第32話

文字数 1,363文字

「吹雪いていた」

 内地では桜の季節も過ぎた四月も中旬だが、ここ旭川は、香月の感覚ではまだまだ真冬だ。香月が日頃生活している関東の感覚から言うと冬の一番寒いときよりも、現在の旭川の方が遙かに寒い、この地に桜前線が届くのは、もう一ヶ月程は優に掛かるだろう。しかし、香月が通された面会室はスチームの暖房施設があり、部屋の温度は比較的に暖かく快適に保ってあった。全国の刑務所で暖房施設が施されているのは、北海道だけであり基本的に内地や他の地域の刑務所には、冷暖房の施設は無い。極寒の北海道ならではの特別な処置だが、此処旭川を中心とする内陸部は北海道の中にあっても更に寒さが厳しいことで有名であり、ここから、東へ百二十キロ弱移動した『陸別』は寒さには馴れている筈の道産子にとっても特別な寒冷地として有名であり、日本国内の最低気温を記録した地でもある。その気温は、厳寒時には氷点下四十度を下回る事もあると言う。

 香月は今日この日の面会のために数ヶ月も前から申し込み、旭川刑務所からの許可が下りたのは、つい、数日前の事だった。刑務所で受刑者に面会できるのは基本的に肉親や親族、また、その、受刑者が社会復帰を果たしたさいに、有益であると認められた者(例を挙げるならば、受刑者が出所したときには雇用してもよいと名乗り出た経営者等)である。香月のような取材目的のライターには、様々な疑いが掛けられ中々許可は下りないのが一般的だった。アクリル板で仕切られた向こう側のドアが開き刑務官が入ってくる。その後から促されるように受刑服を身に着けた一人の男が現れた。その、男は刑務官に言われるままに香月と対面する形でアクリル板を挟んで着席した。

「初めまして、私、別冊ノンフィクションの記者をしております、香月と申します。本日は取材を受けて頂きありがとうございます」

 香月は立ち上がると眼前で目も合わせず俯くばかりの、男に形ばかりの挨拶を一方的に行ったが、それに対しても男は何の反応も示さす無口のまま俯いていた、男との面談の展開がこうなることは、会う前からなんとなく予想は出来ていた。

「・・・・・」
 
 香月の問い掛けに、男は無言を貫き何かを話す気配は全く感じられなかった。刑務所の面会時間は基本的には、三十分以上確保してありこれを下回るような事は先ずない。進展が無いままに時間ばかりが空しく過ぎていった。

「時間です!」刑務官が香月と男の両方に言った。男は結局時間内に口を開くことは無かった。

「本日は、ありがとうございました。お礼の方は事務局の方へ届けておきますので、後で受け取って頂ければと思います」

 香月の言葉に刑務官の顔が疑問を投げ掛けた。

 男は刑務官に促されるままに立ち上がり面会室から立ち去っていった。それを見送ると香月も面会室を出て事務局へと向かった。事務局で係官に現金入りの封筒を渡し、男の刑務所での受刑態度を聞いた。

「彼は、ここに来て二年とちょっとに、なりますが受刑態度は真面目な模範囚です。只、日頃からあまり喋る事は無いですね。作業以外の時間は常に手を合わせ自分の犯した罪と向き合っております」
 係官が、少し笑顔になり香月に言った。

『そうだろう、彼がやったことは、彼の住んでいた世界では、決して許されることでは無いのだから』香月は心の中呟いた。
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