スノードロップ
文字数 1,263文字
昨日から降り始めた雪はやむ気配もなく、次の日は朝から一面どこもかしこも真っ白だった。
サクッ、サクッ、サクッ……
吐き出される息は白く濁り、外気に触れた肌はどこまでも冷たい。しんと静まりかえった空気に、僕は一瞬だけ肩を縮めて震えた。
「……寒い?」
かけられた声に顔を上げると、先に立って歩いていた彼が心配そうに立ち止まってこちらを見つめていた。そういう彼の頬も、寒さでほんのりと朱く染まっている。
「大丈夫だよ。これぐらい」
にっこりと笑顔を浮かべて言ったつもりが、寒さで表情が凍って半笑いになってしまった。
「……大丈夫なようには、見えないけど?」
それが面白かったのか、彼はぷっと吹き出してクスクスと笑った。
あまりに彼が笑うので、そっぽを向いて膨れた僕の頬にそっと温かいものが触れる。驚いて正面に向き直ると、待っていましたとばかりに両頬を彼の手の平に包まれた。
「どう?少しは温かくなりそう?」
「……」
答える代わりに、そっと彼の手に自分の手を重ねた。先程まで彼のコートのポケットに突っ込まれていた両手は温かく、冷え切った僕の頬にほんのりと熱を移す。手袋をはめた僕の両手の向こうで、彼の手はどんどん温度を失くし冷たくなって行く。だけど。
「あったかいよ。とっても」
笑った筈が、笑顔にならなかった。代わりにこぼれたのは透明な雫。それは僕の瞳から止めどなく流れ、彼の手を伝い落ちて行く。
「……」
「ごめっ…ごめん……!」
謝罪の言葉を並べても、僕の涙は止まらない。
ずっと昔に、今の彼と同じことをしてくれた人のことを思い出してしまった。いつも、僕を元気づけてくれた人。もう、ずっと昔のことなのに、昨日のことのように感じてしまう。彼女と暮らした日々も、彼女が死んだ日のことも。つい先日起きたことみたいに、僕の記憶に優しく溶け込んでいる。
「……思い出したんだ。昔のこと」
いつの間にか頬から外れた彼の手を、僕は両手で握り締める。強く、強く。
「ずっと傍にいてくれた、大切な人とのことを。思い出してしまったんだ」
どんなに酷いケンカをしても、どんなに傷つける道を選んでも、一番僕のことを心配してくれた人。一番近くで、守ってくれた彼女。
「……もういないんだ。彼女は――」
「――死んでなんかいないよ」
強くはっきりとした言葉と、握り返された手に僕はいつの間にか足下を見ていた視線を上げた。涙でぼやけた視界の向こうで、彼は静かに笑っていた。
「いつだって一緒だよ。僕たちは、彼女と」
真剣な色を湛えた空色の瞳が、それでも優しさを失わず細められる。
「僕たちが生きて、彼女を覚えている限り、彼女もまた永遠に生き続ける。僕はそう、信じてる」
「……そうだね」
自然と笑みがこぼれた。もう二度とできそうもない、最高の笑顔だった。半分は、泣いてしまっていたけれど。
降り積もった雪は、春になれば溶けるだろう。けれども僕たちの記憶は、出来ることならば永遠に、溶け消えることなく降り積もるように。彼女のことを、忘れぬままで。
僕たちが、生き続ける限り。
END
サクッ、サクッ、サクッ……
吐き出される息は白く濁り、外気に触れた肌はどこまでも冷たい。しんと静まりかえった空気に、僕は一瞬だけ肩を縮めて震えた。
「……寒い?」
かけられた声に顔を上げると、先に立って歩いていた彼が心配そうに立ち止まってこちらを見つめていた。そういう彼の頬も、寒さでほんのりと朱く染まっている。
「大丈夫だよ。これぐらい」
にっこりと笑顔を浮かべて言ったつもりが、寒さで表情が凍って半笑いになってしまった。
「……大丈夫なようには、見えないけど?」
それが面白かったのか、彼はぷっと吹き出してクスクスと笑った。
あまりに彼が笑うので、そっぽを向いて膨れた僕の頬にそっと温かいものが触れる。驚いて正面に向き直ると、待っていましたとばかりに両頬を彼の手の平に包まれた。
「どう?少しは温かくなりそう?」
「……」
答える代わりに、そっと彼の手に自分の手を重ねた。先程まで彼のコートのポケットに突っ込まれていた両手は温かく、冷え切った僕の頬にほんのりと熱を移す。手袋をはめた僕の両手の向こうで、彼の手はどんどん温度を失くし冷たくなって行く。だけど。
「あったかいよ。とっても」
笑った筈が、笑顔にならなかった。代わりにこぼれたのは透明な雫。それは僕の瞳から止めどなく流れ、彼の手を伝い落ちて行く。
「……」
「ごめっ…ごめん……!」
謝罪の言葉を並べても、僕の涙は止まらない。
ずっと昔に、今の彼と同じことをしてくれた人のことを思い出してしまった。いつも、僕を元気づけてくれた人。もう、ずっと昔のことなのに、昨日のことのように感じてしまう。彼女と暮らした日々も、彼女が死んだ日のことも。つい先日起きたことみたいに、僕の記憶に優しく溶け込んでいる。
「……思い出したんだ。昔のこと」
いつの間にか頬から外れた彼の手を、僕は両手で握り締める。強く、強く。
「ずっと傍にいてくれた、大切な人とのことを。思い出してしまったんだ」
どんなに酷いケンカをしても、どんなに傷つける道を選んでも、一番僕のことを心配してくれた人。一番近くで、守ってくれた彼女。
「……もういないんだ。彼女は――」
「――死んでなんかいないよ」
強くはっきりとした言葉と、握り返された手に僕はいつの間にか足下を見ていた視線を上げた。涙でぼやけた視界の向こうで、彼は静かに笑っていた。
「いつだって一緒だよ。僕たちは、彼女と」
真剣な色を湛えた空色の瞳が、それでも優しさを失わず細められる。
「僕たちが生きて、彼女を覚えている限り、彼女もまた永遠に生き続ける。僕はそう、信じてる」
「……そうだね」
自然と笑みがこぼれた。もう二度とできそうもない、最高の笑顔だった。半分は、泣いてしまっていたけれど。
降り積もった雪は、春になれば溶けるだろう。けれども僕たちの記憶は、出来ることならば永遠に、溶け消えることなく降り積もるように。彼女のことを、忘れぬままで。
僕たちが、生き続ける限り。
END