第五項 過去の女性、かく語りき

文字数 2,745文字

 「あるところに、一人の少年がいました」
出発前のみんながいる前で、彼女は語るのです。
「その少年は、2度の爆発に巻き込まれました」
蓮の心の疵を、聞いてはいけない悲しみを音にするのです。
 「1度目は帰宅途中、ある駅の地下街で。そのときは、目の前で友達が吹き飛びました。自分も全身を灼かれ、生死の境を彷徨いました」
止めないといけません。本来なら、私たちはセシルさんを止めないといけないのです。でも
「2度目は放浪の末たどり着いた、アルビジョワ共和国での爆発です。自分たちが暮らす日本、その豊かな暮らしの代償として、あんなにも貧しくて、過酷な生活を強いられる国があることを、少年は知ったのです」
だれにもそれは出来ませんでした。みんな蓮の秘密に、聞き入ってしまうのです。
「理不尽な支配に反感を抱いた彼は、戦争に加担しました。レジスタンスに参加して、あと一歩で勝利というところまで漕ぎ着けるのです。でも、負けることをよしとしない先進国は、空爆を実行しました。少年は無事だったけど、そこで出会った大切な仲間、親友が目の前で吹き飛びました」
蓮の脳裏に、そのときの記憶が過ぎるのでしょう。彼は目を瞑り、唇を噛み締めています。
「目があったんでしょ?」
セシルさんが、蓮に顔を近づけて
「イザークの首が、あなたの顔のすぐ横を、通り過ぎたのよね?」
”生真面目ゴリラ”とあだ名を付けた喧嘩友達の、飛来する生首と目が合ったあの瞬間を、思い出させるのです。
「セシルッ!」
「あら、どうかしたの?」
心で蓮を痛ぶりながら
「私の話を聞くたびに」
セシルさんがクスクスと
「思い出して欲しいだけなのよ?」
笑うのです。
「忘れ去られそうなヒトたち……大切だった戦友たち。そして」
美しすぎる女性の
「あなたという……醜くて仕方がない存在を」
邪悪な笑顔が
「罪にまみれた、汚らわしい心を」
こんなにも恐ろしいとは思いませんでした。そういえば、ホラー映画でも、若くて綺麗な女性の幽霊が出てくると、とっても怖いですよね。
「ステキよ、蓮。あなたのその歪んだお・か・お」
まるで痛みに耐えるかのような蓮を、恍惚の表情で眺めるのです。
 それまで黙っていた、言われるがままの蓮が
「愚か者を相手方に送り込む。これほど効果的で、恐ろしい工作はないな」
聞こえるように呟きました。
「あら、それはどう意味かしら?」
セシルさんが冷たい態度を蓮に向けると
「なんでもないよ。気にしないで」
シニカルな笑顔で返す蓮。悪意に対して、敵意で返す。この2人はまるで、離婚寸前の夫婦のような、仮面の笑顔で毒づく関係になっています。
 そんな空気に耐えられず、ヒデさんが大きなくしゃみをしました。一瞬で場の緊張が解けました。
「あ、ごめんなさい。花粉症かな?そうだ、早く出発しないと暗くなっちゃいますよ。裏の山、熊が出るんでしょ?明るいうちに出発しましょうよ」
みんながホッとして、いそいそと出発準備にかかります。いつも三枚目を買ってでてくれるヒデさん。おかげで場が和みました。
「それまで上手くいっていたチームワークは乱れ、全てが空回りする。そして、親しかった者の間に、不協和音を生み出すこともできる。本当に、怖い工作だよ。でもね、こっちはいい子たちを集めてる。そう簡単にはいかないよ」
蓮がヒデさんを仲間にした理由は、ここにあるようです。

 「おやすみなさい。お兄ちゃん」「お休み。フェルト」
北海道についてすぐ、あのカップルは組織に合流しました。夕食を終え、まるで高級ホテルのような新世会の拠点でお休みのようです。
 それは奇妙な光景でした。20歳の女性に、15歳の少年が絵本を読んで聞かせているのですから。優しく絵本を読んであげて、寝かしつけようとしているのですから。
「はじまるよ はじまるよ
たのしいお遊戯はじまるよ
はじまるよ はじまるよ
みんなでいっしょに遊ぼうよ
はじめるよ はじめるよ
みんなでいっぱい遊ぼうよ
はじめよう はじめよう
みんなを集めて遊ぼうよ
ママもいっしょに歌おうよ
パパもいっしょに走ろうよ
ともだちいっぱい集めたら
いろんなお遊戯たのしいよ
はじまるよ ”はじめる”よ
たのしいお遊戯はじまるよ」
簡単な内容の絵本でした。みんなが笑顔で輪になって、踊っているような絵が描いてあるだけでした。1歳とか2歳とか、まだ言葉が分からない小さい子向けの絵本です。お母さんがテンポ良く読んであげて、子供たちが喜んでくれるような……
 そんな絵本の朗読を済ませ、フェルトと呼ばれた女性が眠りに入ると、お兄ちゃんと呼ばれた少年も、一緒のベッドで眠りにおちていきました。
「お休みフェルト。俺が必ず、お前を守ってみせるから」

 「どう?兄妹ごっこは順調?」
少年が眠りにおちて数分後、フェルトと呼ばれた女性が寝室から出てきました。広いリビングには、銃器の手入れをしている保護者役の男性がソファに掛けています。先日私たちを襲った、スカルミリョーネ隊隊長、汚れ髪さんです。
「なんて言えばいいのかな……変な感じ」
「なぁに?情が移ったのかしら?」
汚れ髪さんが、少し小馬鹿にしたような言い方をします。
「そんなんじゃないよ……でも、あんな子供の妹を演じるのって、上手くできてるのかわからない」
「なるほどね。まぁ、これもお仕事よ。あの子のメンテナンスは必要なんだから、いい妹ちゃんを演じて頂戴。サララ」
 サララさんだそうです。美しい金髪と整った顔立ち。20歳の彼女が、8歳の少女を演じているというのです。
「わかってる。でも」
「でも?」
「あの子、本当に気づいてないのかな?」
そう言ってサララさんは、本物のフェルトちゃんに似せて結んだ、ツインテールを撫でるのです。
「気づいてない。いえ、気づけないわ。だって、プラヴァシーによる洗脳は完璧だもの」
年上の女性を妹と思い込んでいる少年は、どうやら記憶を書き換えられているようです。妹を大切に思う心を利用して、妹の姿だけ書き換えられてしまったのです。
「そうね……」
「なぁに?そんなに不安がって。気づかれた節でもあるの?」
「ううん……ただ、なんとなく」
「まあいいわ。あの子はサリエル。熾天使よ。今はあんな子供だけど、いずれは覚醒する。上手く扱えるようになっておけば、あなたたちルビガンテ隊にとっていいことあるんじゃない?」
「わかってるわ。心配要らない」
任務と割り切ってはいるけれど、彼女は形容しがたい感情、心にモヤモヤを抱え始めています。一緒にソフトクリームを食べながら、無口で不器用だけど、妹にだけは優しい笑顔を見せる、あの少年に対して……
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登場人物紹介

桜苗沙希(さなえさき)(16)

ちょっと天然な、お菓子系の美少女。

パステルカラーがよく似合う。

感受性が強く、不思議な青年、蓮と惹かれあう少女。

後に、”特異点”と呼ばれる。

蓮野久季(はすのひさき)(21?) 通称:蓮(レン)

その経歴や言動から、とにかく謎の多い青年。

「黒い剣士、銀色の悪魔、ワケあり伊達眼鏡、生きる女難の相」など、いろいろ呼ばれている。

物語の核である、「グラマトン、プラヴァシー、継承者、閉じた輪廻」に密接に関わる、左利きの男。

多重人格者であるが、それらは前世以前のもの。

セト

蓮が利用するアルドナイ(AI)

蓮を「兄サン」と呼び、主に情報収集と相談役として活躍する。

本編で詳しくは語られないが、遂に正体が見えてくる。

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