君といた夏休み

文字数 1,577文字

 初夏の日差しの降り注ぐ、コトコト揺れる小さな電車の中で、私は君に会いました。何も言わずに君は、私の目の前の席に腰を落ち着けて、まるで始めからそこにいたように無邪気な笑みを浮かべました。
 戸惑う私に構うことなく、電車はコトコトと山間を抜けて、広い広い海の見える小さな駅の前で、すぅっと静かに停まりました。せかされるように電車を降りると、ふわりと心地よい海風が、入れ違いに私の頬をかすめて電車の中へと乗り込みました。駅員さんのピュルルルルッという笛の合図と同時に、プシュッと電車の扉が閉まりました。
 海風を乗せた電車が、またコトコトと走り出しました。しばらくその姿を眺めて見送ってから、私は誰もいない駅を後にしました。

  * * * * *

 蝉の声と波の音。防波堤に座り、海風に吹かれながら潮の香りを胸いっぱいに吸い込みました。
「ねぇ! どこへ行こうか?」
 不意にかかった幼い声に、私は驚いて横を見ました。君がまた、あの無邪気な笑みを浮かべて見上げていました。私が何を言っても答えにならない返事ばかりして、結局君は、私について来てしましました。
 君と二人で海を見て、商店街をぶらぶらして、公園で遊んで、神社を散歩して……君はいつも私と並んで歩いて、私を追い越しては得意げにあの笑みを浮かべました。君と過ごす時間はとても楽しくて、私は一人で来た事も忘れて、もともと君がいたような、そんな気持ちになっていました。

……でも別れは、必ずやって来るものでした。

 ひぐらしの鳴く夕暮れの坂道の途中。君がふいに私を振り返りました。
「そろそろ……帰らなくちゃ」
 悲しそうに微笑む君を見て、今すぐ時が止まってしまえばいいと、心の中で何度もつぶやきました。

 何も教えてくれない君に、次いつ会えるかなんて、きっと聞いても答えてくれません。でも、それは私も同じことで、君に例え聞かれたとしても、答える言葉を持っていませんでした。

  * * * * *

 コトコトと揺れる帰りの電車の中で、私たちは言葉少なく窓の外を流れて行く景色を見つめていました。茜色の広い海が消えて、陰りかけた山を通り過ぎ、宵闇の田んぼから夜景の綺麗なビルに変わる頃になると、窓の外を見ていた私を君がポンポンとたたきました。見ると君が、あの笑みを浮かべて立っていました。
「……降りるの?」
 私の問いかけに、君はやっぱり答えないで、ぐいと私の前に小指を突き出しました。
「指切りしようよ。また二人で旅行に行くってこと」
「……でも……」
 渋る私の指を無理矢理にでも取ると、君は強引に指切りしました。
「ウソついたら針千本だからね。約束だよ?」
 そう言って君は、またあの笑みを浮かべました。けれどもそれは、いつもの無邪気な笑みではなくて、別れの悲しみをたたえた小さな小さな笑みでした。
「うん……約束」
 君の悲しみを受け止めて、私も笑みを浮かべました。涙でボロボロの笑顔でも、私と君にとっては一番ステキな笑みでした。

  * * * * *

 いつになるとも分からないその約束は、今もずっと約束のままで、私の胸の中に何年も忘れられずにありました。

 まだ柔らかな初夏の日差しが降りそそぐ電車の中。コトコトと心地良い振動に眠りかけていた私は、ふとしまいかけていた君との約束を思い出しました。
「約束……針千本飲まなきゃかなぁ……」
「―― 飲まなくていいですよ」
 ポツリとつぶやいた言葉に返事があって驚いて顔を上げると、少し大きくなった君が立っていました。
「どこへ行きましょうか?」
 君があの笑みを浮かべて聞きました。私もつられて、でも心から嬉しくて笑いました。

「海を見に行こうか」

 私たちの夏休みは、まだ始ったばかりのようです。

 END

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