第二項 君主

文字数 3,648文字

 とてつもない炎線が、蓮の頬を掠めていきました。漫画に出てくるビームのようなそれが、蓮を外して麓の一角、墓地の近くを焼きました。
「あぶねっ!」
間一髪でした。当たっていたら、蓮の頭部は消滅してしまうところだったでしょう。
 「あれは……」
でも蓮は、それよりも眼下の光景に驚いていたようです。だって、墓地に面した林が燃えたとき、それが姿を現したのですもの。墓地であった土地に停船していたのは、大型飛行船だったんですもの……
「気になるか?オートポルで開発した、長距離飛行爆撃機……ゼブブだよ」
それは、グラマトンによる干渉を、グラマトンを利用して相殺し、飛行可能とする爆撃機でした。
 「まもなく量産化され、再び世界は硝煙に包まれるだろう。そこで聞きたい」
ウリエルさんは攻撃をやめました。
「貴様はなぜ、何もしないのだ?」
 ウリエルさんの質問が何を意味しているのか、正直私にはわかりません。ただ、蓮は唇をギュッと噛み締め、その目に悲しみを浮かべます。
「闇をばら撒いて、貴様は人類から空を奪った。無線通信も不可能にした。あのとき空を飛んでいた数十万人を死なせ、その後世界を混乱させた。なのになぜ、”次の行動”を起こさない?”争い”を宿し、”雷”と”風”のプラヴァシーを隠し持つ貴様になら、人類の在り方を規定することも可能なはずだ」
 蓮が人類の在り方を規定する?そんなことができるのでしょうか?ただ、封印した雷と風のプラヴァシーのエネルギーを、自身が宿す争いのプラヴァシーで利用できるのなら、蓮は世界を強引に変革させられるのかもしれません。
「何を恐れる?このまま貴様が何もしなければ、世界は30年前に戻ってしまうぞ。再び空を手に入れて、人間同士の殺し合いが始まる」
「わかっている……わかっているさ……でも」
「理想的な答えが見つからなかったか?」
「まあね……あんた、ユートピアってどんな世界だと思う?」
「ユートピア?そうだな。怪我や病気、痛みや苦しみがない世界。飢えもなく、他者に煩わされることの無い世界だな」
「そう。でもそれは、現実として構築できるものじゃない」
「そのとおりだ。”痛みも苦しみもなく、他者が気にならない”というのは、鈍感で愚かになってはじめて可能になる」
「なにより、社会になりえないしね。自分がやりたくない仕事は誰がやる?思想に影響するような情報はどう扱う?賤民思想による奴隷制や、言論統制が行われる。それだけじゃない。ユートピアに都合が悪いものを処分するためなら、”粛清”が行われるだろう。そんなもの、ユートピアなんかじゃない。”デストピア”だ」
「そうだな。19世紀に謳われたユートピアは、全体主義に繋がっていく。そして市民ははじめて、”ユートピア(そんなもの)は存在しない”と思い知ることができる」
「俺はコドモだった……どうしようもないガキだった……世界中の子供たちが笑って過ごせる世界を創りたいと願った……」
「それは絵本の中だけの世界だ。まあ、貴様は日本という平和な国に生まれ育ったのだ。甘い考えであったとしても、驚きはせんよ」
「ユートピアなんて、自分ひとりの時間で、自分を慰めるときにだけ、得られる世界なんだって気づいたよ」
「妄想というやつだな」
 なんというか、蓮とウリエルさんの会話は、いろいろと噛み合っているように見えます。敵として退治しているけれど、お互いに相性は悪くないのかもしれません。
 そんな、会話の傾向が似た相手に対して
「今、俺の前には3つの選択肢が突きつけられている」
蓮が語り続けます。
「聞かせてくれ」

 さて、みなさんはどんな世界が理想的だと思いますか?これから語られる蓮の選択肢の、どれがいいと思いますか?
 「1つ目は、全てをシステムで管理する社会を創ること」
「具体的には?」
「人間の心や能力を数値化し、個人の意思と無関係に、適正や他人との相性を客観的、機械的に判定する社会だ」
 まるでSF映画に出てくる世界です。人間を数値で表し、職業や結婚相手を決めてしまうなんて。そんな世界、本当にできるのでしょうか?
 「なるほど、その人間の幸せを客観的に設定し、そうなるための道筋も、システムで決めてしまうというものか。確かに民衆は先を煩い、決を下すことを苦にする。争いの原因は、人間の心が、主観が原因になっている。だから、機械を絶対とした管理社会の構築は確かに有効だ。だが」
「そんな世界になったら、みんな窒息して、おかしくなっちまう。最大多数の、最適な生活を実現できるかもしれないが……」
「貴様が隠し持つプラヴァシーを使い、キャフィス感染者を利用すれば簡単だろう。それをサポートする、量子コンピューターを開発、運用するだけでいい。だが、貴様はそれを望まない。なぜなら貴様は、ユーロ圏でそれをやった。アザリアとともにな。システムに管理される国がどうなるか、その目で見てきたのだろう?」
「ああ……暴力や貧困は大分押さえられたけど、社会は歪んだままだった……システムに虐げられた、可能性を奪われた者たちが残る。差別と強制がどうしても残ってしまう。だから、この国ではアルドナイ(AI)による監視とアドバイスに留めた」
 蓮がユーロ圏でそんなとんでもないことを?それと、今の日本の仕組み、アルドナイによる監視体制を作ったのは蓮?
「なるほど。他の選択肢は?」
 「2つ目は、全てを破壊し、世界を滅ぼすことだ」
 世界を滅ぼす!?そんな酷いことが、蓮に求められているのでしょうか?さっきのコンピューターが支配する世界より、よっぽど怖い選択肢に思えます。
「人間という名の使徒を滅ぼしてしまえば、全ての苦悩を終わらせることができるな。これも、複数のプラヴァシーを有する貴様なら可能だ。最後のひとつは?」
「このまますべてを諦めて、見て見ぬ振りを決め込むこと。他人がどうなろうが、俺にとって大切なヒトたちだけを守り続ける……自分の殻に、閉じ篭ること」
「なるほど……だがそれでは、貴様の寿命が尽きたら終わりだな。大切な者が子孫を残したら、貴様は死ねなくなる。永遠に、見守らなくてはならない」
「そういうこと……根本的な解決案、いや、”都合のいい”解決案が浮かばなくってさ……」
 都合のいい解決案……こんなにも酷い選択肢しかないなんて、酷いと思いませんか?でも蓮は、これらの選択肢を受け入れているようです。もちろん、他の選択肢を一生懸命考えたのでしょう。考えて考え抜いて、この3つにたどり着いたのでしょう。でも、私は納得できません。だって、超常的な異能を授けられても、蓮にできることは、悲しいことだけなんですもの……
 「だから、貴様は選べないでいるのか?それはつまり、最後の選択肢を選んだも同じことだぞ?」
「耳が痛いな……」
「貴様の想いは、こんなところだろう?”世界中のみんなが、ほんの少しずつ優しくなれれば、今より素敵な世界になるはずなのに”。違うか?」
「まあ、そんなときもあったよ……」
「コドモだな。世界は、いや、人間の悪意はそんなに軽いものではない。そんな絵空事は、絶対に成就しない」
「わかってるさ。例えすべてのプラヴァシーを用いたとしても、それは叶わない」
「人間は多様すぎる。生まれや育ちが違えば、持っている情報も考え方も違う。知らないものを我がことのように理解することも難しい」
「そうだね……本心からわかり合うことなんてできない」
「チカラで従わせるか、思考や記憶を書き換える方が簡単だな。カリプソを発動すれば可能だ」
「封印したプラヴァシーをエネルギー源とし、カリプソを発動するだけ……それだけで、しばらくの間は、世界中の人間をコントロールできる……」
「その間に、貴様が支配者として君臨するしかない。法整備と洗脳を繰り返し、偽りの歴史を世界に固着させる」
「そう。滅ぼすか、システムに支配させるか……”俺が”……支配するか……」
 「それがプラヴァシーを手にしたモノの権利であり、義務でもあるのだ」
「わかってる……いや、知ってるよ。だけど俺は、どうしても受け入れることができなくってさ」
 「”人間がいかに生きるべきか”ばかり考えて、”人間が生きる現状をも見逃す者”は、自立するどころか、破滅を思い知らされる」
「善行を広言する者は、よからぬヒトの中になって、破滅せざるを得ないから?」
「そのとおりだ。己の身を守るには、よくない人間になる術を、身につけなければならない」
「わかってるさ……ニンゲンは、恐れている相手より、愛情をかけてくれるヒトを容赦なく傷つけてしまうから」
「貴様には素質がある。あとひとつ何かを切り捨てられれば、私と同じ君主(正義)になれる」
 そしてウリエルさんは、首元に手を入れて、それを取り出しました。蓮がフェルトちゃんに送った瑪瑙(メノウ)の首飾りを……
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登場人物紹介

桜苗沙希(さなえさき)(16)

ちょっと天然な、お菓子系の美少女。

パステルカラーがよく似合う。

感受性が強く、不思議な青年、蓮と惹かれあう少女。

後に、”特異点”と呼ばれる。

蓮野久季(はすのひさき)(21?) 通称:蓮(レン)

その経歴や言動から、とにかく謎の多い青年。

「黒い剣士、銀色の悪魔、ワケあり伊達眼鏡、生きる女難の相」など、いろいろ呼ばれている。

物語の核である、「グラマトン、プラヴァシー、継承者、閉じた輪廻」に密接に関わる、左利きの男。

多重人格者であるが、それらは前世以前のもの。

セト

蓮が利用するアルドナイ(AI)

蓮を「兄サン」と呼び、主に情報収集と相談役として活躍する。

本編で詳しくは語られないが、遂に正体が見えてくる。

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