五つの小箱

文字数 4,451文字

 リルとロイは、とても仲の良い兄妹です。眠る時も遊ぶ時も、何をするにも一緒でした。でもリルは女の子です。二人の母親はリルがロイの真似をして、木登りしたり池に入ったりするのを好ましく思っておりませんでした。
 そこで母親は、リルが五歳の誕生日に五つの小箱をプレゼントしました。それは木で作られた、小さな蓋付いた箱でした。
「お母さん。これは一体何の箱なの?」
 リルが不思議そうに箱を見つめて尋ねました。すると母親は、にこにこと笑ってこう言いました。
「それは、何でも願い事が叶う箱よ。自分の欲しい物を書いた紙を入れておくと、その内箱の中にその紙に書いたものが現れる、不思議な箱なのよ」
 それを聞いて、リルは目を瞬かせました。そんな御伽話のような箱がもらえるなんて、夢のようだったからです。でもすぐに嬉しくて、満面の笑顔で母親にお礼を言いました。
「お母さん、ありがとう!さっそく何か、お願い事をしてみるわ」
「ちょっと待って、リル。お母さんのお話しには、まだ続きがあるの。願いを叶えてもらうには、小箱の中に欲しい物を書いた紙と一緒に、自分の好きな遊び事を書いた紙も入れないといけないのよ」
「好きな遊び?何でかしら……」
 小首を傾げながらも、リルの頭の中は既に願いのことでいっぱいでした。
「それと、一つの箱について一つしか願いは叶えてもらえないから、良く考えて書くのよ?」
「うん。分かったわ、お母さん」
 にっこりと笑顔を交わす二人の横で、ロイだけが怪訝そうにそれを見つめていました。母親が自分たちに嘘など、まして誕生日プレゼントという大事な物で騙そうなどとするとは思えません。しかし願いを叶える箱なんて、そんな不思議な物を母親が持っているとも思えず困惑していたのです。けれども妹の嬉しそうな様子に、何も言わずに黙っていました。
 ところが異変は、次の日から起き始めました。リルが木登りをしなくなったのです。ロイが行こうと誘っても、「あんな危ない事は嫌い」の一点張りでした。
「ロイ。リルは一体どうしちゃったんだよ。前は先頭を切って登っていたのにさ」
 友達のリュイの言葉に、ロイも分からず首を横に振るしか出来ませんでした。
 それから二週間の内に、リルは池遊ぶも丘滑りもしなくなりました。一ヶ月経った頃になると、リルはすっかり表情のない冷たい子になっていました。母親はリルがロイの後を付いて回らなくなったことに、大変喜びました。でもロイは、リルが笑わなくなってしまったことが悲しくてしかたありませんでした。そうして、リルがこんな風になってしまったのは、きっと母親がプレゼントしたあの五つの小箱のせいだと何となく気がついておりました。
 一体あの小箱たちは何なのか、それを知るためにロイは町一番の物知りおじいさんを訪ねました。
「ほっほ、ロイじゃないか。一体、わしに何の用かな?」
 ロッキングチェアーに深々と体を預け、口に咥えたパイプからぷかりと煙を吐いたおじいさんに、ロイはここ最近のリルの豹変ぶりを包み隠さず全て話しました。
「……なるほど。誕生日にその小箱をもらってから、お前さんの妹は一緒に遊ばなくなったどころか、感情もどんどん失ってしまっていると、そういう事かい?」
 おじいさんの言葉に、ロイはこっくりと大きく頷きました。
「僕、きっとあの小箱に何か原因があるんじゃないかと思っているんです」
「ほお、それはまたどうしてだい?」
 おじいさんの問いかけに、ロイは母親がリルに箱を渡しながら言った願い事の方法や決まり事についても詳しく話して聞かせました。するとおじいさんは、ロイの話を聞くとすぐにニヤリと笑いながら白く長い顎鬚を撫でながら言いました。
「そいつは、南の森に住んでいる魔女の仕業に違いないだろうよ」
「魔女……ですか?でも、どうして母さんが魔女なんかに小箱を?」
 首を捻るロイに、おじいさんはパイプを口から離しトントンと灰皿へと落としました。
「その妹さんの持っている五つの小箱は、本来は魔女の物なんじゃろう。大方、女らしくなれると嘘をつかれて、お前の母親は買わされたんだろうよ」
「じゃあ、本当はどんな箱なの?」
 聞き返したロイに、おじいさんはパイプを向けて言いました。
「おそらく、『好き』という気持ちを吸い取ってしまう箱なんじゃろう」
「『好き』を吸い取る箱……」
 目を瞬かせながら繰り返したロイの言葉に、おじいさんがゆっくりと頷きました。
「そうじゃ。お前さんも、好きな事をしている時は自然と笑顔になるじゃろう?そういう気持ちは魔女にとっては、とても良い魔法の力の源になるんじゃよ」
「それでリルは笑わなくなってしまったのか……。おじいさん、リルを助ける方法はありませんか?」
 ロイの必死な様子に、おじいさんは顎髭を撫でつつ唸りました。
「うーむ。それはやはり、箱を壊すしかないじゃろうな」
「分かった。箱を壊せば良いんだね?」
 おじいさんの言葉を確認するように頷くと、ロイは「ありがとうございました」と頭を丁寧に下げて急いで帰ろうとしました。おじいさんはそれを慌てて引き止めました。
「一つだけ忠告しておくぞ。箱を壊すとなれば、確実に魔女が黙ってはいないじゃろう。何か、手段を講じて邪魔してくるかもしれん。くれぐれも気をつけるんじゃぞ」
 真剣な顔と声で言うおじいさんに、ロイも緊張した様子で一つ頷いて自分の家へと急ぎ戻りました。

 家に着くと、ロイは一直線に自分とリルの部屋へと向かいました。少しだけ乱暴にドアを開けると、ベッドの上で一人人形遊びをしていたリルが顔をゆっくりと上げました。
「お帰りなさい、お兄ちゃん」
 そう言うリルの表情はピクリとも動かず、生気のない能面のようでした。そんなリルに一瞬悲しそうな顔を浮かべたロイでしたが、すぐに気持ちを切り替えるとズンズンと部屋の中へ入って行きました。そうして、リルの机の上にきっちり一列に並べて置かれた五つの小箱の内一つをいきなり掴むと、迷うことなく床に向かって叩きつけました。
「お兄ちゃん?!何を……!!??」
 あまりの出来事に驚いて叫びかけたリルの声を遮るように、壊れた箱からもくもくと紫色の煙が立ち昇りました。それは、みるみる内に鷲鼻の鋭い目つきをしたばあさんの顔へと変わりました。
「あたしの大切な箱を壊したのは、一体誰だい!!??」
 家が揺れるほどの大声に、流石に恐ろしかったのかリルがロイにしがみついてきました。ロイも怖くて震えそうな体を奮い立たせ、魔女の顔を睨みつけました。
「ぼ、僕だ!!妹の好きって気持ちを、これ以上お前に奪われない様に僕が壊したんだ!!!」
 ロイの答えに、魔女は不気味な笑みを浮かべました。
「そうかい。誰かに箱のことを聞いたんだね?ひっひっひ、確かに箱はあたしの物さ。あんたの母親が、娘が大人しくなる方法を知りたがっていたから教えてあげただけさ。あたしはただちょっと困っているあんたの母親に手を差し伸べてやっただけ。それなのに、勝手に人の物を壊しちまうなんて、あんたはなんていけない子なんだろうね。どれ、あたしがきちんと躾てやろじゃないか。さあ、こっちへおいで!!」
 そう言うと、長い爪の生えた手をロイへと伸ばし捕まえようとしました。そんな魔女から部屋中を逃げ回っていると、不意に部屋のドアが音をたてて開きました。
「あなたたち!何を騒いで――え?」
 入って来たのは母親でした。子供部屋が騒がしいのを聞きつけて、叱りに来たようでした。しかし、子供部屋にないはずの煙の中に浮かぶ気味の悪い老婆の顔に驚き、唖然とその光景を見つめて止まってしまいました。しかもその老婆は、その凶悪に鋭い爪を愛する子供たちに向かって伸ばしているではありませんか。怒っていたことも忘れて、母親は慌てて子供たちと老婆の間に滑り込み、手を広げて立ちはだかりました。
「なんなんですか、あなたは!!私の可愛い子供たちに、一体何をしようというの?!!」
 そう言って子供たちを庇いながら、煙の中の魔女を睨みつけました。すると魔女はグンと体を煙の中から伸ばし、母親の顔にその鼻が擦り付きそうなほど自分の顔を近づけました。
「ひっひっひ。あんた、あたしの顔を忘れたのかい?あんたが困っている時に、箱を渡してやったババァだよっ!!!」
「……あっ!!」
 口を押えて驚く母親に、ひっひと笑いながら魔女が人差し指を母親へ突き付けました。
「あんたの子があたしの大事な小箱を、あろうことか壊しちまったんだよ!そういう悪い子は、あたしが二度とそんな悪い事をしないように躾直してやるから、こっちへお渡し!!」
「違うよ!そいつは魔女なんだ!母さんがリルに渡した五つの小箱は、リルの『好き』って気持ちを吸い取ってしまう悪い箱だったんだ!そのせいで、リルが笑わなくなっちゃったんだよ?!そいつは、リルの『好き』って気持ちを、自分の魔力にするために吸い取りたくて母さんを利用した悪い魔女なんだ!!だから、僕はリルを助けるために小箱を壊したんだ!!!」
 母親の後ろから必死に叫ぶロイを、魔女がギロリと睨みつけました。その視線があまりに恐ろしく、ロイは思わず小さく悲鳴を上げました。そんなロイを自分の背に隠す様に、母親は手を回しました。実は母親自身も、あまりのリルの豹変ぶりに何かがおかしいと気づいておりました。けれども、ロイの後ろを追わなくなり家で大人しく遊ぶこと多くなったことが嬉しくて、見ない振りをしていたのでした。
「……ロイは、渡しません」
 魔女を真剣な瞳で見つめ、きっぱりと母親は言いました。
「ロイもリルも私の大事な子供たちです。私は、リルに女の子らしくなって欲しい一心で、間違った選択をしてしまいました。決して、リルの笑顔を奪いたくて、あの小箱を送ったのではありません。そんな事は、望んでもいない!子供たちが悲しい思いをするのなら、あんな小箱はいりません!!」
 そう叫ぶと、母親はリルの机へパッと走り寄り残りの四つの箱を掴んで床へと叩きつけました。箱は大きな音をたてて、四つとも粉々に砕け散りました。
「おおおぉぉっ!!あたしの箱が!!!あたしの、力の源があぁぁぁっ!!!」
 魔女の叫び声と共に、突然バン!と大きな音をたてて部屋の窓が開きました。そこから強い風が吹き込み、部屋中を駆け巡り置物や本を落としました。ロイも母親も目を開けていられず、リルを庇いながら三人塊になって床に伏せました。風は一しきり部屋中を吹き荒れた後、煙の魔女を連れ去るように再び窓から去って行きました。しんと静まり返った部屋で、二人がそっと目を開けると魔女はもう何処にもおりませんでした。
 その後、リルは笑顔を取り戻し、またロイたちと仲良く遊ぶようになりました。でも前のように木に登るような危ない事は控えるようになり、今はよく母親と二人キッチンに立ち、笑顔を交わしながらお菓子や料理を習うリルの姿が見られるようになったそうです。

 おしまい

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