いそいそと準備を行います。そんなこんなで午前中の農作業から戻った男性陣と合流して、バーベキューパーティーの始まりです。

 「うまい!」
ヒデさんがお芋に舌鼓を打ちます。
「だろ?焼いて醤油をかけただけなのに、こんなにちがうんだぜ」
「すごいですね!でも、こんなに美味しい野菜、食べたことないっすよ」
「これ全部、タダ同然って思える?」
「マジですか?こんなに新鮮で美味しいのに、タダなんですか?」
「このジャガイモとかカボチャとか、形が悪くて売り物にならないんだ。まあ、B級品(規格外品)って呼ばれてるやつだね」
 「もったいないですねぇ~。新鮮で美味しいのに、形のせいで売り物にならないなんて」
「まあ、仕方がないよ。ただ、自宅で食べたり、小さすぎるやつは飼料になったりと、無駄にはしないんだけどね」
「蓮さん。相変わらず詳しいですね」
「実は昔、この農園に居候してたことがあるんだ」
「それでバーベキュー準備の手際が良かったんですね」
「まあね。みんなには是非、この味を知って欲しかったんだ。それに」
「それに?」
「いきなり手料理だと、みんなも警戒するでしょ?」
「どういうことです?」
「よその手料理って、抵抗あるヒトが多くってさ。お味噌汁とか煮物とか、”自分の家のじゃないとちょっと”ってヒト、結構いるでしょ」
「ああ、カレーでもそういうヒトいますよね。友達の家に泊まりに行って、お母さんの料理が食べられないってやつ」
「そうそう。だから最初はバーベキューにしてもらったんだ」
「へぇ~」
 蓮とヒデさんがそんな会話をしていると
「相変わらず、大したものね。蓮」
蓮の隣、私の向かい側に座っていたセシルさんが、冷ややかに呟きました。たぶん、私と蓮にしか聞こえていなかったと思います。
「これなら、安心して食事ができるってことでしょ?顔見知りで親しい人間しかいないから、毒を盛られるリスクが低い。自分の目の前で調理するなら尚更ね。それに火にかけるから熱消毒もできている。そういうところ、さすがとしか言えないわ」
 この嫌味が聞こえているはずなのに、蓮は聞こえないフリをしていました。大人の対応というやつでしょうか?いえ、既に蓮は、セシルさんを敵として認識しているのです。

 食事を終えた私たちは、熊川農園の敷地内を冒険します。蓮と一緒に行動する班と、ヒデさんをリーダーにする班です。蓮の班は山を中心に、畑までを見て回ります。ヒデさんの班は、牧場と畑を中心に見て回るのです。もちろんこれも、スムーズには進みません。それでは出発という時に、またもいざこざが起きるのです。何故かって?そう、今回の最大の問題児、セシルさんがいるからです。
 「わたしは、蓮と同じ班よね?」
さっそく私たちの間に入り込んで、チームワークを乱すのです。
「だめですよ」
「あら、どうして?」
「これからお山に行って、いろいろとイタズラするからです」
「それってどんな?」
「もちろん秘密です。だって、戦い甲斐がないでしょ?こっちの手の内を知っちゃったら」
「山道に地雷でも埋めるつもり?」
「そんなことしませんよ。自然が台無しになるし、動物たちが怖がって逃げちゃうから」
 先程よりは冷静さを取り戻した蓮が、セシルさんをあしらいます。でも
「あらあら、お優しいのね。そういえば……爆死って、どんな感じなのかしら?」
セシルさんは動じません。マイペースのまま
「爆発して吹っ飛ぶって、どんな感じだったのかしら?ね!レ・ン?」
突拍子もないことを言い出すのです。このヒト何が言いたいんだろう?そう思っていると、またしても蓮が青ざめ、冷や汗を流しているのです。
 「だ、だいじょうぶ?具合悪いの?」
心配する私と、それを嘲笑うようなセシルさん。なんでしょう?このヒトがいると、どうしても嫌な感じが治まりません。
 「そうだ」
そして彼女は
「あなたにも教えてあげないとね」
新たな嫌がらせを始めるのです。
「あなた、そんな格好してるけど、今の恋人なんでしょ?この男の!」
私に狙いを定めるのです。
「あるところに、一人の少年がいました」
そして、耳を覆いたくなるような独白が始まるのです。
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登場人物紹介

桜苗沙希(さなえさき)(16)

ちょっと天然な、お菓子系の美少女。

パステルカラーがよく似合う。

感受性が強く、不思議な青年、蓮と惹かれあう少女。

後に、”特異点”と呼ばれる。

蓮野久季(はすのひさき)(21?) 通称:蓮(レン)

その経歴や言動から、とにかく謎の多い青年。

「黒い剣士、銀色の悪魔、ワケあり伊達眼鏡、生きる女難の相」など、いろいろ呼ばれている。

物語の核である、「グラマトン、プラヴァシー、継承者、閉じた輪廻」に密接に関わる、左利きの男。

多重人格者であるが、それらは前世以前のもの。

セト

蓮が利用するアルドナイ(AI)

蓮を「兄サン」と呼び、主に情報収集と相談役として活躍する。

本編で詳しくは語られないが、遂に正体が見えてくる。

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