第五項 炎獣(ドラゴン)

文字数 3,969文字

 痛めつけれているとき、既にウリエルさんの心は凍てついていました。とてつもない苦痛と、”もうどうしようもない、あとはこの悪魔の気分次第で、延々と虐げられるしかない”という絶望が、思考を止めて心を麻痺させるのです。
 されるがままのウリエルさんの顔は、わたしたちとは反対側に向いていました。絶望ののち、表情をなくした虚ろな顔のその先に、あの少年が立っていました。金髪の美しい少年。物語の冒頭で、老紳士と飛行機に乗っていた少年です。そして、”悪魔ごっこ”で、蓮と私の前に姿を現した、謎の少年でもあります。
 その少年は、私たちの視界の先にいるはずなのに、見えていませんでした。ウリエルさんにだけ見えている幻覚なのでしょうか?それとも、なにか特別な異能が働いているのでしょうか?
 少年はただにこやかに微笑んでいました。微笑みながら
『ヒトを殺しすぎた人間を、ドラゴンと呼ぶんだ。暴力で他人を踏みにじり、権力で空を飛ぶ。そんな怪物には、言葉が通じないよね。でも、それだけじゃ足りないんだ。人間性を捨て、ドラゴンと化すことを望む心、果てない”強欲”が必要なんだ』
と、心でウリエルさんに語るのです。
『敗北を知り、恐怖を知った。悔しがるどころか、お前は絶望してしまった。諦めてしまった。だからこそ、そんな弱くて脆いゴミだからこそ、もう一度可能性をあげるとしたら、どうするだろう?。お前が望むなら、後戻りできなくてもいいのなら、僕がチカラをプレゼントするよ?』
 そんな少年の言葉に、ウリエルさんは反応しませんでした。もうとっくに、自我が崩壊していたのかもしれません。でも
「これからてめぇに刷り込んでやるよ」
銀色の悪魔が
「あの子が味わった以上の恐怖と、神をも壊す絶望をな」
と言って聞かせたとき、ウリエルさんの瞳に、微かに光が戻りました。その左目から、恐怖の涙がこぼれるのです。
『お前はドラゴンたる資格を得た。本物のドラゴンにしてあげよう』
 次の語り部は、ウリエルさんです。

 私はどうなっているのだろう?悪魔に右腕を引き千切ぎられ、腹部を裂かれて脾臓を破裂させられ……もう、この体は終わりだろう。生きて帰れれば、脳を移植して代行輪廻で復活できるだろう。だが、このまま死んでしまいたい……怖い……痛い……延々と繰り返される暴力に、私は耐えられない。こんな怖いことが待ち受ける世界で、生き続けたくない……
 歯が折れた……顔はもう、原型をとどめていないだろう。あちこちが熱くて、どうしようもなく痛い……
 今度生まれてくるときは、平和な世界に生まれたい。人間になるのも嫌だ。こんなに強欲で、同種で殺し合うような生き物になんかなりたくない。
 もし生まれ変わって、また人間になったらどうしよう?この悪魔とまた出会ってしまったらどうしよう?この悪魔の影に怯えながら生きていたくない。私の頭に浮かぶのは、ただただ”怖い”ということだ……怖い?怖いとはなんだ?それもわからなくなってきた。もしかしたら私はもう死んでいるのかもしれない。それとも、正気を失っているのかもしれない……
 『金と権力を手に入れて、炎の烙印まで宿した。年老いても、それらの”チカラ”で身体を乗り換えることができた。代行輪廻を完成させて、若く強力な肉体を手に入れた。お前は、不老不死を手に入れたも同然だった』
 視線の先に、あのお方が姿を見せた。今は少年の姿を借りている、始祖アダムが……
 『有史以来、多くの権力者たちが望んだそれを、人間が神となる術を手に入れた。そう思っていた。それで満足すればよかったんだ。でも、全てが思い通りになったが故に、お前は欲望を抑えることができなかった。できなかったから、最初の天使、始祖たるカインを蘇らせてしまった』
 離れているのに、まるで隣に寄り添っているかのようなアダムの声。優しいそれが、私に最後の選択肢を突きつける。
 『汝……かつて救恤たる者よ……』
救恤……そうだった……私はそんな強欲な人間ではなかった。だが
『世界の仕組みを知り、己が強欲に気づきし者よ……』
”自分は選ばれた存在”と思い込み、歯止めが効かなくなってしまった……
『ウリエルの真の姿を、知っているかい?』
真の姿?
『強欲を体現する絶対のチカラ。神の炎とまで称される、危険なエネルギー』
そうだ。これほどのまでのチカラ、暴力に特化したウリエルは、神に忠実だったのだろうか?もしそうなら、野心を抱かなかったのなら、なぜウリエルは”強欲”を司っているのだ?
 『そう。そのチカラは危険なんだ。神の代行者として、全てを破壊することができる。その全能感が、寄り代から謙虚さを奪い去る。だから』
ああ……もう頭が働かない……心が……
『ザカリアスは、ウリエル(おまえ)を外したんだよ』
心が獣に変わっていく……
『今、汝が育てし覇道の妄想(ゆめ)を』
躯が大きくなっていく……
『汝を壊しし、咎人に向け』
強大な獣になっていくのを感じる。額の烙印が輝きを増すほどに
『解き放とう』
私は思考を失って、炎に包まれた、光り輝く深紅の炎獣へと進化した。

 「頼みがあるんだ……」
サララさんに介抱されているリジルくんが、フラフラと立ち上がりました。
「俺を……あそこまで運んでくれないか……」
指差す先は、このあたりの川の水が流れ込む、小さな湖でした。
「どうするつもりなの?リジルくん」
「あの火を消す……」
炎獣が現れ、蓮であった銀色の悪魔との戦いは、激しさを増していました。悪魔が炎獣を斬りつけると、炎獣は炎を吐き、尻尾を振り回して殴りつけようとしていました。まるで現代に恐竜が蘇ったかのような、常軌を逸した戦いです。そんな光景を目の当たりにして、居ても立っても居られなくなったのでしょう。
 「どうするつもり?」
「湖の水を、津波にして叩きつける。そうしたら、あいつが勝つ……あいつが……終わらせてくれる……」
「でも、津波を起こしたら蓮も巻き込むんじゃ」
「あいつならなんとかする。それよりも、炎のプラヴァシーが暴走している。あのままエネルギーを開放し続けたら、メルトダウンが起きるかもしれない」
「メ、メルトダウン?」
 メルトダウンとは、原子炉の炉心である核燃料が、融点を越えて融けてしまうという、重大な事故を表します。つまり、このままあの炎獣が暴れ続ければ、原子炉が崩壊するほどの事態に発展してしまうのです。
 「わかった。サララさん手を貸してください。車の運転をお願いします」
「私を信用するの?あなたを殺して、彼を連れて逃げるかもしれないのに」
「その身体じゃ無理ですよね?それに蓮が信じたんです。私もあなたを信じます」
「……ありがとう……」
 サララさんと私は、リジルくんを軽トラックの荷台に乗せました。運転はサララさんに任せ、私も荷台に乗り込みます。するとリジルくんの横に、セシルさんが座っていました。
 「あんたが行ったって、あの男に勝ち目はないわよ?水をかけたって、メルトダウンは止められないわ」
「あんたか……」
「お久しぶりね。難民少年君」
 セシルさんは、まるで小汚いものでも見るような、蔑む視線をリジルくんに向けていました。
「相変わらず、蓮を苦しめているようだな」
リジルくんが苦々しい思いに表情を歪め
「あんたにわかるのか?あいつがどんな想いで耐えているのか」
彼女の悪意に向かい合います。
「なによ。あの男はヘラヘラ笑って身を引いてるじゃない。力ずくであんた達を拐って、どこかの国に逃げ込むことだって出来たはずなのに」
「そんなことしたら、俺たちもあいつも追われる身になる。あいつは俺とフェルトに普通の、穏やかな生活を送らせたいんだ」
 「穏やかな暮らしね……あれだけのチカラがあるのに、ただ覚悟が無いってだけでしょ?“あんた達と一緒にいたい”って、本気で思ってないのよ!」
 「違う!あいつは俺たち兄妹のことを想ってくれてる。親のように、愛してくれている……どんなに苦しくっても、なりふり構わず戦って、必死に守ってくれてるんだ」
リジルくんが涙を浮かべて思いを語ります。
「本当は一緒にいたいって、誰よりも強く願ってるんだ!」
 この子たちと蓮は、心から一緒にいたいと願っているのが伝わってきます。
「それを必死に押し殺すあいつの気持ちに、俺は応えなきゃならない!」
そう言った後の彼の心には、『そのためなら、俺がこの女を殺してやる』という音が響いていました。
 リジルくんのそれを感じ取ったのか、セシルさんは言い返すのをやめました。その後は体育座りをしたまま、黙って同行するのです。
 湖にたどり着くと、リジルくんはプラヴァシーを開放しました。まるでアクアマリンを思わせるような、透き通った左目を輝かせ、残るすべてのチカラを開放し、湖に飛び込みました。
 小柄な少年が飛び込んだだけなのに、まるで隕石が落ちてきたかのように、大量の水が跳ね上がりました。新約聖書で、嵐に揺れる船の上で、イエス・キリストが叫んだというお話があります。「嵐よ、静まりなさい!」と叫んだだけで、嵐が止んだという……
 それとは全く逆のことが、今私たちの目の前で起きています。湖の底に立つ少年を避けるように、水が渦を巻いています。洗濯機の中を上から見ているような光景は、リジルくんの呟きを合図に、水柱になりました。
 天にも登るそれは、渦巻きながら空をかけ、悪魔と炎獣の頭上に降り注ぎました。あたりを包む炎は、全て消えました。そして、水撃を浴びた悪魔と炎獣は、そのまま水の結界に閉じ込められました。最後のステージは、水に閉ざされた棺の中のようです。
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登場人物紹介

桜苗沙希(さなえさき)(16)

ちょっと天然な、お菓子系の美少女。

パステルカラーがよく似合う。

感受性が強く、不思議な青年、蓮と惹かれあう少女。

後に、”特異点”と呼ばれる。

蓮野久季(はすのひさき)(21?) 通称:蓮(レン)

その経歴や言動から、とにかく謎の多い青年。

「黒い剣士、銀色の悪魔、ワケあり伊達眼鏡、生きる女難の相」など、いろいろ呼ばれている。

物語の核である、「グラマトン、プラヴァシー、継承者、閉じた輪廻」に密接に関わる、左利きの男。

多重人格者であるが、それらは前世以前のもの。

セト

蓮が利用するアルドナイ(AI)

蓮を「兄サン」と呼び、主に情報収集と相談役として活躍する。

本編で詳しくは語られないが、遂に正体が見えてくる。

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