第三項 彼の名前を、ご存知ですか?

文字数 1,998文字

 「シーブック・エル・ダートなのか否か、確かめねばならんな」
白髪の老紳士が、ファーストクラスな感じの、豪華な客席で物思いに耽っています。目の前に、美しい少年を座らせて。何の乗り物かはわかりませんが……
 「本当に”あの男”なのだろうか?我が作戦をことごとく打ち破った、あの……」
老紳士の顔が、無表情なそれから、微笑んではいるが邪悪なものになりました。
「うん。彼は”叡智至高の戦術家(カイン)”だったよ」
「シンクレティズム(降霊儀式)が発動したのなら、例え不完全であれ、ラグエルが降臨したはずだ」
「”神智学の博士(ラグエル)”は封印されたよ。あの男のせいで」
「そうか……日本に創設した組織、新世会は急速に勢力を失いつつある。あの男が……戻ってきたからということか」
 この物語に、実体としての天使は登場しません。天使は組織名とかで登場します。天使の呼び名、例えば能天使(エクシア)とか権天使(ヴァーチャー)とかって、ただの階級なんです。同じような役割の、秘密の組織名に使われています。そして大天使様、つまり、七柱の御遣い様は、”ある社会現象が成り立ったとき、何かしらのカタチで降臨する異能”って定義されています。その一柱であるラグエルは”悪魔ごっこ”で降臨し、死闘の末、封印されました。ちなみに森柴さんというのは、寄り代になった大学教授です。そして新世界というのは、森柴さんが幹部をしていた組織で、この老紳士の組織の、日本支店みたいなものです。
 「その蓮と名乗る小僧が、”叡智至高の戦術家”ならば、シーブック・エル・ダートならば、今日まで消息を絶てたのも頷ける。30年もの間、歳も取らずにいたとしても、争いのプラヴァシーの継承者ならば」
「プラヴァシーを宿していた。間違いないよ」
「そうか……遂に、奴と再会できるのか……」
 2人しかいない機内の客席で、老人が呟きます。姿勢が良く、眼光鋭いその老人が、一層表情を厳しくします。
 「ならばこの街で再現してやろう。貴様の……心の疵(おもいで)を」
目を閉じた彼の脳裏に、戦い……いえ、”争い”が過ぎります。蓮との最初の出会い。レジスタンスが潜伏する村を焼いた、残酷すぎる戦場が。
 「ここは俺が食い止める!早く逃げろ!」
そう避けんで蓮は走りました。たった一人で押し寄せる軍勢に立ち向かうのです。
 「ア~ッ!アア~ッ!」
蓮が助けた幼女が泣き叫びます。戦争による飢餓が、その子の成長を遅らせました。まだ、言葉を話すことが出来ないのです。そんな5歳児が、蓮を心配して、指差しながら泣いているのです。泣いて兄に訴えます。でも、そんな妹を抱きかかえる当のお兄さんは、必死になって走りました。妹を守るために、蓮を見捨てて、涙を噛み締めて走るのです。
 「それでいい。死なないでくれよ」
兄妹が、若き女性指揮官に保護されて
「クレナさん2人を!その子たちを頼む!」
兄妹に背中を向けて、蓮は戦います。戦災孤児の2人を、父親代わりになって命がけで守るために。
 たった1人で、国連の派兵した1個中隊を殲滅します。精鋭部隊が、レジスタンスの残党狩りを行います。そしてバルザタールという村に差し掛かった時、蓮と激突したのです。
 機関銃で武装した兵士と、数台の装甲車を保有する部隊。勢いに乗って狼藉を尽くすそれが、たった一人に蹴散らされたました。
 両手に逆手でナイフを握り、白兵戦を仕掛ける蓮。踊るようにナイフを振って、喉笛と頚動脈を次々に斬り裂いて……あの兄妹には見せない、野獣のような表情と容赦の無い戦いぶり。そこに装甲車3台が迫ります。蓮は敵兵を盾に立ち回り、同士討ちを誘発します。痺れを切らした指揮官が、装甲車に指示を出します。逃げ惑う市民ごと、ロケットランチャーで吹きとばそうとして……
 銃口が市民に向いたとき、静かにそれは起きました。不可思議な現象が装甲車を戦闘不能に追い込むのです。でも、それは炎ではありません。この時点で蓮のスキルは、”炎”ではなかったのです。車体が宙に浮いて反転して、銃撃は空に向けて放たれます。そして地面に叩きつけられ、まるでゴミ捨て場の空き缶のように、すごい力で潰されるのです。人々の前に残ったのは、ひしゃげて潰れた金属塊でした……
 クロミズの作戦仕官であった老紳士は、目付け役と共に、その光景を眺めていました。何が起こっているのかわからない。秘密裏に開発されていた強化人間でも、あんな芸当は出来ない。
 「まずは……あの夜からだな」
30年前のあの夜を、今でも忘れることが出来ない老紳士。彼の作戦が、初めて破られたあの夜……
「バルタザール……」
 年寄りの薄暗い笑みは上品とは思えませんが、どうしても抑えられないのでしょう。そして彼は、手元のスイッチを押して部下を呼ぶのです。
「”汚れ髪”をここへ」
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登場人物紹介

桜苗沙希(さなえさき)(16)

ちょっと天然な、お菓子系の美少女。

パステルカラーがよく似合う。

感受性が強く、不思議な青年、蓮と惹かれあう少女。

後に、”特異点”と呼ばれる。

蓮野久季(はすのひさき)(21?) 通称:蓮(レン)

その経歴や言動から、とにかく謎の多い青年。

「黒い剣士、銀色の悪魔、ワケあり伊達眼鏡、生きる女難の相」など、いろいろ呼ばれている。

物語の核である、「グラマトン、プラヴァシー、継承者、閉じた輪廻」に密接に関わる、左利きの男。

多重人格者であるが、それらは前世以前のもの。

セト

蓮が利用するアルドナイ(AI)

蓮を「兄サン」と呼び、主に情報収集と相談役として活躍する。

本編で詳しくは語られないが、遂に正体が見えてくる。

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