第四項 サララ

文字数 2,324文字

 漆黒の火柱が数秒間、リジルくんと蓮を焼きました。炎が消えたとき、中からリジルくんが崩れ落ちます。気を失って見える彼は、そのままうつ伏せになって倒れ込みました。
 リジルくんは汚れていましたが、火傷しているようには見えませんでした。全身を火柱に飲まれたのに、髪の毛もチリチリになっていません。
 語り部は、早苗沙希に戻りました。黒い炎がリジルくんを焼いて、水でできた透明な結界も消滅しました。突然時間が動き出したかのように、蓮たちとの間にあった、水の壁がバシャって落ちたのです。
 今、別人になっている蓮が、倒れたリジルくんに歩み寄ります。身体の一部を銀色の鱗で覆ったまま、その悪魔は死神であった少年に迫るのです。そんな彼に、潜んでいたサララさんが体当たりしました。そしてリジルくんを庇うのです。
「やめて!もうやめてよ!」
彼女は泣きながら、自分の身を盾にしてリジルくんに覆いかぶさっていました。蓮が、いえ、蓮であった悪魔が、リジルくんを殺すと思っているようです。
 「リジルはあんたの、大切なヒトなんでしょ?お願い……殺さないで」
サララさんが泣きながら懇願します。その光景は、違和感の溢れるものでした。リジルくんを誘拐して洗脳し、蓮と戦う道具にした女性が、蓮から彼を守ろうとしているのです。そんな彼女の声に反応して、リジルくんが目を覚まします。
「フェル……ト……逃げ……ろ」
 意識が朦朧としているようですが、もうサリエルさんではないようです。でも、呪縛はまだ解けていなくて、サララさんをフェルトちゃんと思い込んでいるようです。彼女の頬を優しく撫でる姿が、どうしようもなく痛々しいです。
「にーにー……が、必ず……守……から」
もう、立ち上がることもできないのに、無理に立ち上がって彼女を守ろうとします。
 そんな彼の姿が、優しさが痛々しくて、私は目を背けてしまいました。
「リジル!」
サララさんが泣きながらリジルくんを抱きしめます。そんな2人のもとに、悪魔と化した蓮が迫り
「汝……偽りの妹よ……」
二重に響くような、不気味な声を発し
「リジルの心を踏みにじり、その愛情を冒涜せし者……罪深き女よ……」
狂気と殺気を滲ませて、サララさんに迫るのです。
 それでもサララさんは、必死に蓮に立ち向かいます。崩れるリジルくんを抱きとめて、泣きながら逃げずに対峙するのです。
「何故偽りの兄を守らんとする?貴様にとって、かの者は道具に過ぎんのだろう?」
「違う!このヒトは私のお兄ちゃんだ!」
「違う!その少年の妹は、フェルトというかけがえの無い存在のみだ。貴様のような輩が、かの者への愛情を盗むことなど許されない!」
 この一言が効いたのでしょう。サララさんの表情は悲しみで濡れました。命のやりとりをしているときの、緊張したそれではなく、家族を亡くして泣き続ける、少女のように……
「わかってる。わかってるよ……私だって最初は、こんな風に思ってなかった。でも……今は大切なヒト、亡くしたくない大切なヒトなの!」
泣きながら、必死にリジルくんへの想いを叫ぶサララさん。
「ならば汝を、ここで滅さねばならぬ」
悪魔が迫り、その銀色の、刃物のような腕を振り上げます。
 リジルくんすら焼いた悪魔、怖くないはずがありません。現にサララさんは、震えが止まらず、涙を流しながら怯えています。
「蓮!やめて!」
私の叫びなんか、届くはずもありません。駆けていって、止めに入れる距離でもありません。誰の助けも来ない中、絶望に置かれたサララさんは
「いいよ……私を、殺してください」
震える声で
「その代わり、約束してください。私を殺したら」
命がけで懇願しました。
「リジルだけは……助けてくれるって」

 「女、なぜに貴様は、その少年にこだわる?」
「私には、記憶があります。私を想ってくれたヒト、私の大切なヒトたちの記憶が」
「貴様は、誰だったのだ?」
「わかりません。私は失敗作です……でも、記憶はあります。幼い弟を失い、初恋のヒトを失い、夫も息子も孫にも、先立たれました。それがすごく苦しいことだったって、憶えているんです。だからどうしても、私を大切にしてくれたヒトに、死んで欲しくないんです……お願いします!」
「女、その少年とともに在りたいか?その少年との生を、求めるのか?」
「許されるなら一緒にいたいです……どんな償いでもするから……一緒に」
 予想に反して、悪魔は刃でなく、言葉をかけてきました。それが何を意味するのか、私たちにもわかりません。彼女が代行輪廻の失敗作だということに、なぜ悪魔が興味を持ったのか、誰にもわからないのです。サララさんもそうなのでしょう。ひととおり話したあと、自分の望みを飲み込んで
「ううん……リジルが助かるなら」
静かに瞳を閉じました。眼を閉じて、死の運命を受け入れたのです。
「私は……それだけで」
 「よかろう。ならば誓え。汝が魂を捧げ、その少年を守ると。2度と我に逆らわず、その少年を守護すると」
魂を捧げて、少年を守るって……
「誓う、誓うよ!約束する!もう、あんたみたいな化け物に逆らったりしない!リジルを利用させない……だからお願い……リジルを助けて」
 「そうか……」
悪魔はサララさんに歩み寄り
「怪力乱神を語らず」
その左肩に手を置きました。金属の手を首筋に当てられたと思い、サララさんは身震いします。自分の首が、撥ねられると悟ったのです。それでも恐怖を押し殺し、彼女はじっと死の瞬間を待っていました。だから
「いいよ……赦してやるさ」
そんなことを言われて、しばらくキョトンとしていました。
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登場人物紹介

桜苗沙希(さなえさき)(16)

ちょっと天然な、お菓子系の美少女。

パステルカラーがよく似合う。

感受性が強く、不思議な青年、蓮と惹かれあう少女。

後に、”特異点”と呼ばれる。

蓮野久季(はすのひさき)(21?) 通称:蓮(レン)

その経歴や言動から、とにかく謎の多い青年。

「黒い剣士、銀色の悪魔、ワケあり伊達眼鏡、生きる女難の相」など、いろいろ呼ばれている。

物語の核である、「グラマトン、プラヴァシー、継承者、閉じた輪廻」に密接に関わる、左利きの男。

多重人格者であるが、それらは前世以前のもの。

セト

蓮が利用するアルドナイ(AI)

蓮を「兄サン」と呼び、主に情報収集と相談役として活躍する。

本編で詳しくは語られないが、遂に正体が見えてくる。

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