第三項 邪悪

文字数 2,390文字

 『いいんだね?』
優しい声だった……とっても優しそうな、若いお父さんの声……
 焼かれた腹も、穴だらけの体幹も、銀色の欠片が鱗のように覆って補修していた。人間じゃなくなったから、人形に戻れたから、俺は死なずに済んだのだろう。あのときと同じだ……
 『ここからは、僕に任せてくれていい。きみは、眠っていればいい』
『お願いします……僕はもう……』
『リジルくんを、助けたいんだね?』
『はい』
『あの少女を、愛しているんだね?』
『はい』
『わかった……次に目を覚ますとき、怖いことは全て終わっているよ。だから安心してお休み』

 「はじめましてリジルくん。おっと、今はサリエル様って呼んだ方がいいのかな?」
体表の多くを金属で覆った異形。でも、見た目は俺のまま、彼は笑顔を向けた。
 「何を言っている?貴様……蓮野久希ではないのか?」
「だから、”はじめまして”なんです。といっても、リジルくんとは一度会っているんだけどね。アルビジョワで」
「アルビジョワだと?」
「そうだよ。でも、蓮くんと入れ替わっていたのは短い時間でね。お話したことはないんだ」
「入れ替わっていた?……蓮と呼ばれる少年と、”叡智至高の戦術家(カイン)”以外が、ひとつの器に共存するというのか?」
「あのさあ」
「なんだ?」
「そんなこと、どうでもよくないかな。僕にとって大事なのは」
 話しながら俺……というより、銀色の悪魔は走り出し
「蓮くんの願いを」
死神の鎌を
「叶えてあげることなんだ」
叩き割ったんだ。
 「貴様!?」
咄嗟に身を翻すサリエル。両方の翼で悪魔を挟み込む。そして
「神の命令(ほろびよ)!」
最強の奥義で全てを焼こうとする。焼こうとするけど
「残念でした」
水は悪魔を溶かすことができず、サリエルはボディを打たれて崩れ落ちた。
 「サリエルくん。貴方の奥義、”神の命令(ほろびよ)”は、超臨界水を発生させるスキルじゃないかな?“水蒸気、水、氷”と、水には気体から個体まで、いろんな形状がある。その中でも特別なのが第四相、超臨界水だ。高温高圧力の特殊条件においては、全てを溶かす超臨界水になるんだよね?金だって溶けちゃうほどの」
 「ぐっ……なぜ……”神の命令”が解除された……」
「簡単だよ。理由は2つね。理由その1、キミが水で蓮くんを焼くところを、僕は中から見ていたんだ。キミは水のプラヴァシーが生み出す膨大な量のグラマトンを、水分子に融合させることで、水を操っているんでしょ?」
 そう、前の俺は大学で化学を、大学院で物理工学を専攻していたらしい。ただ、才能が
なかったから、理系じゃない職業に就いたらしいんだけど……
 「理由その2」
おっと、お構いなしに、前の俺は話し続けてる。
「僕のスキルは炎じゃない。”闇”なんだ」
「闇……そうだったな。我と寄り代が出会ったとき、確かに貴様は闇を操っていた」
「まあ、僕というか、所有者は蓮くんなんだけどね。で、闇のスキルは重力……いや、”引力操作”だ。これって、どういう意味かわかる?」
「引力……圧力を操作して、超臨界を遮った?」
「ご名答!」
 俺とは違う、独特な雰囲気を醸し出しながら、彼は楽しそうにサリエルと対峙した。そんな様子を、サキちゃんとセシルは、どんな思いで見つめているんだろうね?

 「くっ!だが、まだ勝負は着いていない」 
「ううん。もう僕の勝ちだ。だからサリエルくんにお願いがあるんだ」
「なんだと?」
「リジルくんを、開放してくれないかな?」
「何を言っている?」
「別に、きみを消滅させようとか、封印しようとは思っていない。ただ、リジルくんを元に戻して欲しい。キミにはリジルくんを、支えて欲しい」
「ふざけるな!第一、我はまだ……?」
「どうだい?動けないだろ?」
 サリエルが悪魔に強打されたとき、既にそれは発動されていた。サリエルが覚えた違和感、それは
「キミの周りの、重力を支配した」
自分を中心にした空間の、物理法則が変わっているというものだった。
「貴様、一体なにをした!?」
「カリプソの結界で、君の周りを覆った。その中は、僕のルールで支配されている」
 サリエルは微妙に宙に浮いていた。力一杯走ろうにも、足が地面に届かない。翼で力強く羽ばたいても、風も起きない。
「おのれ……」
「どうだい?勝ち目がないって、わかってくれたかな?」
 勝ち誇る、見た目は俺な、俺じゃないヒト。彼はその知性、想像力をプラヴァシーとリンクさせ、俺にはできないような、高度な戦術を仕掛ける。彼は、広域な結界を張る訳ではなく、小規模だけど力強い結界を発生させた。それが、サリエルの自由を奪ったんだ。
 「そうはいかん。我はサリエル……またの名を”神の命令”」
そんな彼に、サリエルは戦いを挑もうとしている。全ての生命を支配する熾天使だから、継承者とはいえ、人間相手に負けを認めることはできないのだろう。
「望まぬ死をこの手で強制する、最も悲しき天使」
「その子は殺生を望まない。その子は、死神(サリエル)に相応しくないんだ」
「違うな……サリエルは“怠惰”を司りし存在」
「”怠惰”……七つの大罪のひとつで、勤勉と対を成すもの……するべきことから目を逸らす心の様子、だよね?」
「我が器たるべきは、かような心優しき、脆き者こそ相応しい」
 耐え難い使命から目を逸らしてしまうような、そんな優しいヒトが苦しむからこそ意味が有る。苦しみながら異能を行使することが、サリエルであることの条件だから。
「そうか……じゃあ仕方ないね」
彼はパチンと指を弾き
「お前だけを」
囁きとともに
「苦しめたりしないよ」
カインを召喚した。俺が呼び出すそれとは違い、12枚の翼を宿した禍々しいカインが、漆黒の炎でサリエルを焼いた……
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登場人物紹介

桜苗沙希(さなえさき)(16)

ちょっと天然な、お菓子系の美少女。

パステルカラーがよく似合う。

感受性が強く、不思議な青年、蓮と惹かれあう少女。

後に、”特異点”と呼ばれる。

蓮野久季(はすのひさき)(21?) 通称:蓮(レン)

その経歴や言動から、とにかく謎の多い青年。

「黒い剣士、銀色の悪魔、ワケあり伊達眼鏡、生きる女難の相」など、いろいろ呼ばれている。

物語の核である、「グラマトン、プラヴァシー、継承者、閉じた輪廻」に密接に関わる、左利きの男。

多重人格者であるが、それらは前世以前のもの。

セト

蓮が利用するアルドナイ(AI)

蓮を「兄サン」と呼び、主に情報収集と相談役として活躍する。

本編で詳しくは語られないが、遂に正体が見えてくる。

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