真実の言葉遊び

文字数 2,019文字

「先輩。ずっと隠してましたけど、実は私、座敷童なんですよね」
 深夜の事務所。納期の迫った得意先への提出書類をやっつけるため、揃って残業を覚悟し就業時間後にパソコン画面に齧り付いた。それから数時間後に、不意に隣の後輩がこぼした言葉に齧り付いてから初めて視線を画面から逸らした。相手の視線は相変わらず画面を見つめている。
「……ほぉ。それそれは。随分とまた大人びた座敷童だな」
「座敷童だからと言って、子供の姿をしてるとは限りませんよ」
 ずっと画面を見ていたせいか、ぼやける視界に目頭を揉みながらそれに乗った。
 足で回る作業も終わり、ただただそれを報告書の形にまとめるだけの単調な作業。それに飽きてきたのだろう。期限を考えれば手を止めることはちょっと難しいが…まあ、息抜きは必要だ。
「はは、それは失礼した」
 軽く笑って、再び視線を戻して入力を再開する。
「だったら、なんでまたこんな場所で働いているんだ?」
「妖怪にもお金は必要なんです。ただ家に憑いて、富と名誉を与えていれば崇め奉ってもらえる時代はとっくに終わったんですよ、先輩」
「なるほど。そちらの世界も、なんだか世知辛くなったもんだね」
 カタカタと軽いタッチ音が支配する中に、後輩の重い溜息が落ちる。
「人の世と妖怪の世は背中合わせですからね。人が変われば、私たちも変わる。切っても切り離せない割りに、人はどんどん妖怪の存在を忘れていく。……そして私たちは、居場所も存在理由も失うんです」
「……失ったら、どうなるんだ?」
 弱々しく呟かれた言葉尻に、思わず手を止めて後輩を見た。
「そんなこと、決まっているじゃないですか」
 相変わらず画面を見つめる、その瞳が揺れる。
 在り来たりで、よくある考えが自分の胸中を支配する。これは単なる言葉遊びの筈なのに、何故か不安でたまらなくなった。
(――まさか“消えてなくなる”なんてこと、ないよな?)
 そんな俺の心配など他所に、人一倍強くエンターを叩いた後輩が、初めてこちらを見た。
「“ニート”になるんですよ!“ニート妖怪”に!!分かります?本来の存在理由以外の呼び名で、

とも、

ともひとまとめにされて呼称されるこの屈辱が!!??」
「……うあぇ??」
 拳を握って力説され、思わず変な声が出た。
 俺の不安になった気持ちを返せと言いたいところだが、その前に“あいつ”とか“あいつ”が分らない。誰だ“あいつ”さん達って。……いや、誰でもないんだよな?これ、ただの言葉遊びだもんな?
 そんな俺を置き去りにして、後輩は鼻息も荒く再び戻った入力へと憤りをぶつけている。
「……まあ、そんな訳で、私はこうしてブラック企業のようにサービス残業の多い、こんな会社で頑張って働いているわけですよ。生きていくための、お金欲しさに」
「……なるほど。お金欲しさに、か」
 納得はしていないが、するだけ無駄だと悟って頷く。
「……でも、そろそろお金も十分貯まったし。働くのにも飽きたので、妖怪家業に戻ろうかと思うんです」
「そうか。それは……俺が大変になるな?主に、今投げ出されるとかなり困る」
 今度はそうそう驚きはしない。これは言葉遊び。口だけ動かしてする気分転換。入力を続けながら小さく笑う。それに、後輩も苦笑する声が聞こえた。
「大丈夫ですよ。この仕事だけは、ちゃんとやり切りますから」
「そうか。なら、安心した」
 気分転換は少なくとも俺には上手くいったのか、先程まで胸につかえていた焦りの気持ちがなくなっていた。キーボードを叩く指も調子よく滑り、それからほどなくして書類は完成した。
「あー、終わった終わった!」
「ご苦労様。どうだ?この後少し、飲んで帰らないか?奢るぞ?」
 伸びをする後輩に向かって帰り支度をしながら声をかければ、申し訳なさそうに頭を掻いた。
「あー…、すみません。これからちょっと所用がありまして……今日はちょっと……」
「そうか。じゃあ、仕方ないな」
「すみません。せっかく誘ってくれたのに」
「いや、気にするな。じゃ、また明日な。お疲れさま」
「お疲れ様です!」
 そうして別れたっきり、その後輩が会社に姿を現すことは二度となかった。
 同じ課の誰に聞いても、後輩のことを覚えている人はいなかった。ただ俺の手元に残った完成された報告書だけが、確かに後輩がここにいたことを証明していた。

 その後社内クーデターが起きて会社方針がまるっと入れ替わり、売上が上昇したり契約が上手くいったりと俺の周囲が目まぐるしく変化した。ブラック企業と呼ばれ、サービス残業だらけだった頃が嘘のように真っ白なホワイト企業へと生まれ変わったのだ。
 俺も順調に昇進し、ふと思ってしまう事がいつもある。
――あいつ、座敷童じゃなくて、貧乏神だったんじゃないかって。
「でもまあ、俺にとっては良い貧乏神後輩だったけどな。……今頃、何処で何をしてるのやら」
 ガラス張りの向こうの青空を見上げ、俺は一人顔を綻ばせた。

 END

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