森の仕立て屋さん
文字数 4,602文字
その仕立て屋は人里離れた小さな森の中にありましたので、里の人々からはいつしか『森の仕立て屋』と呼ばれるようになっておりました。お店を切り盛りするのは、もじゃもじゃお髭の山さんという男の人です。山さんの作る洋服はとても丈夫で長持ちをすると、里の人々の間では評判の良いお店でした。
そんなある日のことです。山さんがいつものようにお店を開く準備をしていると、コンコンとドアを叩く音がしました。
「はいはい。どうぞ、お入りください」
山さんの声に、ドアがキィと開いて女の人が一人入ってきました。その女の人を見て、山さんはちょっと驚いてしまいました。だってその女のひとは、顔と手以外全てが黄色かったのですから。髪の毛の色も着ているワンピースも、身につけているアクセサリーも全て黄色。山さんは目をシパシパさせながら、女の人に椅子をすすめました。
「このお店に来られるのは、今日が初めてですよね?」
そう尋ねると、女のひとは「ええ」と頷きました。山さんだって、こんな目立つ人が前に一度来店していれば忘れるはずがありません。でも女の人を見ていると、ずっと前から知っているような、そんな不思議な気持ちになるのです。きっと知り合いの誰かに似ているのだろうと、山さんは気を取り直して注文を聞くことにしました。
「それで、今日はどういったご用件でしょうか?」
山さんはいつものようにペンとメモ帳を持って、女の人に訊ねました。女の人は頷くと、少し困ったような顔つきになりました。
「実は、子供たちに冬のコートを前々から用意していたのですが、いざ季節になってから着せてみましたら一人分足りなかったのです。私、五着用意しましたつもりが、どうやら四着しか用意していなかったようで……」
ホッとため息をつく女の人に、山さんは、
「そうですか……。それは随分とお困りでしょうね」
と返事をしました。女の人は「ええ、それはもう……」とまたため息をつきます。
「そこで、丈夫で長持ちをすると皆さんの間で評判の良い、このお店に頼みに来たのです」
「それは、それは。ありがとうございます」
山さんは嬉しくなって、ニコニコと笑みを浮かべました。
「もうすぐ冬が来ますのに、たった一人だけ薄着のままで行かせるわけには参りませんもの。本当に申し訳ございませんが、明日までに作っていただけませんか?」
「ええ、構いませんよ。子供用のコートを明日までに一着ですね?子供さんだけで、ご旅行かなにかですか?」
メモ帳にペンを走らせながら尋ねた山さんに、女の人は少し寂しそうに微笑みました。
「ええ、子供たちだけで旅行へ行きますの。少し心配なのですが、子供たちが独り立ちするためにも旅は必要なことですから」
「そうだったんですか。……そうですね。子供だけで旅をするというのも、大切かもしれませんね」
山さんは腕組みをして、うんうんと頷きました。その度にもじゃもじゃの髭が揺れて、シャワシャワと音をたてました。
「わかりました。任せてください!必ず、冬のどんな寒い日にも暖かいコートを作ってみせましょう!」
胸を張って言う山さんの言葉に、女の人は安心したように笑みを浮かべました。
「ええ、よろしくお願いします」
その後、山さんは女の人に着せる子供の背の高さや服のサイズ、作るコートの色や形をどうするか尋ね、その答えを全てメモ帳に書き止めました。女の人が帰る頃には、太陽が真上まで来ており、少し引き止め過ぎてしまったかなと山さんは女の人を見送りながら思いました。
お店に戻ると、山さんはさっき書いたメモを破り取り、作業場の方…と言ってもカウンターの向こう側ですが、そちらへと歩みを進めながら声に出して読んでみました。
「着るのは、背が百四十センチの女の子。サイズはМぐらいで色は白。形はパーカータイプ…か」
持っていたメモをカウンターの上に置くと、山さんは奥の戸棚からふわふわの毛の付いた茶色の布と艶のないしっとりとしたビニール製の白い布を一枚ずつ取り出しました。コートの表と裏にそれぞれ使うつもりのようです。
山さんはカウンターの下に置いてあった、Мサイズの型紙を布にあて線を引くと、その通りにハサミでチョキチョキと切りました。そうして出来上がった型通りの布を、今度はミシンでカタカタと端だけ縫い合わせていきます。下を縫い残してミシンを止めると、山さんは二つにくっついた布を裏返して、袋のようになっている中へフワフワの真っ白な綿を詰め込みました。残しておいた下を閉じてしまうと、もうコートはその形を見せ始めておりました。山さんはそれを目の前で広げて、満足そうに頷いてから、帽子やボタンなどの細かい部分の取り付け作業へと取りかかりました。
なんとか明日までに仕上げなければならないので、山さんは夜も寝ないで一生懸命作り上げました。どうにか作り上げて窓の外を見ると、もう山と空との境目が薄くオレンジ色に輝いておりました。山さんが大きな欠伸を一つした時、コンコンと誰かがドアを叩きました。ドアを開けると山さんの予想通り、昨日の女の人が立っていました。
「おはようございます。すみません、こんな朝早くに……。あの、コートはできていますか?」
山さんは笑顔で「はいはい。ちょっと待っていてくださいね」と、一度中へ引っ込みました。そうしてカウンターの中にかけておいたコートを手に取ると、すぐにドアの方へと引き返します。
「はい、これです」
山さんの手にしたコートは、帽子がついた触るとふわふわと暖かい素敵なコートでした。
「まあ、素敵なコートですね。ふわふわと暖かくて……。これならどんな寒い冬も平気ですね」
コートを受け取り一撫でして、女の人はにっこりと笑いました。
「ありがとうございます。無理を言ったのに、こんなにも素敵なコートを作っていただて……。きっとあの子も喜びますわ」
「そんなに喜んでいただけるなんて、こちらも作ったかいがあります」
「そうだわ。子供たちがこれから出発なんです。良かったら、一緒に見送りにい来ていただけませんか?代金はその後で必ず払いますから……」
「かまいませんよ。それより、すぐ出発なら早く行きましょう。遅れると大変だ」
「ありがとうございます。では、ついて来てくださいね」
そう言うと、女の人はコートを大事そうに抱え先に歩き出しました。山さんもその後について行きました。森を抜けて丘を登り、女の人は里への分かれ道まで来ると、里の方へは行かず里を見渡せる高台へと続く道を歩いて行きます。山さんは、おや?と思いました。子供を見送ると聞いたので、てっきり駅へ行くとばかり思っていたからです。山さんは不思議に思いながらも、黙って後をついて行きました。
ほどなくして、二人は高台の上に出ました。そこには、山さんも見たことないぐらいたくさんの子供と、数人の女の人がいました。子供はたった一人を除いて、全員が白いコートを着ています。女の人にいたっては、皆が皆黄色い洋服に身を包んでいました。
「この人たちは、一体誰ですか?」
山さんが尋ねると、女の人はにっこりと笑って言いました。
「ここいいるのは、全員私の家族ですわ」
「へぇ、そうなんですか。随分と大人数で、なんだか楽しそうだなぁ」
山さんは一人でお店を切り盛りする身です。だから、たくさん家族のいる女の人が羨ましく思えました。
「でも、賑やかなのも今日までですわ……」
「え?それはどういうことですか?」
山さんがそう、女の人に訊ねた時でした。
「お母さん!」
誰かが女の人を呼びました。視線を向ける、それは一人の小さな女の子でした。
「私のコート、ちゃんともらって来てくれた?」
女の子は大きな瞳で女の人をじっと見て言いました。
「ええ。ちゃんともらって来たわ。はい、これよ」
女の人からコートを受け取ると、女の人はさっそく新しいコートに腕を通しました。
「わあっ!ふわふわで暖かい!とても素敵なコートね。ありがとう!!」
「お礼なら、このおじさんに言いなさい。そのコートをあなたのために、一晩で作ってくれたのよ」
「本当?ありがとう、おじさん!!」
「いやいや。気に入ってくれたみたいで、僕も嬉しいよ」
にっこり笑って言う山さんに、女の子はクルクルと二回まわって見せました。そしてにっこり笑うと、同じ子供たちの方へとかけて行きました。女の子のコートは他の子たちの注目の的です。山さんもなんだか嬉しくて、もじゃもじゃお髭を何度も何度も引っ張りました。
「……そろそろ、出発の時みたいね」
高台の尖端に立っていたショートカットの女の人が、こちらに向かってそう言いました。すると、今まで好き勝手に騒いでいた子供たちがそれぞれの母親らしい人のもとへと集まり、別れのの言葉を交わし始めました。
「お母さん、元気でね」
「風邪、ひかないでね?」
「僕らのこと、忘れないでね?」
「ええ、ええ。忘れませんとも。ずっとずぅっと、遠くからあなたたちの幸せを願っているわ。あなたたちも、元気でね」
最後にお母さんたちは、子供たちを一人一人抱きしめました。山さんはそんな姿を、少し離れたところで見守っていました。そうしてお別れが済むと、子供たちは高台の先へと集まり出しました。
「……何が始まるんです?」
「子供たちの、旅立ちの時ですわ……」
女の人は、涙を湛えた瞳で山さんの問いに答えました。
「さあ!行こう!!」
誰かの声と共に子供たちの体が一人、また一人と空中に浮かび上がっていきます。
「信じられない。人が、空に浮くなんて……!」
山さんはポカンとして、その光景を見つめていました。
「さようなら!私の子供たち。いつまでも、いつまでも元気で!!」
山さんの横で、女の人は声いっぱいに叫びました。
白いコートを着た子供たちの飛び去って行く姿は、まるでふんわりと風に乗って飛んで行くタンポポの綿毛のようです。
「……まさか、あの子たちは……!」
山さんは、ハッとなって隣いいる女の人を急いで見ました。ところが、さっきまでそこにいたはずの女の人はいなくなっていたのです。
「あれ?さっきまでここにいたのに……」
山さんはキョロキョロと辺りを見回している内に、そこが綿毛を飛ばし終えたタンポポでいっぱいなのに気づきました。
「そうか。あの人たちはやっぱり、タンポポだったのか……」
そこでやっと、山さんは女の人に初めて会った時に自分が親しみを感じた理由が分かりました。山さんはにっこりとタンポポに笑いかけると、
「ご用がありましたら、またどうぞご来店ください。ご利用ありがとうございました」
と言って、高台をゆっくりと後にしました。
お店に帰り着いた山さんは、カウンターの上に白いふんわりとした小さな綿毛が一つ、置いてあることに気が付きました。
「そうか。これが代金の代わりというわけか」
山さんはなんだか優しい気持ちで、心がいっぱいになりました。カウンター上の綿毛を山さんは太い指でそっと摘まむと、お店にあった小さな植木鉢に植えました。
「来年の春頃には、きっと黄色い可愛らしい花が咲くだろうなぁ」
山さんは家族ができたみたいで、とても嬉しくなしました。
その植木鉢は、お店の日の良く当たる窓際に、今でもちょこんと置いてあるのだそうです。何年も代を重ねながら、毎年春に咲く幸せな黄色の花を待ちわびながら。
おしまい
そんなある日のことです。山さんがいつものようにお店を開く準備をしていると、コンコンとドアを叩く音がしました。
「はいはい。どうぞ、お入りください」
山さんの声に、ドアがキィと開いて女の人が一人入ってきました。その女の人を見て、山さんはちょっと驚いてしまいました。だってその女のひとは、顔と手以外全てが黄色かったのですから。髪の毛の色も着ているワンピースも、身につけているアクセサリーも全て黄色。山さんは目をシパシパさせながら、女の人に椅子をすすめました。
「このお店に来られるのは、今日が初めてですよね?」
そう尋ねると、女のひとは「ええ」と頷きました。山さんだって、こんな目立つ人が前に一度来店していれば忘れるはずがありません。でも女の人を見ていると、ずっと前から知っているような、そんな不思議な気持ちになるのです。きっと知り合いの誰かに似ているのだろうと、山さんは気を取り直して注文を聞くことにしました。
「それで、今日はどういったご用件でしょうか?」
山さんはいつものようにペンとメモ帳を持って、女の人に訊ねました。女の人は頷くと、少し困ったような顔つきになりました。
「実は、子供たちに冬のコートを前々から用意していたのですが、いざ季節になってから着せてみましたら一人分足りなかったのです。私、五着用意しましたつもりが、どうやら四着しか用意していなかったようで……」
ホッとため息をつく女の人に、山さんは、
「そうですか……。それは随分とお困りでしょうね」
と返事をしました。女の人は「ええ、それはもう……」とまたため息をつきます。
「そこで、丈夫で長持ちをすると皆さんの間で評判の良い、このお店に頼みに来たのです」
「それは、それは。ありがとうございます」
山さんは嬉しくなって、ニコニコと笑みを浮かべました。
「もうすぐ冬が来ますのに、たった一人だけ薄着のままで行かせるわけには参りませんもの。本当に申し訳ございませんが、明日までに作っていただけませんか?」
「ええ、構いませんよ。子供用のコートを明日までに一着ですね?子供さんだけで、ご旅行かなにかですか?」
メモ帳にペンを走らせながら尋ねた山さんに、女の人は少し寂しそうに微笑みました。
「ええ、子供たちだけで旅行へ行きますの。少し心配なのですが、子供たちが独り立ちするためにも旅は必要なことですから」
「そうだったんですか。……そうですね。子供だけで旅をするというのも、大切かもしれませんね」
山さんは腕組みをして、うんうんと頷きました。その度にもじゃもじゃの髭が揺れて、シャワシャワと音をたてました。
「わかりました。任せてください!必ず、冬のどんな寒い日にも暖かいコートを作ってみせましょう!」
胸を張って言う山さんの言葉に、女の人は安心したように笑みを浮かべました。
「ええ、よろしくお願いします」
その後、山さんは女の人に着せる子供の背の高さや服のサイズ、作るコートの色や形をどうするか尋ね、その答えを全てメモ帳に書き止めました。女の人が帰る頃には、太陽が真上まで来ており、少し引き止め過ぎてしまったかなと山さんは女の人を見送りながら思いました。
お店に戻ると、山さんはさっき書いたメモを破り取り、作業場の方…と言ってもカウンターの向こう側ですが、そちらへと歩みを進めながら声に出して読んでみました。
「着るのは、背が百四十センチの女の子。サイズはМぐらいで色は白。形はパーカータイプ…か」
持っていたメモをカウンターの上に置くと、山さんは奥の戸棚からふわふわの毛の付いた茶色の布と艶のないしっとりとしたビニール製の白い布を一枚ずつ取り出しました。コートの表と裏にそれぞれ使うつもりのようです。
山さんはカウンターの下に置いてあった、Мサイズの型紙を布にあて線を引くと、その通りにハサミでチョキチョキと切りました。そうして出来上がった型通りの布を、今度はミシンでカタカタと端だけ縫い合わせていきます。下を縫い残してミシンを止めると、山さんは二つにくっついた布を裏返して、袋のようになっている中へフワフワの真っ白な綿を詰め込みました。残しておいた下を閉じてしまうと、もうコートはその形を見せ始めておりました。山さんはそれを目の前で広げて、満足そうに頷いてから、帽子やボタンなどの細かい部分の取り付け作業へと取りかかりました。
なんとか明日までに仕上げなければならないので、山さんは夜も寝ないで一生懸命作り上げました。どうにか作り上げて窓の外を見ると、もう山と空との境目が薄くオレンジ色に輝いておりました。山さんが大きな欠伸を一つした時、コンコンと誰かがドアを叩きました。ドアを開けると山さんの予想通り、昨日の女の人が立っていました。
「おはようございます。すみません、こんな朝早くに……。あの、コートはできていますか?」
山さんは笑顔で「はいはい。ちょっと待っていてくださいね」と、一度中へ引っ込みました。そうしてカウンターの中にかけておいたコートを手に取ると、すぐにドアの方へと引き返します。
「はい、これです」
山さんの手にしたコートは、帽子がついた触るとふわふわと暖かい素敵なコートでした。
「まあ、素敵なコートですね。ふわふわと暖かくて……。これならどんな寒い冬も平気ですね」
コートを受け取り一撫でして、女の人はにっこりと笑いました。
「ありがとうございます。無理を言ったのに、こんなにも素敵なコートを作っていただて……。きっとあの子も喜びますわ」
「そんなに喜んでいただけるなんて、こちらも作ったかいがあります」
「そうだわ。子供たちがこれから出発なんです。良かったら、一緒に見送りにい来ていただけませんか?代金はその後で必ず払いますから……」
「かまいませんよ。それより、すぐ出発なら早く行きましょう。遅れると大変だ」
「ありがとうございます。では、ついて来てくださいね」
そう言うと、女の人はコートを大事そうに抱え先に歩き出しました。山さんもその後について行きました。森を抜けて丘を登り、女の人は里への分かれ道まで来ると、里の方へは行かず里を見渡せる高台へと続く道を歩いて行きます。山さんは、おや?と思いました。子供を見送ると聞いたので、てっきり駅へ行くとばかり思っていたからです。山さんは不思議に思いながらも、黙って後をついて行きました。
ほどなくして、二人は高台の上に出ました。そこには、山さんも見たことないぐらいたくさんの子供と、数人の女の人がいました。子供はたった一人を除いて、全員が白いコートを着ています。女の人にいたっては、皆が皆黄色い洋服に身を包んでいました。
「この人たちは、一体誰ですか?」
山さんが尋ねると、女の人はにっこりと笑って言いました。
「ここいいるのは、全員私の家族ですわ」
「へぇ、そうなんですか。随分と大人数で、なんだか楽しそうだなぁ」
山さんは一人でお店を切り盛りする身です。だから、たくさん家族のいる女の人が羨ましく思えました。
「でも、賑やかなのも今日までですわ……」
「え?それはどういうことですか?」
山さんがそう、女の人に訊ねた時でした。
「お母さん!」
誰かが女の人を呼びました。視線を向ける、それは一人の小さな女の子でした。
「私のコート、ちゃんともらって来てくれた?」
女の子は大きな瞳で女の人をじっと見て言いました。
「ええ。ちゃんともらって来たわ。はい、これよ」
女の人からコートを受け取ると、女の人はさっそく新しいコートに腕を通しました。
「わあっ!ふわふわで暖かい!とても素敵なコートね。ありがとう!!」
「お礼なら、このおじさんに言いなさい。そのコートをあなたのために、一晩で作ってくれたのよ」
「本当?ありがとう、おじさん!!」
「いやいや。気に入ってくれたみたいで、僕も嬉しいよ」
にっこり笑って言う山さんに、女の子はクルクルと二回まわって見せました。そしてにっこり笑うと、同じ子供たちの方へとかけて行きました。女の子のコートは他の子たちの注目の的です。山さんもなんだか嬉しくて、もじゃもじゃお髭を何度も何度も引っ張りました。
「……そろそろ、出発の時みたいね」
高台の尖端に立っていたショートカットの女の人が、こちらに向かってそう言いました。すると、今まで好き勝手に騒いでいた子供たちがそれぞれの母親らしい人のもとへと集まり、別れのの言葉を交わし始めました。
「お母さん、元気でね」
「風邪、ひかないでね?」
「僕らのこと、忘れないでね?」
「ええ、ええ。忘れませんとも。ずっとずぅっと、遠くからあなたたちの幸せを願っているわ。あなたたちも、元気でね」
最後にお母さんたちは、子供たちを一人一人抱きしめました。山さんはそんな姿を、少し離れたところで見守っていました。そうしてお別れが済むと、子供たちは高台の先へと集まり出しました。
「……何が始まるんです?」
「子供たちの、旅立ちの時ですわ……」
女の人は、涙を湛えた瞳で山さんの問いに答えました。
「さあ!行こう!!」
誰かの声と共に子供たちの体が一人、また一人と空中に浮かび上がっていきます。
「信じられない。人が、空に浮くなんて……!」
山さんはポカンとして、その光景を見つめていました。
「さようなら!私の子供たち。いつまでも、いつまでも元気で!!」
山さんの横で、女の人は声いっぱいに叫びました。
白いコートを着た子供たちの飛び去って行く姿は、まるでふんわりと風に乗って飛んで行くタンポポの綿毛のようです。
「……まさか、あの子たちは……!」
山さんは、ハッとなって隣いいる女の人を急いで見ました。ところが、さっきまでそこにいたはずの女の人はいなくなっていたのです。
「あれ?さっきまでここにいたのに……」
山さんはキョロキョロと辺りを見回している内に、そこが綿毛を飛ばし終えたタンポポでいっぱいなのに気づきました。
「そうか。あの人たちはやっぱり、タンポポだったのか……」
そこでやっと、山さんは女の人に初めて会った時に自分が親しみを感じた理由が分かりました。山さんはにっこりとタンポポに笑いかけると、
「ご用がありましたら、またどうぞご来店ください。ご利用ありがとうございました」
と言って、高台をゆっくりと後にしました。
お店に帰り着いた山さんは、カウンターの上に白いふんわりとした小さな綿毛が一つ、置いてあることに気が付きました。
「そうか。これが代金の代わりというわけか」
山さんはなんだか優しい気持ちで、心がいっぱいになりました。カウンター上の綿毛を山さんは太い指でそっと摘まむと、お店にあった小さな植木鉢に植えました。
「来年の春頃には、きっと黄色い可愛らしい花が咲くだろうなぁ」
山さんは家族ができたみたいで、とても嬉しくなしました。
その植木鉢は、お店の日の良く当たる窓際に、今でもちょこんと置いてあるのだそうです。何年も代を重ねながら、毎年春に咲く幸せな黄色の花を待ちわびながら。
おしまい