少年とオバケ

文字数 2,442文字

 小さな町のある家に、少年が父親と母親と三人で暮らしておりました。でも、今は母親が町の小さな産院に入院しているため、少年と父親の二人きりでした。けれども少年はちっとも寂しくなんてありませんでした。何故なら少年はもうすぐお兄ちゃんになるからです。
 少年は学校から返って来ると、父に貰ったスペアの鍵で家のドアを開けて、朝父が干していた洗濯物を一番にしまい込みます。それから炊飯器のスイッチを入れて、夕飯の買い物に出かけるのです。それはとても大変なことでしたが、もうすぐお兄ちゃんになることを考えると、体のそこから力がいっぱい湧き出て来るのです。大変だなんて感じる暇もありません。
 そんなある日、いつものように少年が帰り道を急いでいると、目の前に突然真っ白なオバケが飛び出してきました。ふわふわと浮かぶ白い煙のようなオバケに驚き、思わず叫びそうになった声を少年は必死で飲み込みました。そうしてよくよく見てみれば、そのオバケはオバケのくせにやたらとにこにこしていて全然怖くありません。
「……君、だれ?」
 少年は勇気を出して問いかけました。するとオバケはちょっと困った様に笑みを変えました。
「ボク、まだ名前がないんだ。だから、キミの好きなように呼んでくれればいいよ」
 そんなことを言われても困ってしまいます。少年はうんうんと唸って考えた末、“ユウ”という名前を付けました。それは、弟が生まれたら呼んであげたいと思っていた名前の一つでした。
「ユウ……いいね!今日からボクはユウだ!!ねぇ、名前をくれたお礼に何かボクに手伝えることはないかな?」
 そう言って嬉しそうにくるくると空中で回るオバケのユウに、少年はまた少し考えてから言いました。
「じゃあ、僕と一緒にいてくれないかな?僕のお母さん、今赤ちゃんを産むために病院に入院しているんだ。だから、お父さんと家に二人だけだなんだけど、お父さんもお仕事で忙しいくて僕ほとんど独りきりだからさ。ちょっと、つまんなかったんだよね……。だから、赤ちゃんが産まれるまででいいんだけど……ダメかな?」
 遠慮がちに言われた少年のお願いに、ユウは笑顔で頷きました。
「もちろん!そんな楽しいことでいいなら、喜んで!!」
 それから毎日、少年とオバケのユウは一緒に過ごすようになりました。ユウはいつも決まってお日様の沈む夕方頃に現れて、買い物へ行くのも洗濯物を取り込むのも、ご飯の支度をするのも少年と一緒になって手伝いました。そうして父親が帰って来る頃になると、ユウはいつの間にかいなくなっておりました。ですからユウのことは少年だけの秘密でした。
 ユウと過ごす日々はとても楽しくて、独りきりで寂しかった気持ちも何処かへ行ってしまいました。
 そうして日々があっという間に過ぎて行った、三週間目の夕方のことです。いつものように少年が学校から帰ってくると、家のドアの前で珍しくユウが待っていました。
「ただいま、ユウ。今日は早いね」
 時刻はまだ日の沈む前。まだまだ明るい時間帯でした。不思議そうに首を傾げる少年に、ユウは悲しそうな笑みを浮かべました。
「今日はね、キミにさよならを言いに来たんだ」
「え?どうして?どこか遠くに行くことになったの?それとも、僕、何か嫌いになるようなことしちゃった?」
 突然の別れの言葉に少年は慌てました。オロオロとしながら原因を一生懸命考えてみましたが、思い浮かぶものはありません。そんな少年に、ユウは首を横に振りました。
「違うよ。キミのこと、嫌いになったんじゃないんだ。ボク、本当は今日生まれ変わるはずだったんだ。キミと同じ、人間の子供に。……でも、ダメになっちゃったんだ。だから、一度空の上に帰らなくちゃいけなくなったの」
「そんな……。また、また会えるよね?また、帰って来るよね?」
 震える声で何度も尋ねる少年の手を雲の様な自分の手で取ると、ユウは強く握りました。それは軽く感触のないひんやりとした手でしたが、少年にはとても温かく感じました。
「うん。必ず会えるよ。必ず帰って来る。だからその時は……また、一緒に遊ぼう」
 そう言って笑うユウに、少年は何度も頷きました。その度に、いつの間にか溢れていた涙が、ポロポロとこぼれ落ちます。
「うん、うん!必ずだよ?今度は、キャッチボールしたり玩具で遊んだりしようね。きっとだからね?」
「うん、きっと。必ず、遊ぼうね」
 嬉しそうに、けれども悲しそうに笑ったそのまま、ユウは繋いでいた手からスゥッと溶けるように消えて行きました。ユウが消えてしまった空間を、しばらくぼんやりと眺めていた少年の耳にルルルルルと着信を告げる電子音が響きました。慌てて家の鍵を開け、焦る手で電話の受話器を取りました。かけてきたのは父親でした。受話器の向こうで、父親は静かな震える声で赤ちゃんが駄目だったことを告げました。少年はふと、ユウが生まれ変わるはずだったのは、自分の弟だったのかもしれないと思いました。そう考えると、少年は少しだけ心が温かくなって小さく笑みを浮かべました。
「……お父さん、大丈夫だよ。赤ちゃんはね、ちょっとお空の上に用事があって一度帰っただけだから。また必ず、会いに来てくれるよ」
――だって、そうユウと約束したのだから。また必ず、一緒に遊ぼうって。
 少年はもう、悲しくなんてありませんでした。グィッと残りの涙を服の袖で拭うと、笑みを浮かべました。

 それから二年後に、約束は現実のもとなりました。
 病院のベッドの上で、母親に抱かれて眠る小さな赤ちゃんの小さな手をそっと握りました。あの時握ったユウの手よりも温かく、確かにここにあるのだと実感させてくれます。少年は嬉しくて、満面の笑みを浮かべました。そうしてその小さな耳に、口を寄せました。
「……早く大きくなって、キャンチボールや玩具で一緒に遊ぼうね!」
 そんな二人を見て、両親はくすりと笑い合いました。
 それは、春の麗らかな午後の良く晴れた日の出来事でした。

 おしまい

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