鳴き犬

文字数 1,907文字

 その町の空き地には、夜になると必ず空に向かって遠吠えする一匹の犬が住み着いておりました。真っ白な美しい毛並みが月の明かりに照らされ、とても幻想的な光景でしたが、周囲に住む人々にとっては堪ったものではありません。毎晩のように遠吠えをされては、煩くて眠れない日々を過ごしていました。
 そんな日々がずっと続いていたある日のこと。とうとう耐えられなくなった周囲の人々は、その日の夜に犬の下へと皆で苦情を言いに行きました。皆が犬の下へ着いた時、犬は丁度遠吠えをしようと夜空を見上げているところでした。
「あ!白犬がまた遠吠えをしようとしているよ!!」
「いけない、止めないと!!」
「待った、待った!その遠吠えちょっと待って!!」
 皆が口々に停止を求める言葉を叫んだものですから、犬はびっくりして空き地の出入口へと顔を向けました。次から次へと空き地へ入って来る人々を、犬はポカンと口を開けて見つめています。犬の周りはあっという間に人々に取り囲まれ、訳が分からず犬はその真ん中でオロオロするばかりです。そんな犬の前に、一人の男の人が代表として進み出ました。コホンと咳払いを一つすると、男性は真剣な表情で犬を見据えました。
「ああ、えぇっと。白犬くん、この空き地の周りの住人代表として君に言いたいことがあるのだが……良いだろうか?」
「ええ、どうぞ」
 犬は代表者の顔をじっと見つめながら頷きました。周囲から注がれる視線に、とても居心地悪そうにその体がそわそわと揺れています。
「言いたいのは、君の遠吠えのことなんだ。君に毎晩遠吠えをされると、私たち住人は煩くて眠れなくなってしまうんだよ。ほら、周りの人々を見ておくれよ。皆一様に目が真っ赤だろう?目の下には隈もできているし、体調の優れない人もいるんだよ」
 そう言ってぐるりと周りを指さす代表者に、犬もぐるりと視線を巡らせました。なるほど、男性の言う通り、ここにいる人々の目は赤く隈も深いようです。中には立っているのもやっとという状態の人もいます。
「だからだね。君にその遠吠えを止めてもらいたくて、私たちは今日ここへやって来たわけなんだよ。わかるかな?」
「ええ、わかります」
 男性の問いかけに、犬は仕切に頷いて答えました。
「じゃあ、遠吠えは止めてくれるね?」
「それは……できません」
 そう言って、今度ははっきりと首を横に振った犬に周囲の人々がどよめきました。
「だって、遠吠えを止めてしまったら、ボクはお母さんやお父さんとお話しできなくなってしまうから……」
「遠吠えがお話し?君のお母さんとお父さんは、一体何処にいるんだい?」
 代表者の問いかけに、犬は鼻先を夜空へと向けました。
「ボクのお母さんとお父さんは、お空の上にいます。昼間は明るくてよく見えないけれど、夜になるとピカピカ光るからよく見えるんです」
「空の…上?」
 空き地にいる人々が、揃って皆夜空を見上げました。しかしそこにはただ、数億個の星々が瞬いているだけで、犬の姿など何処にも見えません。
「……いないじゃないか」
「いますよ。ボクのお母さんとお父さんは、お星様になったんです。だから、夜にならないとお話しできないんです。……でも、皆さんの迷惑になり続けるのも嫌ですし、どうしよう……」
 困った様にクゥンと鳴いて悩む犬に、周囲の人々は顔を見合わせて黙ってしまいました。まさか亡くなった親を思って毎夜空に向かって鳴いていたなんて、思いもよらなかったからです。何を言ったらよいものか分からず、皆が皆口を噤んでいた時でした。
「……ねぇ、ワンちゃん。あなたのパパとママはどんなワンちゃんだったの?私、ママに教えてもらって、ワンちゃんのパパとママをぬいぐるみで作るわ。そしたら、いつも一緒にいられるでしょ?」
 一人の少女が犬の前に歩み出て、そう声をかけました。
「……ありがとう。そうなったら、ボクとても嬉しい!」
 少女を見上げてまん丸な目を嬉しそうに細めると、その場でクルクルと回って飛び跳ねました。
「じゃあ、一緒に私のお家に行きましょう?お家で、あなたのパパとママのお話しをいっぱい聞かせて?」
 にっこりと笑みを浮かべ、差し出された少女の手に犬は鼻先を押し付けて嬉しそうに鼻を鳴らしました。その様子に、周囲の人々も笑みを浮かべました。辺りに漂っていた張り詰めた空気は薄れ、仲良く帰路に着く三つの後姿を皆優しく見送りました。
 その晩以降、空き地で遠吠えする犬の姿はなくなり、周囲の住民たちも毎晩ぐっすりと眠れるようになりました。代わりに、毎日仲良く空き地でキャッチボールをして遊ぶ、少女と犬の姿を昼間見かけるようになったとのことです。

 おしまい

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