文字数 3,132文字

 雪の降るその町の小さな駅に、毎日欠かさず通って来る一人のおばあちゃんがいました。そのおばあちゃんは、旦那さんと息子さんを戦争で亡くしておりました。しかし、最近おばあちゃんはボケてしまったのか、旦那さんと息子さんが帰って来ると言っては駅を訪れていました。
 ある時、その町にたくさんの雪が降りました。そんな日でも、おばあちゃんは駅にやって来たのでした。さすがに心配になった駅長さんが、声をかけました。
「おばあさん。今日は雪が降っていて寒いですから、お帰りになった方が良いですよ?」
 そんな駅長さんの言葉にも、おばあちゃんはにっこりと笑って首を横に振りました。
「いえいえ。いつあの人と息子が帰って来るか分かりませんから、ここで待っています。ご心配ありがとうございます」
 と言って、全く帰る気配はありませんでした。
 朝から降り続ける雪はやむ気配もなく、すでに夕刻迫る時間になりました。誰も他に客のいないホームに、それでもおばあちゃんはたった一人ずっと佇んでおりました。それを見て居た堪れなくなった若い駅員さんが、思い切っておばちゃんに本当のことを話そうと声をかけました。
「おばあさん。傷つかずにどうか聞いてください。あなたの息子さんもご主人も、もうとっくの昔に亡くなっていらっしゃるんです。ですから、ここでどんなに待ち続けたとしても、もうお二人が帰って来ることはないのです。どうか体を壊してしまわない内に、家へお帰りください」
 するとおばあちゃんは目を丸くして暫く黙っていましたが、すぐににっこりと優しい笑みを浮かべました。
「ありがとう、こんなおばあちゃんのことを心配してくれて。でも、違うんですよ。あの二人がもうこの世にいないことは、私も十分承知しているんですよ」
「だったら何故……」
 そう言って顔をしかめた駅員さんから、おばあちゃんは雪で白く色づく駅のホームへと視線を向けました。
「私はここで、二人が迎えに来てくれるのを待っているんですよ」
「え?」
 おばあちゃんの言葉に、若い駅員さんは目を瞬かせました。
「二人はここから…この駅から去って行きました。だから、ここでこうして待ち続けていれば、いつか二人が迎えに来てくれるんじゃないかって。……そう、勝手に思って、勝手に信じてこうして待っているんですよ」
 そう言って寂しげに笑うおばあちゃんに、若い駅員さんは何も言えませんでした。おばあちゃんは全て承知の上で、ずっと今まで待ち続けていたのでした。その思いが若い駅員さんの心にも悲しく響き、何を言えばいいのか、分からなくなってしまったのです。
 若い駅員さんは黙って事務所へ戻ると、一本の黒いコウモリ傘を手におばあちゃんのもとへと戻りました。パッと傘を広げると、そっとおばあちゃんに差しかけました。それに気づいて顔を上げたおばあちゃんに、小さく笑って傘の柄を差し出して言いました。
「せめて、お使いください」
 駅員さんの親切な心遣いに、おばあちゃんはにっこりと微笑んでそれを受け取りました。そんな二人を、真っ白な雪が深々と包み込んでいました。
 次の日、若い駅員さんが駅へ出勤して来ると、いつもの場所におばあちゃんがおりませんでした。その次の日も、その次の日も、おばあちゃんはやって来ません。
 若い駅員さんが心配で心配で堪らなくなり、どうにかおばあちゃんの様子を見に行こうかと考えていたある日の夕方のこと。最終列車を見送り、厚いコートに身を包みながら背後の駅舎を振り返った駅員さんの目に、ホームに佇む小さな人影が映りました。ハッとして走り寄った駅員さんの思った通り、それはあのおばあちゃんでした。
「こんばんは、おばあさん」
「こんばんは、駅員さん」
 駅員さんを見上げて、暖かいマフラーを巻いた顔をおばあちゃんは綻ばせました。
「ここ最近来ていらっしゃいませんでしたけど、お元気そうで良かったです」
「ふふっ。心配してくれたのね。ありがとう」
 ホッとして笑みを交わした若い駅員さんでしたが、すぐに怪訝な表情を浮かべました。だって、最終列車は先ほど駅員さんが見送ったばかりです。もう、このホームに電車は入って来ません。
「でも、こんな時間にどうかされたんですか?最終列車は先ほど行ってしまいましたが…忘れ物か何かですか?」
 辺りを軽く見回して尋ねた若い駅員さんに、おばあちゃんは苦笑を浮かべながら首を横に振りました。
「いいえ。でも、間違ってはいないわね。私、ここで列車を待っているの」
「え?……いや、おばあさん?」
 にっこり笑って言われた言葉に、若い駅員さんは益々不可解な表情を浮かべました。
 その時です。ポーっと微かな汽笛の音と、シュンシュンという蒸気が吹き出すような音が若い駅員さんの耳に確かに聞こえてきました。
「ああ、来ましたよ」
 おばあちゃんの嬉しそうな声に、若い駅員さんは急いで音の聞こえた線路の先へ視線を向けました。するとそこには、鈍く光る黒い車体を煤に汚しもくもくと煙を吐きながら滑る様にホームへと入って来る蒸気機関車の姿がありました。
「!?」
 あまりの光景に、若い駅員さんは言葉を失いポカンとその様子を見つめていました。
 もう走っているはずのないその車体が、ゆっくりとおばあちゃんの前に扉を横付けてピタリと停まりました。カタカタと音をたてて開いた扉へと、おばあちゃんは一歩近づきくるりと若い駅員さんを振り返りました。
「お迎えが来たみたいだから、私は行きますよ。駅員さん、今まで色々と心配してくれてありがとうね」
「迎え……って、おばあさん?」
 ゆっくりと頭を下げたおばあちゃんに、若い駅員さんはわけが分からず弱々しくそう返すことしかできませんでした。そんな駅員さんに、おばあちゃんは最後に優しく微笑み「元気でね」と告げると、ゆっくりと列車へと乗り込みました。
「あっ……」
 若い駅員さんが止める間もなく、列車の扉はカタカタと音をたてて閉まりました。そのまま通路を歩き、一つの相向かい席の前で足を止めたおばあちゃんは、そこに座っていた一人の老紳士と懐かしそうに手を取り合いました。そして一緒に立ち上がった、相向かいに座る一人の軍服をきた青年と抱き合いました。その瞳に光る涙に、若い駅員さんは「ああ」と小さく声をもらしました。そう、きっとあの老紳士は、おばあちゃんのずっと待っていた人。おばあちゃんの大切で、ずっと会いたかった旦那さん。そして、あの軍服の青年は息子さんなのだと、若い駅員さんは思い至りました。
 おばあちゃんが二人に出会えたことを、若い駅員さんは自分のことのように喜びました。けれども同時に、きっとこれでおばあちゃんの姿を目にするのも最後なのだと、少し寂しい思いもありました。
 家族そろって幸せそうに笑うおばあちゃんを乗せて、蒸気音と煙と共に蒸気機関車はゆっくりと動き出しました。その様子をぼんやりと眺めていた駅員さんへ、不意におばちゃんが視線を向けました。そうして、にっこりと優しい笑みを浮かべその頭が小さく下げられました。それに若い駅員さんも笑みを浮かべて、ゆっくりと頭を下げました。そしてゆっくりと上げた時にはもう、蒸気機関車の姿はどこにもありませんでした。先ほどまで感じていた蒸気の暖かさも、独特な石炭の臭いもなく、冷え切った空気の中を雪だけが深々と降り続いておりました。

 次の日、久し振りに晴れた青空の下、降り積もった雪が光を反射して駅のホームはキラキラと輝いておりました。若い駅員さんは今日もホームに立ち、様々な人とその思いを乗せて走り出す電車を見送り続けて行くことでしょう。ふとした瞬間に過る、おばあちゃんとの優しい思い出を懐かしみながら……。

 おしまい

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