第五項 蓮

文字数 3,904文字

 俺は夢を見ていた。あの日からもう何千回も、同じ夢を見ていた……
『もういいかな?』
彼の優しい声が聞こえる……まだだよ。まだ起きられない。
『しょうがないね』
そして俺は夢に溺れていく。アルビジョワで目にした、あの残酷な光景に包まれる……
 高校生の時、俺はプラヴァシーを宿した。池袋の爆破テロで回収された、数十体のサンプルの中で、唯一、プラヴァシーに適応した。それから、家を失った。化け物にされた両親をこの手で殺し、日常を失った。”殺して”とせがむ母親に、この手でトドメを刺した……
 毎日毎日、妙な検査と戦闘訓練を受けて、モルモットであり殺し屋という、酷い物に成り下がった。来る日も来る日も血を浴びて、俺の手からは血の臭いしかしなくなった。どんなに洗っても、ドロっとした液体の、鉄の臭いがつきまとった。
 でも、転機が訪れる。管理者かつ観察者である、セシルの父親に軟禁されての、家族ごっこが始まった。家族ごっこは酷いものだった。楽な毎日が与えられた。傍目には幸せに見えるかもしれない。でも、自分を取り巻く悪意が見えて、精神的に辛かった。そんな家族ごっこは、旅行に行くことで終わりを迎える。あのアルビジョワで……そこで襲撃されて、セシルと一緒に逃げた。レジスタンスが蜂起して、米軍と衝突していた。治安が崩壊し、山賊すら現れるほどに荒れ果てた国で、とにかく逃げ回った。
 『蓮くん……蓮くん……』
そうだ……そういえば、なんで俺、”蓮(れん)”って名乗ってたんだっけ?森に逃げ込んだとき、少年に襲われた。錆びた鉈を握り締めた、小柄でガリガリの少年が、俺たちの食料を狙って襲ってきた。とっ捕まえたとき、茂みの影から幼女が現れた。まるで赤子のように、激しく泣いて喚いた。
 心を失っていたはずの俺は、泣き声でスイッチが入ったみたいだった。その兄妹を、可哀想だと思えた。2人を保護して食事を与え、以降、連れて歩くようになる……そうだ!4人で逃げているとき、あの村にたどり着いたんだ。バルザタール村……レジスタンスに保護してもらい、やっと暖かいものを口にできた。あの幼い兄妹と、フカフカとは言えないが、ベッドで眠ることができた。でもそんな時間は長くは続かなかった。都市部に繋がるトンネルを爆破され、道を封鎖された。逃げ場のないその村に、レジスタンス殲滅の命令を受けた、PMC(民間軍事企業)が攻め込んできやがった。
 レジスタンスを名乗る素人の集団では、太刀打ちできなかった。最新鋭の装備を前に、猟銃や鉄製の農具なんかで勝てるはずがない。金で雇われた民間の軍隊は、手に負えないほど残虐だった。各国の正規軍なら、国際法を遵守して敵を捕虜にすることがある。民間人を殺せば、後でメディアに叩かれるから、保護することだってあるだろう。だが、奴らは目につくものを全て殺し、踏みにじった。
 目の前で子供が殺された……戦っていた大人じゃなくて、逃げ遅れた子供が殺された。泣いて命乞いする老人も、頭を撃ち抜かれていた。俺は叫んだ。プラヴァシーの異能を開放して、PMCに立ち向かった。理不尽に重力を操って、奴らを皆殺しにしてやった……
 「ありがとうございます。貴方のお陰で、村は救われました」
キレイな女性(ヒト)だった……見た目だけじゃない。優しそうで、暖かい、それでいて瞳に力がある、ステキな女性だった。
 「私はクレナ。クレナ・ティアスです。あなたは?」
「え?あ、えっと……僕は」
 そうだ。ここで俺は初めて、”蓮”って名乗ったんだ。誰が敵かわからないから、どこに敵が潜んでいるかわからないから、咄嗟に偽名を考えたんだ。でも、なんで”蓮”っていったんだろう?
 『それは、僕が付けてあげたんだよ?』
そうだった。あの子の泣き声を聞いてから、俺の中に貴方が現れるようになった。
「僕は蓮といいます……よろしく」
 『”蓮”っていうのはね、僕にもし息子ができたら、付けてあげようとした名前なんだ』
だから貴方は、ときどき父親のように、俺を助けてくれるのか?セトと名乗り、俺の傍にいてくれるのか?俺を……息子のように想ってくれるのか?
 そして俺はレジスタンスに参加した。これまでと変わらず、戦いに明け暮れる毎日だったけど、リジルとフェルトと、クレナを守るという目的ができた。同時に、セシルとの仲がおかしくなってしまったけど……
 俺は戦い抜いた。もう少しで、アルビジョワ開放戦争を勝利へと漕ぎ着けようとしていた。
 もうちょっとだったのに……
 「空爆だ!」
アルビジョワの空が真っ赤に燃えた。国連を裏で操る組織、オートポルがこの国に、廃棄処分を下したのだ。クロミズの連中が、最新鋭の爆撃機で全てを灰にする。
 頭上からの攻撃が、こんなにも怖いとは思わなかった。俺を狙っている訳じゃない。攻撃対象エリアに爆弾を落としているだけだ。でも、いつそれが自分の頭上にくるのか、クレナやリジルたちのところに落ちるのか、不安で仕方がなかった。だから俺は走った。3人を守るため、彼女たちが隠れているポイントに急いだ。
 そんなとき、近くに爆弾が落ちた……走っている先に見える、曲がり角の建物に。俺と合流しようとする、喧嘩友達のイザークが、何かを言っている。叫びながら、こっちに走ってくる。でも、爆弾がすぐそばに投下され、イザークは吹き飛んだ……頭だけがこっちに飛んできて、俺の顔の、すぐ近くを飛んで行った。
 不意に俺は、誰かを抱きかかえていた……その誰かは細身で軽い、女性だった……
 彼女を見て息を呑む……だってそれは、アルビジョワにいないはずの、”サキ”だったから。でも、もう一度見ると、それはクレナに変わっていた。あの戦争で失った、俺の最愛の女性だった……
 「ちくしょう……」
『大切なヒトを奪われる……赦していいのかな?』
「だめだよ……だめに決まってるじゃないか……」
『そうだよね?赦せないよね?』
「赦せるもんか……」
 俺は泣きながら空を見上げた。自分だけ安全なところから爆弾を降らせたり、遠く離れた土地で指示だけ出している、ヒトの悪意を憎んだ。
 でも、憎しみが大きくなるばかりで、どうしていいか、わからなかった。それはそうだよね?異能があっても、戦闘技術があっても、俺は20歳ぐらいの若造だったんだから。戦い以外に何も知らない、世間知らずのガキだったんだから……目の前の敵と戦う術は心得ていても、こんな絶望的な状況を変えるような、そんな術は思い浮かばなかった。
 『知恵(チカラ)が欲しい?』
「チカラが……欲しい……」
 そして悪魔が堂々と顔を出した。
『なら、僕がキミを救ってあげよう……空を飛べるようになり、遠く離れた相手と話せるようになって、ヒトはだめになった。欲望を押さえられず、軽挙妄動に歯止めが利かない……ならさ、奪ってやろうじゃないか。”争いのプラヴァシー”を開放して、闇の異能、引力を操って、世界を変えてしまおう』
 「引力で、世界を変える?」
『そう……きみの宿したプラヴァシーなら、”叡智至高の戦術家、カイン”の異能を発揮できる。ただの引力操作じゃない。量子力学を、ミクロな世界のルールを、力学の世界に適用できる……神に、抗うことができる!』
 「神に……抗う?そうだね……こんな酷い世界を放っておく神様なら、俺は抗ってやる!ヒトの心が、欲望が、争いを生むと言うのなら……情報と技術が、ヒトのタガを外すというのなら、俺がそれを止めてやる!”争いのプラヴァシー”で”ヒトの心(しくみ)”を変えられないのなら、物理法則を変えてやる!」
 そして俺は、”闇”を手放した。黒い火柱のような憎悪を巻き上げて、”グラマトン粒子”をばら撒いた。途端に爆撃機どもは墜落し、歩兵どもは無線が通じず、パニックになった。パニックの中、新たに”選んだ”異能、俺の炎で焼け死んでいった。アルビジョワの首都、バチスアン・ブックスごと焼失した……
 『そろそろ起きて……君の大切なリジルくんは、取り戻したよ』
リジルを助けてくれたの?そうだ。現実の世界で、俺はリジルを救えなかった。俺のチカラじゃ、あいつを取り戻せなかった。どうすればいいのかさえ、わからなかった……
 『それにサキちゃんも無事だ』
そうだね……貴方なら出来るかもしれない。神の悪意に立ち向かえる、貴方なら……
 『僕が出てきたから、バスチアン・ブックスが再現されると思ったんだろうね。セシルさんは何もせずに、僕に見とれていたよ』
そうか……よかった……みんなが無事で……でも、貴方はいったい誰なんですか?俺の前世だって言ってたけど、プラヴァシーに宿っていたの?
『まさか。争いのプラヴァシーはあくまで、”カインの異能”を具象化させたもの。宿主に、カインのチカラを授ける情報体に過ぎない。魂とは別の存在だ』
じゃあ貴方は、どこにいたんですか?どうして俺の中にいるんですか?
『それを知るのは、もう少し先になるだろうね……もう一度、知恵の実を食べてしまったら、キミの旅は終わってしまうもの』
 そして俺は、ゆっくりと意識を取り戻す。
『全ての旅には終わりがある……さあ、目を覚まして』
夢の中から見送ってくれる、あの優しい男性に背を向けて……
『きみの旅に、どうか向き合って』
そうだね……俺は、大切なヒトを守るために、もう一度、現実と向き合うよ。
「怪力乱神を語らず」
そしてはっきりと目を覚まし
「いいよ……赦してやるさ」
サララちゃんを赦すことにした。
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登場人物紹介

桜苗沙希(さなえさき)(16)

ちょっと天然な、お菓子系の美少女。

パステルカラーがよく似合う。

感受性が強く、不思議な青年、蓮と惹かれあう少女。

後に、”特異点”と呼ばれる。

蓮野久季(はすのひさき)(21?) 通称:蓮(レン)

その経歴や言動から、とにかく謎の多い青年。

「黒い剣士、銀色の悪魔、ワケあり伊達眼鏡、生きる女難の相」など、いろいろ呼ばれている。

物語の核である、「グラマトン、プラヴァシー、継承者、閉じた輪廻」に密接に関わる、左利きの男。

多重人格者であるが、それらは前世以前のもの。

セト

蓮が利用するアルドナイ(AI)

蓮を「兄サン」と呼び、主に情報収集と相談役として活躍する。

本編で詳しくは語られないが、遂に正体が見えてくる。

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