缶コーヒー

文字数 1,934文字

「お、誰のだか知らないけどコーヒー貰うぞ」
 そう言って、部室の机の上に置いてあった缶コーヒーを手に取る友人。
「あ」
 止める間もなく、プルトップを開けて飲んでしまった。喉でも乾いていたのか、腰に手を当てて一気に飲み干している。その光景を、俺はなすすべなく見つめるしかなかった。
 そんな俺の様子に勘違いした友人は、空の缶と俺を交互に見てすまなそうに眉を下げた。
「悪い、お前のだったか?」
「ああ、いや。そう言うことじゃなくて…」
「何だよ」
 少し言い難くて視線を彷徨わせる俺に、友人が今度は不機嫌そうにこちらを見る。
 言って良いものかと考えたが、そんなことを気にする奴でもないかと彷徨わせていた視線を友人に向けた。
「いやな。そのコーヒー、部長が昨晩肝試しで心霊スポットの峠に行って、そこにある自動販売機で買ってきたやつなんだよ。で、俺にやるって寄こしたんだけど……」
「……飲むか飲まざるかと考えあぐねていたと?」
 友人の言葉に素直に頷いた。神妙な顔の俺に、ぶはっと友人が吹き出す。
「っくく。お前、本当にそう言うの苦手だよな~」
「しかたないだろ。怖いものは怖いんだから」
 ぶすくれて睨む俺の肩を、ポンポンと奴が叩く。
「大丈夫だよ。お前は気にし過ぎ。…その内禿げるぞ?」
 一言余計だと突っかかる間もなく、奴はそのままひらひらと片手を振って部室を出て行ってしまった。
 それが、俺の見た友人の最後の姿になるなんて誰が予測できただろうか。

「――え?今、何と……?」
 耳に宛てていた携帯電話から告げられた言葉が、信じられなかった。
『――ですから、昨晩この携帯電話の持ち主は、お亡くなりになりまして』
 少し苛立った声が早口に言う。
「どうして……?」
 思わず零れた言葉に、向こう側の人物がため息と共に説明してくれた。
『昨晩、赤信号の横断歩道に飛び出して、走って来たトラックに巻き込まれて即死でした。所で、あなたは?』
「あ、俺はそいつの、大学の友人で。同じサークルに所属してて……」
 力の入らない声で、かろうじで聞かれたことに答えた。
――あいつが死んだ?昨日?
「嘘、だろ。だって、昨日はあんなに、元気に……」
 呆然と呟いた声に、先程まで鋭かった電話向こうの声が気遣う色を纏う。
『信じられないのも無理はありません。……それで、申し訳ないのですがご友人に最近変わった様子はありませんでしたか?』
「どういうことですか?」
 思わず聞き返すと、咳払いが一つ聞こえた。
『実は横断歩道に飛び出す前、鬼気迫る表情で走る彼が目撃されておりまして。警察としましては何者かに追われていたのではないかと考えているんですよ。それで、ここ最近、ストーカー被害にあわれている等何かトラブルに巻き込まれているような話を、聞いていないかどうかお伺いしたいと思いまして』
 そう、警察の人が言った瞬間、

 カン

背後で金属のぶつかる音が響き、びくりと肩を震わせた。
 恐る恐る振り返った先で俺が見たものは、机の上にぽつりと置かれた缶コーヒーだった。水滴を纏い、先程冷蔵庫から出したばかりのようによく冷えたそれは、昨日そこに置かれた時と全く同じ様子でそこにいた。
「……なん、で…さっきまで、なかった、のに……!」
 サッと血の気が引いた。体が震え出し携帯電話を持つ腕から力が抜けた。
『――もしもし?どうしました?もしもし――』
 下がった掌に握り締めた携帯電話から漏れ出る音が、聞こえていても頭の中に入って来ない。
「まさか、そんなっ……!」
 上手く空気が吸えずドクドクと煩い心臓の音を聞きながら、視線を動かし部室の中を確認する。十二畳ほどの部室の中、中央に置かれた上面がツルッとした木製の机に三人掛けの椅子が四つ。壁沿いにはいくつかの棚と書物。そして、俺の立つ出入口のドアとは反対側にある窓。俺以外、そこには誰もいない。
「――っ?!」
 恐怖が頂点に達した俺は、とにかくここから出たい一心でドアに飛びつこうとした。瞬間、そのドアが勢いよく開いた。
「せ、先輩!大変です、大変!!」
 少し高いソプラノボイスの後輩が、真っ青な顔で飛び込んで来た。
「部長がバイクで大学へ向かう途中、事故にあって病院へ運ばれたそうです!!」
 後輩の言葉に恐怖が背筋を走り抜け、目を見開いた。思わず視線を缶コーヒーへと走らせる。傍から見れば何の変哲もないそれが、今は恐ろしくてしかたない。
「あれ?先輩のですか?」
 俺の視線を辿り、同じように缶へと意識を向けた後輩。
「丁度走って来て喉が渇いちゃったんですよー。頂きますね!」
 つかつかと何の警戒もせず歩み寄り、それへと手を伸ばす。
 ヒュッと喉が鳴った。
「――や、やめろっ!!!!」
 掠れた俺の叫び声が、部室中に響き渡った。

 終

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