第四項 怒ると叱るは、ちがうんですよね

文字数 4,722文字

 「こんなに問題が起きてさぁ。こっちは困ってるんだよ!」
さて、話を日常に戻しますね。ただいま私たちは少し広めの会議室にいます。そこに、50代の次長さんの怒声が響き渡っているのです。
「申し訳ございません。本件は……」
「言い訳はいいんだよ!」
取り付く島もなし。謝罪と説明に来た3名のシステム業者さんが、延々と怒鳴られています。
 こんにちは、みなさん。桜苗沙希(さなえさき)(16)です。ただいま蓮野久季(はすのひさき)(21)さんの従兄弟として、蓮野岬(はすのみさき)(18)という男性を装って、銀行さんに潜入中です。
 あ、大袈裟すぎましたね。今日はシステムコンサルタントとして、会議に参加しています。
 「誠に申し訳ございません。今回の事象はウイルスソフトの」
「専門用語で言われてもさぁ、こっちはわかんないんだよ!」
 なんだかお怒りのヒトが暴走されていて、みなさん状況かよくわかりませんよね。いつものように、ご説明いたしましょう。
 2月9日の午後2時、銀行の会議室で、あるシステム業者さんとの打合せです。内容は、”週に2回くらいの頻度で、証券系システムが早朝動かなくなる”件で、その原因がわかったので報告したいというものです。だけど
「絶対大丈夫だって言ってただろ!?なんでトラブルが起きんだよ!」
山石次長様が絶賛暴走中なのです。報告内容を把握して業務的な判断を下すのは、彼のアルドナイ(AI)なのですから。別に騒ぐ必要はないのです。トラブルも事実と受け止めて、ひとつの仕事としてもくもくと進めればいいのです。でも、朝から夫婦喧嘩でもしたのでしょうか、機嫌の悪い次長様は止まりません。いきなりですが、”やっかいな会議に巻き込まれる。一回休み”な状態です。
 「あの?ちょっと質問いいですか?」
次長様が息継ぎをしたとき、蓮が口を開きました。次長様のお説教が中断されます。他人の話を遮るコツは、息継ぎで言葉が途切れた瞬間だそうです。これ、蓮に教えてもらいました。
 「ど、どうぞ!」
ず~っと怒られていた、SE(システムエンジニア)の男性が、少しだけほっとした表情になります。
 「今回動かなくなった理由ってのは、ウイルスソフトのチェックが長引いて、報告書に書いてあるディレクトリを、ロックしたままだったからですよね?」
「はい」
「で、チェックが長引いたのは、直前にバックアップ処理があるからなんですよね?」
「ええ。ウイルスチェックの対象ファルは、24時間以内に更新されたファイルなんです。ただ、バックアップ処理をしたら、全てのファイルが直前に更新されたことになって」
「なるほど。結局のところ、サーバー内の全ファイルをウイルスチェックしちゃったんだ。だから時間がかかって、朝になってもチェックが終わらないのでログインできない、って訳ですね」
「そうなんです。ですから、ウイルスチェックとバックアップの順番を変えさせていただきたいんです」
「開始時間は?朝の開局に間に合って、夜間バッチとも競合しないようにできます?」
「それについては大丈夫です。報告書の2ページをご覧下さい」
「なるほどね。これなら上手くいきそうですね」
 ポンポンと話が進みます。どうやら、SEさんたちはトラブルの原因を突き止め、対応策まで準備してきたようです。蓮はそれを報告書から読み取って、質問するフリをしながら、引き出したようです。SEさんと蓮の会話を聞いて、他の参加者たちは安心したようです。”よくわからないけど、上手くいくんだ”ってわかったから。ただ一人、次長様を除いて。

 「お、おまたせ……」
ヘトヘトになった蓮が戻ってきました。午後4時47分、会議が終わってから1時間以上経っています。何をしていたのかって?怒りの収まらない次長様を、なだめていたのです。
「長かったね……」
「いつものことさ。あのヒト、暴れる口実を見つけると、ああやって業者や若者をいじめるんだよね」
「だからって、蓮は何も悪いことしてないじゃない」
「出しゃばって俺、会議を仕切っちゃったろ?”この生意気な若造が!ってお怒りなのさ。”ばくだんいわ”は」
「ばくだんいわ?」
「あのヒトのあだ名だよ。山石さんの山と石を一文字にすると”岩”になるでしょ?そこからとって、爆弾岩ってなったらしいよ。誰が付けたのか知らないけどね」
 ばくだんいわ……皆様ご存知でしょうか?空前のヒットを飛ばした伝説のテレビゲーム。その中に登場する、ダメージを受けると自爆する岩のモンスターです。
 「実際、上手いネーミングだよね。あのヒト、何かにつけて爆発するからさ」
多分、あだ名を付けたのはこのヒトです。蓮に間違いありません。いろいろ突っ込みたかったけど、今はやめておきますね。
 「でも、怒ったってなんにもならないんでしょう?」
「そう。単純に感情を爆発させるだけだからね。そもそも叱ると怒るは違う。”叱る”ってのは諭す行為だ。失敗に対して責任を問う場合とか、不正を正すとかね。これに対して、”怒る”ってのは感情だ。昼間に社会人がやっていいことじゃない。確かに、再発防止の観点で、原因追求は必要だけど、悪者探しや粗探しみたいになったらダメだよね。誰も幸せにならない。彼のAIも今日のことを記録して、人事的な処置をするんじゃないかな」
 そんなことを口にして、蓮は溜息を吐きました。
「さ、荷物をまとめよう」
「帰るの?」
「ああ、時間取られちゃったけど、午後はスメラギさんへの報告会があるからね」
「そうだったね。じゃあ僕、急いで荷物まとめるから、蓮は一服してきたら?」
 そんなこんなで私たちは、荷物をまとめて帰社する準備を始めました。お疲れ様ですと声をかけつつ、執務室を出ようとすると、ひとりの女性が声をかけてきました。
 「あら、もうお帰りなの?蓮君」
すっごい美人です。
「ああ、築山さん。名残惜しいんですが、これから自社で会議なんで」
「まあ、それは残念ね。今夜は誘ってくれないんだ?」
「あれ?ひょっとして、期待してました?」
 なんだかちょっと嫌な会話です。蓮が私の目の前で、他の女性とこんな会話をしています。どうやらこの女性を口説いたことがあるようです。
 築山瀬名(つきやませな)(26)さん。短大を出て社会人になり数年、色々な恋愛を経験されたのでしょう。外見だけでなく雰囲気も艶やかなお姉様です。マイペースで優しそうな美人。当然ながら、ここ青葉銀行東京支店のアイドルです。
 「そうね。だって篠田さんが戻ってきたのよ」
そう言って彼女が振り返ると、産休明けの女性行員が笑顔で歩いてきます。
「篠田さん!」
「久しぶりね。蓮くん」
 篠田美樹(しのだみき)(28)さん。一昨年、蓮が手がけたプロジェクトの関係者のようです。プロジェクト終盤に産休に入って、お子さんが1歳になると同時に復職されたそうです。
 「お久しぶりです。復職されたんですね」
「ええ。今は資金管理室で雑用係。下のフロアにいるのよ」
「へぇ~」
「それで、いきなりで申し訳ないんだけど、教えてくれないかな?」
「いいですよ」
「実はスワップの処理でトラブってて」
「何が起きてるんです?」
「どうも勘定系の登録が間違っていたらしいのよ。オオクラ生命さんに提供した金利スワップなんだけど、利息の支払いが別の口座に振り込まれちゃったらしくて……何とかして欲しいってベンダーさんに電話したんだけど、言ってることがわからなくって」
「困ったもんですね」
 銀行はデリバティブと呼ばれる商品を扱っています。オプションとフォワードと呼ばれるもので、外交があったころは外国為替も含めて取り扱っていました。今は、国内の金利ものがメインのようです。例えば、固定金利でお金を借りたい会社と、変動金利でお金を借りたい会社があるとします。両社の違いは、”将来金利が上がると、返済する利息が高くなって怖いので、固定金利にしたい”というものと、”将来金利が上がらないだろうから、変動金利にしたい”というものです。もちろん、格付けが違う会社だと、固定金利が高くなっちゃうとか、別の事情もあるので、銀行を挟んですこしでも利息が安くなるようにしてお金を借りるのです。あ、解説中ですが、蓮が動きそうです。
 「どうにかならないかな?いま室長いなくって……」
蓮は口元に手を当てて考えて
「今の問題は、勘定系で最初に登録した契約データの、振込口座を間違えてしまったというものですよね。スワップ契約が実行され、利息の支払いまで進んでしまった」
「ええ」
「勘定系は他のシステムと違って、簡単にデータを変更できません。仕訳までやってるから、口座番号を修正するだけでも大事なんです。データ修正を、当局監査のときに”データ改ざん”として疑われてしまいます。取り消し処理をするとしたら、今までと逆流する処理が必要です。まず、利息から契約までの全部を取り消して、入力もやり直さないといけない。これは手間もかかるし、お客様の口座も汚れる……」
 口座が汚れるとは、通帳にいっぱい、取り消しと入出金が書き込まれて、メチャクチャになるというお話です。こちらも、不正なお金のやりとりやマネーロンダリングが疑われるので、敬遠される行為です。
「アメンドしちゃえばいいんじゃないですか?」
「アメンド?」
「ええ。何も取り消さず、条件変更(アメンド)するんです。口座の条件だけ変更しますってお話です」
「そしたら?」
「次回以降の利息は、ちゃんとした口座に振り込まれます。それで、今回の振込ミスは、仮勘定経由で振込修正すればOKです。もっとも、お客様には誠心誠意謝って、ご理解いただく必要があります。あと、振込手数料をいただいちゃダメですよ?」
「なるほど」
「資金管理室なら、丘浜さんがいますよね?」
「ええ。今の副室長だけど」
「了解。ちょっとお話にいきましょう。僕、オオクラ生命の児玉さんと知り合いだから、2人をつなぎますよ」
 そして私たちは副室長のところに向かいました。蓮とは親しいらしく、対処方法を説明したら
「わかった。それでいこう」
となって、児玉さんとの電話会議になりました。そして蓮の提案どおり条件変更することになりました。
 「蓮くん。本当にありがとう」
「いえいえ、篠田さんにはお世話になりましたから」
「いつも助けてもらっちゃって……そうだ!今度お礼させてね」
「了解です。でも、ご主人が嫉妬しない程度でお願いしますね」
「相変わらず、冗談ばっかり言ってるのね。主人も会いたがってたから、今度遊びに来て。ご馳走するわ」
「嬉しいです。その時は、赤ちゃん、抱っこさせてもらえますか?」
「ええ。でも女の子だから、主人が嫌がるかも。もうメロメロなのよ」
「ご主人、今は池袋でしたっけ?」
「ええ。おかげさまで城北エリアの法人融資やってるわ。係長になったの」
「おめでとうございます」
「そのお祝いも兼ねて、土曜日にホームパーティーを開くのよ。よかったらどう?」
「いいですね。でも、今度の土曜日は北海道に出張なんです」
「あら、残念。それじゃあ、また今度ね」
 さっきまで疲れきっていた蓮に笑顔が戻りました。元気になってくれて良かったです。でも、自分だけがわからない会話でみんなが盛り上がっていて、正直居心地が良くないです。そんな私を気遣ってか
「ところで、こちらの可愛い方は?」
築山さんが蓮に促しました。私のことを紹介するようにと。
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登場人物紹介

桜苗沙希(さなえさき)(16)

ちょっと天然な、お菓子系の美少女。

パステルカラーがよく似合う。

感受性が強く、不思議な青年、蓮と惹かれあう少女。

後に、”特異点”と呼ばれる。

蓮野久季(はすのひさき)(21?) 通称:蓮(レン)

その経歴や言動から、とにかく謎の多い青年。

「黒い剣士、銀色の悪魔、ワケあり伊達眼鏡、生きる女難の相」など、いろいろ呼ばれている。

物語の核である、「グラマトン、プラヴァシー、継承者、閉じた輪廻」に密接に関わる、左利きの男。

多重人格者であるが、それらは前世以前のもの。

セト

蓮が利用するアルドナイ(AI)

蓮を「兄サン」と呼び、主に情報収集と相談役として活躍する。

本編で詳しくは語られないが、遂に正体が見えてくる。

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