カエルの鬼灯売り
文字数 2,866文字
カラカラカラ、カラカラカラ…
風が野っぱらのススキを揺らして、笑いながら通り過ぎて行きました。そんなススキの合間から、ちょろりちょろりと見え隠れするふさふさの尻尾が二本。それは急にピタリとその動きを止めてピンと真っ直ぐに立つと、辺りの気配をうかがう様にくるりと一振り空に円を描きました。
「ねぇ、聞こえる?」
高い少女の声が囁く様に言いました。
「うん。聞こえる」
それに、腕白そうな少年の声が答えました。
「どこだろうね?」
「どこだろう?」
……ふぇ……ん
「誰だろうね?」
「誰だろう?」
……ふぇーん…ふぇ…ん
それは何かの鳴き声のように、低く高く二人の耳をくすぐりました。二人は小さな耳を懸命に動かして、やっとどこから聞こえてくるのか見つけました。それは、昼間でもめったに誰も寄り付かない森の奥の『雨ヶ淵 』の方から聞こえてくるのでした。
「……行ってみようか?」
しばらくその方向をじっと見つめていた少女がぽつりと言いました。
「えっ……うーん。そうだね。行ってみようか」
少女の声に一瞬信じられないという顔をした少年も、好奇心に負けてこっくりと頷きました。
雨ヶ淵に続く道は、何年も誰も歩いていないせいか、草ぼうぼうのとても歩きづらい獣道でした。
…ふぇーん…ふぇーん
鳴き声のようなその音は、サクサクと進むごとに段々、段々二人に近づいて来るようでした。
「……なんだろうね?鳥かな?」
「もしかしたら…お化けかも……」
ピッタリと寄り添って歩く二人の周りを、生暖かい風がくるりくるりと楽しそうに回っては追い越して行きます。
ふぇーん、ふぇーん
鳴き声は、今や二人の耳にはっきりと聞こえる様になっていました。
「……あれ?ねぇ、雨ヶ淵の方がなんだか明るいよ?」
「……本当だ。誰もないはずなのに……」
じっと二人が見つめる先、雨ヶ淵の方向でぼんやりと赤い光が揺れています。それはまるで、二人が来るのをじっと待っている様にも見えました。
「どうしようか?」
心細そうな少女が、小さく小さく聞きました。
「……行こうよ。だって気になるもの」
少年の声が元気付ける様にきっぱりと言いました。そんな少年の声に小さく頷くと、少女は一つ深く息を吸い込んで、前を強く睨みつけました。
「うん。行こう!」
二人はギュッと手を握り合うと、そろそろと雨ヶ淵へ向かって歩き出しました。
* * * * *
「――ほぉ。これはまた随分とめんこい童が来たもんじゃ」
ぼんやりと赤い光の向こうから、一匹の小さなカエルのじいさんがねったりとした視線を二人へ向けました。雨ヶ淵が明るいのは、その肩から下げられた小さな提灯のようなものたちが辺りを照らしているからのようです。
「……あの、ここで何をしているんですか?」
少年の背中から顔だけをちょこっと出して、少女がそろりと聞きました。
「ここで何をしているとな?」
ちろりと赤い舌を出して、じいさんは目を細めました。その様子が余りにも不気味に映ったのか、二人は握り合っていた手にギュッと力を込めました。
「わしはただ、これを皆に売っておるだけじゃよ」
そう言ってじいさんは、肩に担いでいた提灯のような物をちょいと持ち上げて見せました。それだけで今まで怖くて仕方なかった二人の心は、すぐにその不思議な提灯へと吸い寄せられました。
「それ……なんですか?」
二人は乗り出すようにその小さな光を見つめました。
「鬼灯じゃよ」
「ほおずき?」
「ほおずきってなんですか?」
ゆったりとした笑みを浮かべて答えるじいさんに、二人は先を争う様に問いかけました。
「鬼灯は植物じゃな。まるーい袋のような、子供のほっぺのような実をつけるのう」
「へー、面白い実ですね」
「でも、植物は光らないよ?どうしておじいさんの持っている、その鬼灯は光っているの?」
じいさんの言葉に素直に頷いた少年とは反対に、少女は首を傾げて訊ねました。
「ほぉほ。鬼灯は光らんよ。これが光っとるのはわしが実の代わりに、蛍を中に閉じ込めたからじゃな」
「蛍が入っているの?」
「すごーい!」
じいさんの説明に、二人はますます鬼灯の提灯をじぃっと見つめました。提灯の中で、小さな影がゆらゆらと動いているのが分かります。すると、中の影がゆらりと動く度に、あの野っぱらで聞いた音が聞こえてきたのです。
「あ!あの音は、この音だったんだね!」
「うん。そうだね!」
二人は耳を澄まして、しばらく提灯の中の羽音に聞き入っていました。が、そうして耳を澄ましていると、なんだかこの提灯がとっても欲しくなってきたのです。
「ねぇ、カエルのおじいさん。その提灯はいくらで売っているの?」
我慢ができなくなった二人を代表して、少女がじいさんに聞きました。
「決まった値段なんかないさ。わしが気に入ったやつに、気に入った金額で売ってやってるのよ」
そう聞くと、二人はそろって腰に下げていた袋からありったけのお金を取り出してみせました。
「これで一つ、私たちに売って下さい」
期待に満ちた瞳で見つめて来る二人を眩しそうに目を細めて眺めると、じいさんはにっこりと優しい笑みを顔いっぱいに浮かべました。
「金はいらん。提灯はやるから、また遊びにこいや」
「えっ……」
「本当ですか?!」
じいさんの言葉に、二人の顔が嬉しさでいっぱいになりました。
「……けんど、また来る時にはもうちょっと上手く変化できるようになるこったな。それと、葉っぱのお金は勘弁してくれや」
そう言って意地悪な笑みを浮かべたじいさんの言葉に、二人は飛び上がるほど驚きました。そのショックで、変化して隠していた可愛い三角の小さな耳とお髭がポンと飛び出してしまいました。
「なんだ、カエルのおじいさんは僕たちが狐だって気がついていたのか」
「尻尾が出てるで。人の童になりすますんなら、もうちょっと勉強するこったな」
ぷっとほっぺを膨らませる二人に、じいさんはそれぞれ鬼灯の提灯を渡しました。
「ほれほれ。そんなに膨らませっと、せっかくの可愛い顔が台無しだで」
ちょっと困ったように笑うじいさんに、二人は「しょうがないな」と言いたげな顔でほっぺをぺしょりとへこませました。
「じゃあ、また明日ね。カエルのおじいさん」
「また明日も来るからね」
「おう。楽しみに待ってるでな」
手を振りながら元来た道を戻って行く二匹の姿を、じいさんは見えなくなるまで見送っていました。
* * * * *
「ねぇ、とっても楽しかったね」
「うん。すごく楽しかったね。素敵なお土産ももらっちゃったしね」
「うん。そうだね」
二つのふさふさ尻尾とぼんやりとした優しい提灯の明かりだけが、ゆらりゆらりと揺れながら、枯れたススキの野っぱらの中をゆっくりと通り過ぎていきました。
「また明日も必ず行こうね」
「うん。必ず行こうね」
そこにはもう、人間の少年と少女の姿はなく、ただただ二匹の小さな子狐が家路を急ぐ姿だけがありました。そんな二匹の楽しそうな背中を、まんまるお月様だけが静かに静かに見守っていました。
おしまい
風が野っぱらのススキを揺らして、笑いながら通り過ぎて行きました。そんなススキの合間から、ちょろりちょろりと見え隠れするふさふさの尻尾が二本。それは急にピタリとその動きを止めてピンと真っ直ぐに立つと、辺りの気配をうかがう様にくるりと一振り空に円を描きました。
「ねぇ、聞こえる?」
高い少女の声が囁く様に言いました。
「うん。聞こえる」
それに、腕白そうな少年の声が答えました。
「どこだろうね?」
「どこだろう?」
……ふぇ……ん
「誰だろうね?」
「誰だろう?」
……ふぇーん…ふぇ…ん
それは何かの鳴き声のように、低く高く二人の耳をくすぐりました。二人は小さな耳を懸命に動かして、やっとどこから聞こえてくるのか見つけました。それは、昼間でもめったに誰も寄り付かない森の奥の『
「……行ってみようか?」
しばらくその方向をじっと見つめていた少女がぽつりと言いました。
「えっ……うーん。そうだね。行ってみようか」
少女の声に一瞬信じられないという顔をした少年も、好奇心に負けてこっくりと頷きました。
雨ヶ淵に続く道は、何年も誰も歩いていないせいか、草ぼうぼうのとても歩きづらい獣道でした。
…ふぇーん…ふぇーん
鳴き声のようなその音は、サクサクと進むごとに段々、段々二人に近づいて来るようでした。
「……なんだろうね?鳥かな?」
「もしかしたら…お化けかも……」
ピッタリと寄り添って歩く二人の周りを、生暖かい風がくるりくるりと楽しそうに回っては追い越して行きます。
ふぇーん、ふぇーん
鳴き声は、今や二人の耳にはっきりと聞こえる様になっていました。
「……あれ?ねぇ、雨ヶ淵の方がなんだか明るいよ?」
「……本当だ。誰もないはずなのに……」
じっと二人が見つめる先、雨ヶ淵の方向でぼんやりと赤い光が揺れています。それはまるで、二人が来るのをじっと待っている様にも見えました。
「どうしようか?」
心細そうな少女が、小さく小さく聞きました。
「……行こうよ。だって気になるもの」
少年の声が元気付ける様にきっぱりと言いました。そんな少年の声に小さく頷くと、少女は一つ深く息を吸い込んで、前を強く睨みつけました。
「うん。行こう!」
二人はギュッと手を握り合うと、そろそろと雨ヶ淵へ向かって歩き出しました。
* * * * *
「――ほぉ。これはまた随分とめんこい童が来たもんじゃ」
ぼんやりと赤い光の向こうから、一匹の小さなカエルのじいさんがねったりとした視線を二人へ向けました。雨ヶ淵が明るいのは、その肩から下げられた小さな提灯のようなものたちが辺りを照らしているからのようです。
「……あの、ここで何をしているんですか?」
少年の背中から顔だけをちょこっと出して、少女がそろりと聞きました。
「ここで何をしているとな?」
ちろりと赤い舌を出して、じいさんは目を細めました。その様子が余りにも不気味に映ったのか、二人は握り合っていた手にギュッと力を込めました。
「わしはただ、これを皆に売っておるだけじゃよ」
そう言ってじいさんは、肩に担いでいた提灯のような物をちょいと持ち上げて見せました。それだけで今まで怖くて仕方なかった二人の心は、すぐにその不思議な提灯へと吸い寄せられました。
「それ……なんですか?」
二人は乗り出すようにその小さな光を見つめました。
「鬼灯じゃよ」
「ほおずき?」
「ほおずきってなんですか?」
ゆったりとした笑みを浮かべて答えるじいさんに、二人は先を争う様に問いかけました。
「鬼灯は植物じゃな。まるーい袋のような、子供のほっぺのような実をつけるのう」
「へー、面白い実ですね」
「でも、植物は光らないよ?どうしておじいさんの持っている、その鬼灯は光っているの?」
じいさんの言葉に素直に頷いた少年とは反対に、少女は首を傾げて訊ねました。
「ほぉほ。鬼灯は光らんよ。これが光っとるのはわしが実の代わりに、蛍を中に閉じ込めたからじゃな」
「蛍が入っているの?」
「すごーい!」
じいさんの説明に、二人はますます鬼灯の提灯をじぃっと見つめました。提灯の中で、小さな影がゆらゆらと動いているのが分かります。すると、中の影がゆらりと動く度に、あの野っぱらで聞いた音が聞こえてきたのです。
「あ!あの音は、この音だったんだね!」
「うん。そうだね!」
二人は耳を澄まして、しばらく提灯の中の羽音に聞き入っていました。が、そうして耳を澄ましていると、なんだかこの提灯がとっても欲しくなってきたのです。
「ねぇ、カエルのおじいさん。その提灯はいくらで売っているの?」
我慢ができなくなった二人を代表して、少女がじいさんに聞きました。
「決まった値段なんかないさ。わしが気に入ったやつに、気に入った金額で売ってやってるのよ」
そう聞くと、二人はそろって腰に下げていた袋からありったけのお金を取り出してみせました。
「これで一つ、私たちに売って下さい」
期待に満ちた瞳で見つめて来る二人を眩しそうに目を細めて眺めると、じいさんはにっこりと優しい笑みを顔いっぱいに浮かべました。
「金はいらん。提灯はやるから、また遊びにこいや」
「えっ……」
「本当ですか?!」
じいさんの言葉に、二人の顔が嬉しさでいっぱいになりました。
「……けんど、また来る時にはもうちょっと上手く変化できるようになるこったな。それと、葉っぱのお金は勘弁してくれや」
そう言って意地悪な笑みを浮かべたじいさんの言葉に、二人は飛び上がるほど驚きました。そのショックで、変化して隠していた可愛い三角の小さな耳とお髭がポンと飛び出してしまいました。
「なんだ、カエルのおじいさんは僕たちが狐だって気がついていたのか」
「尻尾が出てるで。人の童になりすますんなら、もうちょっと勉強するこったな」
ぷっとほっぺを膨らませる二人に、じいさんはそれぞれ鬼灯の提灯を渡しました。
「ほれほれ。そんなに膨らませっと、せっかくの可愛い顔が台無しだで」
ちょっと困ったように笑うじいさんに、二人は「しょうがないな」と言いたげな顔でほっぺをぺしょりとへこませました。
「じゃあ、また明日ね。カエルのおじいさん」
「また明日も来るからね」
「おう。楽しみに待ってるでな」
手を振りながら元来た道を戻って行く二匹の姿を、じいさんは見えなくなるまで見送っていました。
* * * * *
「ねぇ、とっても楽しかったね」
「うん。すごく楽しかったね。素敵なお土産ももらっちゃったしね」
「うん。そうだね」
二つのふさふさ尻尾とぼんやりとした優しい提灯の明かりだけが、ゆらりゆらりと揺れながら、枯れたススキの野っぱらの中をゆっくりと通り過ぎていきました。
「また明日も必ず行こうね」
「うん。必ず行こうね」
そこにはもう、人間の少年と少女の姿はなく、ただただ二匹の小さな子狐が家路を急ぐ姿だけがありました。そんな二匹の楽しそうな背中を、まんまるお月様だけが静かに静かに見守っていました。
おしまい