ひとりぼっちのおサカナ

文字数 2,544文字

 青い海のずっとずっと底に、そのおサカナは一人で暮らしておりました。海の底の世界は、一日中歩いても他の誰かに会うことさえほとんどない所でした。けれどもおサカナは寂しいと感じたことなど一度もありませんでした。

 そんなある日、空から海へたくさんの星が降りそそぎました。真っ暗だった辺りが一変に明るく染まり、海の中がまるで昼間の様に輝きました。
「綺麗だなぁ……」
 その様子を海の底から見上げていたおサカナの目の前に、ゆらゆらと揺れながらぽとりと一粒小さな光が落ちました。驚きで目をまるくするおサカナに、ふわりと少し浮きながらとんがり頭の星の子がにっこりと笑いかけました。
「こんばんは」
「こ、こんばんは?」
 久し振りに交わした挨拶に、戸惑いながらおサカナは返事をしました。
「驚かせてしまってごめんなさい。私は夜空の星の一粒です。また空へ帰る時まで、しばらくここにお邪魔させていただきますが大丈夫でしょうか?」
 そう言ってちょこりと首を傾げた星の子に、おサカナはコクコクと何度も頷きました。
「もちろんです!海は誰のものでもないのですから、お星さまの好きなだけいていただいて構いません。どうぞ、よろしくお願いします」
 そう言ってぺこりと頭を下げたおサカナに、星の子もぺこりと頭を下げました。
「ありがとうございます、おサカナさん!こちらこそ、よろしくお願いします!!」
 そうしてパチリと上げた視線が合って、二人はクスリと笑い合いました。
 そうしてその日から、おサカナは毎日星の子の下で地上の話を聞いて過ごすようになりました。大きなクヌギの木の下で、満月の夜に集まって踊る山猫の話や、草原に住むキツネの子供とカエルのおじいさんの話などなど。星の子の語る海の外の話は、海の中しか知らないおサカナにとっては初めて聞くことばかりでした。
「お星さまは色々なことを知っているんですね。私なんて、産まれてからずっと暮らしているこの海の中のことさえ、分からないことばかりですよ」
「ならば私と一緒に海の中を見て回りませんか?きっとおサカナさんの住むこの海の中にも、素敵なことがたくさんあると思うのです」
 星の子の言葉に、おサカナはポカンとした顔を浮かべました。でも、すぐに嬉しくて何度も大きく頷きました。一人では怖くて近づけない場所も一人で行ってつまらない場所も、星の子と一緒ならきっと楽しいだろうなと思ったからです。
「ええ、行きましょう!」
 そうして次の日から、二人は海の中の色々な場所を見て回るようになりました。星の子と巡る海の中は、まるで違う場所のようにおサカナの目に映りました。
 そんな楽しい日々を過ごしていたある日のこと。いつものように星の子の下を訪れたおサカナは、そこで小さく丸くなって光も弱々しい星の子の姿を見つけました。驚くおサカナに、星の子はにっこりと出会った時よりも親しみのこもった笑みを向けました。
「どうやら空へ帰る時がきたようです。おサカナさん、今まで本当にありがとうございました。夜空から海へと落ちる時は、次に空へ再び帰るまでずっとひとりきりで過ごすのだとばかり思っていました。でも、海に底にはおサカナさんがいて、毎日話をして色々な場所を巡って…本当に楽しかった。空へ帰っても、おサカナさんのことは絶対に忘れません」
 星の子の言葉に、おサカナは泣きたいのを必死に我慢してほほ笑み返しました。
「いいえ!私の方こそ、お星さまのおかげで自分の世界がいっぱい広がりました。あなたと過ごす日々はとても楽しかった。こちらこそ、ありがとうございましたお星さま。私も、絶対に忘れません。あなたに出会えて、本当に良かった」
 ポロポロと落ちる涙をおたがい拭うことなく見つめ合っていた二人でしたが、その間も星の子の体は小さな光の粒になりゆっくりと海面へ向かって昇って行きます。おサカナはその最後の一粒が見えなくなるまでじっと見送りました。
 そうしてまた、元のひとりぼっちの変わらない日々が戻ってきました。けれどもおサカナの胸には、前とは違う大きな穴が開いてしまったようでした。毎日毎日、何をやっても楽しくないのです。一人でご飯を食べても、お散歩をしてみても、何か物足らない気持ちになります。
「お星さまが一緒だったら、きっと何でも楽しいだろうになあ……」
 ずっと一人で暮らしてきたおサカナでしたが、星の子に出会って初めてひとりぼっちで過ごす寂しさを知ったのでした。
「お星さまに、会いたいなぁ……」
 ぽろりとおサカナの瞳から涙がこぼれ落ちました。ポロポロと泣いて泣いて涙が枯れ果てるころ、おサカナは星の子に会いに行く決心をしました。遥か頭上を強く見上げると、おサカナは暗い海の底を思いきり蹴りました。ぐんぐん泳いで泳いで。大きな魚の群れにひるむこともなく、小さな魚たちの群れにスピードを緩めることもなく、どんどん海面を目指して泳ぎます。どんどん、どんどん。泳いで泳いで。そうしてパシャンと飛び出した先でおサカナが見たものは、一面に光がきらめく美しい夜の空でした。
「うわあぁぁぁっ……!!」
 おサカナは寂しかったことも泣いていたことも忘れて、じっと夜空に見とれていました。どれぐらいそうしていたでしょうか。おサカナは自分を呼ぶ空からの声に気がつきました。
「おサカナさん、おサカナさん!会いに来てくれたんですね!!」
「お星さま!」
 ふんわりと降り立った星の子に、おサカナは嬉しくて前ビレで何度も水面を叩きました。
「あなたに会いたくて、ここまで来てしまいました。お星さま、あなたの住む空はとてもきれいな所なのですね!」
「ありがとう、おサカナさん。私も、あなたにもう会いたかったです!」
 そうしておサカナはその日から、星の子に会うために毎晩海面へと顔を出すようになりました。星の子に会いに行くようになっていから、おサカナにはたくさんの友達もできました。ひとりぼっちのおサカナは、もうひとりぼっちではありませんでした。
 たくさんの魚たちと共に星の子を囲んで、その話に耳を傾けるおサカナの姿が夜になると今でもどこかの海にあるのだそうです。

 おしまい

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