第三項 瑪瑙(ねがい)

文字数 3,853文字

 リジルとフェルトに、お揃いの首飾りを送った。瑪瑙には、願いを叶えるチカラがあると聞いたことがあった。だから、アルビジョワで手にした原石を、ふたりに分け与えた。”この子たちが、ずっといっしょにいられますように。離れ離れになりませんように”って……
「それは……」
2人を守ると誓ったあの日、泣きじゃくっていた妹と、慰めることしか出来ない兄を、俺は守ると決心した。もう二度と、2人の痛々しい姿を見たくなかった。悲しませたくなかった……無力なあの子たちを、”戦争なんかで押し潰してたまるか”って……でも、リジルは妹を奪われ、洗脳されて兵器にされた。そしてフェルトは……フェルトは……
 「ん?これのことか?」
俺の目の色が変わるのを見てとって、ウリエルはサディスティックな笑顔を見せる。
「あの小娘からいただいた」
「貴様……フェルトになにしやがった!?」
「にーにー、にーにー、泣き喚いてうるさかったよ。だから喉を焼いてやった。そしたらすぐに大人しくなったよ。声を消すだけのつもりだったが、呼吸ができなくなったようだ」
喋りながらウリエルの野郎が高笑いする。
「涙と鼻水を垂れ流して、最期は惨めに窒息死していたよ」
 「そんな……フェルト……うぐぅっ!?」
フェルトが窒息死するイメージが頭に浮かび、俺の心拍数は跳ね上がった。自分の鼓動で息が止まりそうになるほどに。あまりにも激しく心臓が打って、破裂して口から吐き出しそうだった。
「なんだ?どうした小僧。壊れたか?」
両手で喉を掻き毟り、泣き崩れる俺を見下ろしながら、ウリエルが嘲笑う。
 俺の中で繋がっていた何かが切り離され、今度こそ俺は、消えてなくなりそうだった……

 「パパー」
そう呼んで慕ってくれた少女、笑顔で走ってくるフェルトが
「怖いよ!助けてパパ!パパーーー!」
闇の中でバラバラに引き裂かれる。
 ”最愛の娘(フェルト)”を失った。
 強欲に支配された悪意によって、軽々しく命を奪われた。俺は怒りに溺れてしまい
「貴様……リジルだけじゃなく、フェルトまで」
銀色の悪魔へと変貌する。
 「どうやってあの子たちを連れ出した?あの子たちは結界の中にいた」
「あのお方が望まれたのだ。ガキ共で遊んでやれとな」
「あのお方?アダムのことか……」
「そうだ。あのお方が貴様の創りだした亜空間を見つけ出し、抉じ開けたのだ。そしてあの兄妹を連れ出した」
「あの結界は、”アルヘイム”は、簡単に見つかるものじゃない!」
「そのとおりだ。だが数年前に、ひとり覚醒した女がいた。心の疵が癒え、貴様の知らぬところで目覚めた女……”セシル”という女が」
「セシルか……彼女の心は別の亜空間で休ませていた。彼女にリジルたちを見つける異能はない」
「そうだな。だが、あの女は”閉じた輪廻の一部”なのだ。貴様を苦しめるためだけに存在し続けている。だから役に立ったよ。あのお方のもとで、ガキどもを見つけてくれた」
「セシル……」
「おかげでガキどもを手に入れた。貴様の本性を確認できる。貴様がカインであるか、確かめることができる」
「そんな……それだけの……たったそれだけの理由で、フェルトを殺したのか?リジルを洗脳したのか?」
「そうだ」

 憤怒の海の底に沈むと、そこは煉獄を溢れた悲しみの溜まり場、心が堕ちる墓地(さき)だった……
 『墓地は嘆きの愛の園。思い出茂る仮死の森』
でも、俺は溺れないで済んだ。だって今、この大海原とひとつになったのだから……
 『墓地は現(うつつ)の露の原。幽世(かくりよ)の苔が生した土地』
掟の門を抜けたその先で、幻夢境の手前に横たわる無意識(うみ)の中で、俺はそれと融合した。
 『墓地は息づく靄の胎。そは魂の巣のしじま。墓地は欠け逝く月の道。そは太陽の眼のやどり……』 
神話の時代から積み上げられた、”膿んだ他人の憎悪(禁断のエネルギー)”と融合したのだ。
 ”神は死んだ”。確かに、ヒトにモラルを与えたとき、誠実たることを求めたとき、神の神聖さは消滅した。神というものが、人間の想像力の産物であると、気づかせてしまったからだ。
 でも、神であったもの、”始祖”はまだ君臨している。神聖や霊性を失ったとしても。彼らを神と呼ぶのなら、俺は神を始末しよう。神と呼ばれる悪意どもを、物理的に滅ぼしてやろう……
 
 「フェルト……怖かっただろうに……痛かっただろうに」
 俺の心が憎しみに溶けて馴染む頃、現実の世界では俺、いや、銀色の悪魔を中心に、円状の風が吹いた。衝撃波が広がり、粉塵を撒き散らす。
「す……素晴らしい憎悪(ちから)だ……」
悪魔と化した俺は、さぞやとんでもないものだったのだろう。対峙したウリエルが、その威圧感に恐怖を覚えたようだ。だが同時に、奴は最強の敵の出現を悦んでいるようだった。はじめて全力を出せると、強欲を満たすことができると確信したようだ。
 「パパ、パパ聞いて!パパ聞いて」
思い出の中で、フェルトに読み聞かせた声が、絵本を読む俺の声が響いてくる。
「パパ……パパパ……」
読んであげると、フェルトはとっても嬉しそうだった。俺を指差しながら、”パパ”って言ってくれた……半年くらい一緒に過ごして、健康を取り戻した頃には、喋れるようになってくれた。そんなあの子の言葉を
『もっといっぱい……聞いてあげればよかった』
どうしようもない後悔が、俺の心を凍てつかせる。
『もっと一緒に……遊んであげればよかった』
大切な思い出なのに、噛締めるほどにあの子の姿が霞んでいく……
『あの子の傍にいて、ずっと守ればよかった……そうしなきゃ、いけなかった』
いけなかったのに
『なんで俺はそうしなかった!?』
そうだよ。こんなにも大切なのに
『なんで……あの子の傍を離れた!?』
俺の責任だ……俺が甘かったんだ。だから
『リジルを傷つけられ、フェルトを失った……』
 俺が闇に染まっていく最中も、ウリエルは暴れていた。金属の右腕から、炎線を放ち続けた。防御した俺の左腕が、その高熱で溶けていく。でも
「化け物め!」
俺は止まらなかった。まるでビームのような炎をものともせず、左肩から下が溶けてなくなっても、ウリエルに跳びかかった。振り下ろす右腕が、奴の頬を掠める。軽い出血の先に、砕けた大地の裂け目が覗く。
 「なんというパワーだ!?これがカインなのか?」
ウリエルはさらに炎を乱射した。爆炎と炎線で、境内と周囲の樹木が、空爆されたアルビジョワのように燃えていた。
 高速で動き回る銀色の悪魔は、左肩を振るような素振りで”ブン”ってやって、再び腕を生やした。まるで大鉈のようなその腕は、樹木も石段も簡単に斬り裂いて、ウリエルを追い詰める。
 「なんだ!?何が起きている?その腕は一体?」
ウリエルは動揺していた。恐怖していることを受け入れられないのだろう。だから余計に混乱して、暴れまわっていた。ヒステリーだ。まるで何十もの爆撃機が空爆しているかのように、轟音と炎が溢れかえっていた。そんな灼熱地獄にあって、俺は心地よい夢を見ていた。
 一歳半の女の子が、ヒョコヒョコ歩いてくる。見るもの全てに興味を示し、指差ししながら笑っている。無邪気で可愛い笑顔が何よりも安らぎを与えてくれる。
「パパパパパパパ」
パパをいっぱい言っている。前世の俺を、そう呼んでくれる。本当に“一番大切”な存在(むすめ)。笑顔で駆け寄ってくる姿は本当に微笑ましくて、この子は私の何よりの宝だ。
 この子に怖い思いをさせたくない。この子には幸せであって欲しい……
 生きることがどれほど大変で、世界がどれほど無慈悲でも……
 この子にだけは、笑顔でいて欲しい……
 なのに俺は裏切られた……堕落した妻に裏切られ、娘と引き離された……
 また、彼が現れる。俺は彼と、初めて向き合っているのかもしれない。
 『前にも言ったね?裏切りと堕落、もしくは出会いと覚醒……君はどちらを選ぶ?』
『あなたは、これほどの悲しみに刻まれたんですね?』
『そうだよ』
『これほどの苦しみに、浸かっていたんですね?』
『そのとおりだよ』
『なのにどうして、そんなに優しくいられるんですか?』
『不思議かな?』
『はい……俺は耐えられない……フェルトを失ったこの悲しみに……愛するヒトを次々と失う、この痛みに。いっそ自分ごと、世界を滅ぼしてしまいたい』
『でも、まだ生きるんだよね?』
『はい……』
『リジルくんとサキちゃんを、守りたいんだよね?』
『はい!』
『なら、変わりたまえ。あのときキミは選んだ……残酷なる生に目覚めることを……生きること、戦うことの責務を負ったんだ。でも君は、いまだ烙印の力すら支配していない……無意識に破壊の恐怖から目を逸らしている』
 そう……俺は臆病で、臆病すぎて、”争い”の全てを受け入れてはいない。
『もし……守りたいものがあるのなら、キミはこの力を支配しなければならない……奇麗事を捨て、結果のために異能(ちから)を振るわねばならない……さあ、今一度言うよ……?』
うん。今なら素直に聞くことができる。
『君の旅の……終わりを見せてくれ』
そして俺は初めて、魂(俺の中)に封印された最初の前世とシンクロした。
 俺の中で始祖が目を覚まし、魂と異能(プラヴァシー)が融合する。3千年の刻を経て、最後の戦いが始まってしまう……
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登場人物紹介

桜苗沙希(さなえさき)(16)

ちょっと天然な、お菓子系の美少女。

パステルカラーがよく似合う。

感受性が強く、不思議な青年、蓮と惹かれあう少女。

後に、”特異点”と呼ばれる。

蓮野久季(はすのひさき)(21?) 通称:蓮(レン)

その経歴や言動から、とにかく謎の多い青年。

「黒い剣士、銀色の悪魔、ワケあり伊達眼鏡、生きる女難の相」など、いろいろ呼ばれている。

物語の核である、「グラマトン、プラヴァシー、継承者、閉じた輪廻」に密接に関わる、左利きの男。

多重人格者であるが、それらは前世以前のもの。

セト

蓮が利用するアルドナイ(AI)

蓮を「兄サン」と呼び、主に情報収集と相談役として活躍する。

本編で詳しくは語られないが、遂に正体が見えてくる。

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