月祭りの夜に

文字数 6,075文字

 それは、月の綺麗な晩のことだった。
 その日は月祭りの初日で、僕らはどちらが誘うでもなく学校の帰りに月夜寺(つきよでら)へと足を向けた。まだ明るいにも関わらず、お祭りの提灯はぼんやりとした灯を湛えている。
「ねぇ、ソラ。今日は月が綺麗に出ると思う?」
「そうだなぁ……」
 そう言って空を見上げた僕らの目の前には、どんよりとしたネズミ色の空が広がっていた。
「…出るんじゃないか?月祭りの日はいつもちゃんと、月が見えていただろう?」
「うん…、そう、だね。きっと綺麗なお月様が出るよね」
 何でかその日は妙に月の出が気になった。
 だけどソラは、月の出る出ないよりもどうやら屋台の方が気になっているらしい。道すがらソラの話すことといったら、出入口のよりも奥の方がたこ焼きが美味しいだとか、綿菓子が食べたいだとかそんな話ばかりだった。そんなソラの話を適当な相槌で聞き流していた僕は、ふと視線を向けた先で面白いものを見つけた。
「……卵売りだ」
「え?卵?卵食べたいのか?ルロは」
 自分の話に夢中だったソラが、そんなすっとんきょんなことを言っている。
「違うよ。卵売りだよ、卵売り!」
 そう言って僕が指差す方を見て、ソラはやっと納得した様子だった。
「ああ、本当だ。こんな寒い季節に卵売りなんて珍しいな」
「でしょ?何の卵を売っているのか、ちょっと気にならない?」
「うん。気になるな。ちょっと聞いてみよう」
 僕らは月夜寺へ向かう人々の列から外れて、その卵売りのいる路地へと入った。
「あの、」
「いらっしゃい」
 声をかけると、卵売りの少年は帽子の下から僕らをちょっと見上げて無愛想にぼそりとそう言った。
(…なんか、感じ悪くないか?)
 ぽそりと僕の耳元でソラがつぶやく。僕もそれに、遠慮がちに頷いた。
「あの…何の卵を売っているの?」
「“月ウサギの卵”さ」
「つきうさぎのたまご?」
「そうだよ。月にしか生息していない、あの月ウサギの卵さ」
 首を傾げる僕に、卵売りの少年は得意げに言う。
「月にしかいないウサギの卵を、どうして君が売っているのさ」
 そんな少年を馬鹿にしたのは、僕の後ろから卵をのぞき込んでいたソラだった。
「それは……」
「なんだ、答えられないのか。じゃあ、偽物かもしれないな」
「……偽物じゃない。だけど、疑うのなら買ってくれなくて結構だ」
 鼻で笑ったソラに、少年はそっけなくそう言い放つ。
「……っ」
 後ろでソラが怒っていることが、気配で分かる。なんだかこの場から逃げたくなってきた。
「あ、あの!この卵って、いくらなの?」
「一個銅貨五枚。それ以上はまけられないな」
 一個銅貨五枚でまけろという人が、果たしているのだろうか?
「じゃあ、一つください」
「おい!買うのかよ、ルロ!!」
「はい。確かに銅貨五枚、頂いたよ」
 二人の声が絶妙に重なって、どちらに答えたら良いものか一瞬迷ってしまった。
 結局、僕はソラに腕を引っ張られて、その場から連れ出されたのだった。

  * * * * *

「――なんであんな胡散臭い物を、買ったんだよ……」
 月夜寺の入口へと続く階段を並んで上りながら、ソラが拗ねたような声で聞いてきた。
「なんでって…そりゃあ、気になったからさ。言わなくたって、分かるだろう?」
「その気持ちは……分かるけど。でも……」
「まあ、確かにあの人の態度は、喧嘩を売っているみたいだったよね」
「だろ?あれじゃあ、商売には向いてないよ」
「そうだね」
 僕らはお互い顔を見合わせて、クスリと笑いあった。いつだってこんな感じなんだ。ソラは怒りっぽいけど、すぐに機嫌が直ってしまう。怒りの沸点は低いけど、冷めるのもまた早いのが、ソラの良いところでもあり欠点でもある。すぐに誰かと喧嘩腰になってしまうのだけは、どうにかならないものか。
「……本当はさ、俺も買ってみたかったんだけど……。なんせ売っているものが、あの“月ウサギの卵”だもんなあ。ちょっと疑いたくもなるよ。やっぱり」
 ほら、今だってこんな調子だもの。本当に損な性格だよね。
「まあ、いいじゃないの。僕が一個買ってみたんだしさ。確か、月ウサギの卵って月の光を当てると孵るんだよね?じゃあ、この卵も今夜月の光に当てれば、孵るかな?」
「うーん。孵るんじゃないか?」
「ねえ。だったら今夜、僕の家で一緒に見ない?もしかしたら、月ウサギが生まれる瞬間を見られるかもしれないよ?」
「そうだな。でもルロ。今日孵らなかったらどうするんだ?俺たち起き損になっちゃうぜ?」
 神妙な顔つきで言うソラに、僕はにっこり笑って言ってやった。
「そしたら、次の夜も起きていればいいじゃない」
「……聞きたくないけど、次の夜も孵らなかったら?」
 おそるおそる尋ねてきたソラに、胸を張って言った。
「また起きていればいいじゃない。次の夜も」
 きっぱりと言い放った僕に、ソラはやれやれと肩を竦めた。
「わかったよ。月ウサギの卵が孵るまで、付き合ってやるよ」
「付き合ってやるなんて、僕のせいにしないでよね。はっきり見たいっていえばいいじゃない」
 意地悪気味に言い返せば、ソラは片眉をピクリと震わせただけで、さっさと足を階段上へと向けた。その合間に、ぶっきらぼうなお願いの声が飛んでくる。
「はいはい。見せてください、ルロ様」
「投げやりだけど…ま、良いでしょう」
 そんなやり取りをしながら、先を行くソラの背中を追いかけた。

  * * * * *

 その日の夜。僕とソラは僕の家で出窓に置いた月ウサギの卵を、それぞれの寝具の上から眺めていた。
「……むぅ。中々孵らないな……」
 待ちくたびれたようで、ソラが床の上に敷いたお客様用の簡易ベッドの上で欠伸を噛み殺しながら呟いた。
「そうだね。もう、だいぶ待ったのにね……」
 自分のベッドの上から視線を向けた部屋の壁掛け時計は、もはや午前二時を指している。僕らがこうして待ち始めたのが昨日の午後九時のことだから、もうかれこれ五時間はこうしていることになる。
「…眠いな…」
「…眠いね…」
 そう言い合ってから、二人そろって欠伸が出た。
「…寝るか?」
「…寝ようか」
 言い合うが早いか、僕らは揃ってそれぞれの布団へと倒れ込んでいた。

――その晩、僕は夢を見た。
 僕がいたのは僕の部屋。でも何かが違う。何が違うのかは上手く言えないけれど、とにかく僕の知っている僕の部屋とは何処かが違うのだ。
「……ここ、どこ?」
「お前の部屋だろうが」
 背後からかかった声に驚いて振り返ると、そこにはソラが立っていた。
「ソ…ソラ?」
「うん。俺」
 目の前に立っているソラは、僕の問いかけにあっさりと頷いた。
「なっ、何でソラが僕の夢にいるの?!」
「それはこっちの台詞だよ。ルロこそ何で俺の夢にいるの」
「――それはですね、ボクがお二人を呼んだからです」
 答えは全然違う方向から返ってきた。二人して声のした方へと視線を向けると、耳を二つ生やした少年が目に飛び込んできた。……いや、耳は耳でも少年が生やしているのはウサギの耳。本来人の耳があるべきところに、この少年はウサギの耳が生えているのだ。
「「なっ!?何で君(お前)は、ウサギの耳なんか生えているの(んだ)!!」」
 思わず二人で指差して、同時に叫んでしまった。
「そんなびっくりしなくたっていいじゃないですか。ボクを孵してくれたのは、あなたたちなんですから」
 ウサギ耳の少年は不貞腐れたような口調で僕らに言った。
 今、何だか凄いことをさらりと言われたような気がする。…確か、僕らがこのウサギ耳の少年を孵したとかなんとか。
「えっ、孵化した…って、僕らが?!」
 一瞬の間を置いた後、僕はソラとウサギ耳の少年が震えあがるほどの大声で叫んでいた。
「ちょっ、なに大声を上げてるんだよ。こっちがびっくりするじゃないか!」
「ソラこそ、何をそんなに落ち着いているのさ!この子、あの“月ウサギの卵”から孵ったんでしょう?凄いじゃない!あれ、本物だったんだよ!!」
 鼻息荒く騒ぐ僕を、ソラがどうどうと落ちつけるように手を胸の前で広げた。
「少し落ち着けって。ルロ、分かってるか?これは夢なんだぞ?現実じゃないんだぞ?」
「夢ですけど、本物ですよ。ボク」
 今度はソラが一瞬固まる。そんなソラは置いておいて、僕は少年に話しかけた。
「君の名前は何ていうの?僕はルロ」
「ボクはまだ…名前がないんです」
「名前がない?」
「はい。なにせ生まれたばかりですから、ボク」
「あ、そっか。僕らが孵したんだっけ。…じゃあ、僕らが名前を考えないとね」
 僕は視線を空中に漂わせ、暫く考えてからポンと手を打った。
「よし、君の名前はコチ。春を知らせる風の別名なんだけど…どうかな?」
 そっと覗き込むように尋ねた僕に、彼は目を輝かせた。
「コチ…それがボクの名前……。ありがとうございます。春風なんてちょっと贅沢だけど、でも凄くしっくりきて凄く嬉しいです!」
 ウサギ耳の少年――もといコチは、大めの瞳をくりくりさせて喜んでいる。何だか僕も嬉しくなった。
「こんな素敵な名前まで頂いたのに、ボク、ルロさんたちに直接呼んでもらえる機会は今だけなんですね…寂しいなあ」
「え。それ、どういうこと?」
 僕の問いかけに、コチは寂しそうに微笑んだ。
「ボク、今、月から直接あなたたちの意識に話しかけているんです」
「月から?じゃあ、コチはもう月へ行っちゃったんだね……」
「はい。生まれてすぐに月へと行くのが、ボクたちの決まりなんです。ボクたちは月でちゃんと一人で生きていけるだけの勉強をしてから、また地上へ降りられるんです」
「そっか……。じゃあ、それまでお別れなんだね……」
 項垂れる僕の肩を、ポンと背後から誰かが叩く。誰かなんて、見なくたって分かる。
 僕はゆっくりと背後のソラを振り返った。
「なに、暗くなってるんだよ。そんなのすぐだろ?」
 ニッと笑って言うソラに、僕も「そうだね」と頷いた。それからコチへと向き直る。
「ごめん。本当はもっと喜ばなきゃいけないんだよね。君の最初の一歩だもの」
「ルロさん……」
「なあ、コチ。月での勉強が終わったら、必ず俺たちに会いに来いよな。絶対待ってるから。約束な?」
 そう言って、ソラがコチに向かって片手を差し出した。
「ソラさん……」
 コチは今にも泣きそうな顔でソラを見つめながら、差し出された手を両手でギュッと握った。
「はい、約束します。必ず、必ずボク、お二人に会いに来ます!絶対に……」
「うん。楽しみに待っているよ」
 二つの重なった手の上に、僕もそっと自分の手を重ねて笑顔でコチを見つめた。
「はい!」
「それと、だな」
 手を差し出した張本人が一番初めに手を放すと、コチの目の前に人差し指を突き出す。
「その敬語は止めろ。俺たちはもう友達なんだから、敬う必要なんかないんだよ」
「えっ、でも…さっき会ったばかりですし……。何より、お二人はボクを孵してくれた人で、名付け親ですから」
 戸惑うコチの言葉に、ソラの顔が不機嫌だと言いたそうにしかめられる。
「ほらまた。…あのな、友達になるのにさっきも今も、名付け親も何も関係ないの。俺が友達だって言ったら、その時から友達なんだよ」
「…なにそれ、無茶苦茶自分勝手な言い分!でも、僕も賛成。全くその通りだね」
 彼らしい物言いに苦笑を浮かべつつ、僕も同意の言葉を口にする。
「……」
 コチは暫くポカンとして僕たちを見ていたけれど、すぐに笑みを浮かべて頷いた。
「うん、ありがとう。ソラ、ルロ。ボク、二人に孵してもらって、名前をもらえて良かった。……また会う日まで、元気で――」
 笑顔が泣き顔に変わって、コチの声が遠のいていった。

 瞼の向こうに眩しい光を感じて目を開けると、天窓の向こうで空高く上ったお日様と目が合った。
「…え、朝…か……」
 ベッドの上にのろのろと起き上がると、何とはなしに背後の出窓へと首を捻った。出窓には、殻の割れた白い卵が一つ。ぽつんと日の光を浴びてそこにあった。
「……」
 ぼんやりとする頭の中で、ふとウサギ耳の少年が笑って消えた。
「……夢?」
――そうだ、あれは…夢?でも――
「卵、割れてる。あれは…夢じゃ、ない?」
 そう思った瞬間、僕の目は完全に覚めた。
 弾かれるようにベッドから飛び降りると、床の簡易ベッドで気持ち良さそうに眠っているソラを思いっきり揺さぶった。
「ソラ、ソラってば!ちょっと、起きてよ!ソーラってば、ねぇ!!」
「……うぁん?…っんだよ、ルロ。もう少しだけ寝かせてくれても……」
 ゆらゆらと頭を上下に揺らしながら文句を言うソラに構うことなく、強引に引っ張って出窓まで連れて行く。
「ほら、見てよソラ!卵が割れているんだ!ね、これって月ウサギが孵ったってことだよね?夢じゃないってことだよね?!」
「……は?孵った?夢?ルロ、一体何のことを言って……」
 目を擦りながらぶっきらぼうに質問していたソラの声が、途中で止まった。振り向かなくたって分かっている。
「なっ、た、卵が……卵がっ!!??」
 先に立って卵を指示していた僕を押し退け、ソラが凄い勢いで出窓にしがみついた。
「卵が…割れている!」
「そうだよ、ソラ!ちゃんと月ウサギが孵ったんだよ!!」
「……じゃあ、あれは夢じゃなかったんだな。コチは本当に、俺たちが孵した月ウサギだったんだな」
「うん、そうだね」
 目を丸くして未だに割れた卵の殻を見つめるソラに、僕は満面の笑みで答えた。
「すると、だ」
「うん?」
「あいつの話は、嘘じゃなかったってことだよな……」
「へ?あいつ?あいつ……って、誰?」
 独り言に近いソラの言葉の意味が分からず、僕は首を傾げてソラの顔を覗き込んだ。
「昨日の卵売りのやつさ」
「ああ、あの人か。うん、そうだね。あの人、嘘ついていなかったね」
「……」
「疑っちゃったね。あの人のこと」
「……」
「……どうする?」
 僕の問いかけに、ソラはカリカリと鼻の頭を掻きながらちらりとこちらを見た。
「……いるかどうかは、分からないけれど……」
「うん」
「……謝りに行くかぁ」
 半分ぶっきらぼうなその言いぐさは、如何にも彼らしい物言いだった。
「うん。そうだね」
 笑顔で答える僕につられたのか、ソラも照れ隠しに頭を掻いて笑った。

  * * * * *

 結局、すぐに昨晩卵売りを見た場所まで急いで向かった僕らの願いも空しく、そこにあの少年の姿はなかった。あの少年はきっと、月祭りの日にだけ姿を現す存在なのだろうというのが、僕とソラの出した答えだった。
 彼もまた、月ウサギそのものだったのかもしれない。…なんて、ちょっとだけ考えたりもした。また来年の月祭りに出会えた時に、彼に聞いてみようかな?
「……コチ、元気で頑張っているかな?」
 昼間の明るい空に浮かぶ、半身をその青色に染め上げられた白い月を見上げてつぶやく。
 早く勉強が終わって、一緒に遊べるといいな。

――頑張れ!

 町を一望できる月夜寺の境内に立って、僕らは僕らにできる精一杯の応援を、白い月の彼へと送った。三人で遊べるいつかを、心待ちにしながら。

 おしまい

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