手品師

文字数 2,504文字

 ある所に手品師がおりました。手品師はずっとずっと昔から手品を続けている内に、いつしかタネも仕掛けもない手品をすることが出来る様になっていました。けれどもそれを、手品師は誰に言うでもなく、いつものように街角に立って手品を披露していました。手品を見て皆が楽しんでくれることが、手品師の喜びでした。
 そんなある日、いつものように街角に立って手品をしていた手品師は、街の人々が口々にささやき合っている噂を耳にしました。
「おい、知っているか?もうすぐこの街に、お月様が落ちて来るかもしれないって話」
「ああ、知っているよ。なんでも、お日様が遠くへ出かけて中々帰って来なくて、昼と夜のバランスが取れなくなったんだってな」
 その時は皆すぐに、お日様は戻って来るだろうと思っておりました。でもその話を聞いた手品師は、とても不安でいっぱいになりました。なんだか大変な事になるような、そんな気がしたのです。
 その心配が現実となったのは、その日の夕方のことでした。茜色の空から、お月様の悲鳴が街のすぐ上で聞こえてきたのです。
「あれ……お月様じゃない!?」
 誰かが空を指して叫んだ声に、手品師の周りに集まっていた人たちや、道行く人々が一斉に空を見上げました。手品師も手を止めて、空を見上げました。紅の空のずっとずっと上の方。じっと目を凝らして見ると、白く丸い点が段々と大きくなってきているのが見えました。お月様が落ちてしまったら、街も周囲の森や湖もきっとぺちゃんこに潰されてクレーターになってしまいます。街があっという間に不安と恐怖でいっぱいになりました。巻き込まれないように遠くへ逃げるには、あまりにも遅すぎたのです。家に閉じこもり神様にお祈りをする人、それでも出来るだけ遠くへ逃げようとする人などで、街は下へ上への大騒ぎになりました。
「どうすれば良いのでしょうか……」
 その頃街の会議室では、議員全員と議長が集まってこの事態の良い解決方法はないかと頭を悩ませておりました。お月様を止める手段を誰一人として出せず、唸り声と焦りの声が響くばかりです。手を尽くすには遅すぎて、一体どうすれば良いのか誰にも分からなかったのです。
 その時、会議室のドアをコンコンと叩く音がしました。
「どなたですか?」
 議長が力なく声をかけると、ドアがキィと開いてあの手品師が入って来ました。
「失礼だが、君は誰だろうか?」
 穏やかに尋ねた議長に、手品師は自分が手品師であることと長年手品を続けていたことで、タネも仕掛けもない手品が出来る様になったことを打ち明けました。
「なるほど……。不思議なこともあるものだね。それで君は、一体何故ここに?」
「実はお日様が帰って来ないのは、足を滑らせて空の道から砂漠の真ん中に落ちてしまったからなのです。抜け出そうと懸命にもがいても、逆に砂に埋まってしまい途方に暮れていらっしゃいます。そこで私のタネも仕掛けもない手品で、空へと帰るお手伝いをしようと思うのです」
 手品師は昼間の噂話を耳にしてからすぐに、(ひそか)にお日様の行方を探し出しておりました。そうして砂漠の砂の中に埋まってしまっていることを突き止め、ずっと助け出す方法を考えていたのでした。
「話は分かりました。この状態を解決し、街の皆の命が助かるのなら是非試していただきたい。君にかけてみます。ですから、きっとどうかお月様とお日様を……この街に暮らす人々を助けてください。お願い致します」
 了承の言葉を口にすると共に、議長は立ち上がり手品師へ深々と頭を下げました。それにつられるように議員たちも席を立ち、手品師に向かって頭を下げました。その様子に一瞬目を瞬かせた後、手品師は口元を引き締め力強く頷きました。
「分かりました。やってみます」
 そう言って会議室を飛び出すと、手品師はさっそく街の広場にある時計塔へと向かいました。てっぺの見晴らし台へと上り見上げた宵闇迫る空には、すぐそこまで迫っているお月様の姿が浮びあがっておりました。今にも泣き出しそうなお月様に、手品師は安心させる様ににっこりと笑いかけて言いました。
「はじめました、お月様。私は手品を生業としている手品師と申します。私のタネも仕掛けもない手品で、砂漠に落ちて埋まってしまったお日様が空へと戻るお手伝いをしたいと思います。ですからどうか、お月様も落ちない様に踏ん張ってください。どうか、頑張って!」
 お月様は手品師の言葉に勇気をもらうと、なんとか落ちるのを食い止めようと大きな手で夜空をしっかりと掴みました。手品師はお月様に向かっていつも手品を始める時のように、ぺこりと一つお辞儀をしました。タネも仕掛けもない手品をするために必要な、動作の始まりの一つです。そうして次に帽子を脱ぐと引っくり返し、そっと口を寄せました。
「お日様、お日様。私の手が届きましたら、どうぞこの手をお取りください。砂漠の砂の下から空の上へ、あなたをお返し致します」
 呪文のようにそう呟くと、顔を離して帽子の中へと片手をゆっくりと差し入れました。そうして手を伸ばしていくと、不意に手の平に暖かな陽の光を感じました。すかさず手品師はその暖かさを握り締めると、一気に帽子の中から腕を引き抜きました。

 ぽんっ!!!

 大きな音と共に、辺りが一瞬にして昼間の様な明るさに包まれました。それに驚いた人々がお祈りする手も、荷物を運び出す作業も止めて一斉に空を見上げました。そこには、仲良く並んで空へと昇って行くお月様とお日様の嬉しそうな姿がありました。街の人々は、街も街に住む人々も、そしてお月様もお日様も無事であったことに手を叩きあって喜びました。
 それから二度とお日様が行方不明になることも、お月様が落ちて来ることもなく、街は穏やかないつもの賑わいを取戻して行きました。手品師もまた街角に立って、いつものように手品を披露しておりました。けれどもたった一つだけ、変わったことがありました。それは手品師の手品が元の通り、タネも仕掛けもあるものに戻ったということだけでした。けれどもそれは、街の誰も知らない、手品師と私たちだけの秘密なのです。

 おしまい

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