第24話
文字数 1,053文字
大阪市港区の海沿いに設置された、観覧車の前に置かれたベンチに腰を掛けて、香月は煙草をゆっくりと燻らせていた。目の前の観覧車は直径は百メートル最大地上高は約百十二メートルと観覧車としては世界最大級の威容を誇る。夜には鮮やかなライトアップに彩られ、訪れる市民や家族連れの目を楽しませていた。更に、目の前にはデートスポットとして若者に人気の大阪湾が、晩秋の夕景色に包まれながら肩を寄せ合う、想い人達に束の間で穏やかな日曜日の一時を提供していた。
いつもの平凡な日常が香月の前にあった。今この瞬間ここに居る人たちの大半は、普通の家庭に生まれて、当たり前のように、幼稚園、義務教育、高校、大学を修了して就職して結婚子育てを得て老後、そして最後の日を迎える。このレイアウトの上に生きていると思われた。故に、それを、つまらないと思いパラレルワールドに夢を馳せる人も多いのではと思う。だが、香月は、ライターという職業柄、その、与えられた環境故にそんな理想とは真逆の人生に多く接してきた。最も多くの時間を割いたのが、『反社会的勢力』いわゆる極道と言われる人間達である。しかし、香月自身は取材を進めて行く内に、彼らの存在は一定の『必要悪』と言う結論に行き当たった。この世には秩序やルール更に常識といった道徳や倫理を説く言葉が多数存在し普通人や常識人と言ったカテゴリーで表現される。が、しかし、現代には、これらの言葉が示す範疇に収まりきらない人間達が一定数はいる事も、又、事実だと思う。その事が良い方向に触れれば『天才・秀才・傑物』と言われる人々であり、他の人たちからは、瞠目と尊敬の念で語られ、後の世まで語り継がれて行く事だろう。だが、これが、悪い方向に触れるならば、いわゆる『犯罪者』と呼ばれる人間達だ。極道社会は、彼らの様な人間達を受け入れ、又、一般社会などよりも、遙に厳しい縦社会の掟の中に閉じ込める事で、彼らが内面に持つ猟奇性を押さえつける役割を果たしている。それ故に、通常ならば抗争のような非常時に於いてさえも、彼らのような人種を第一線に立たせることは殆ど無かった。それは、世間に与える影響があまりにも大きいからだ、もし、日本の国民社会を全て敵にしたならば極道とて、その存在は立ちゆかなくなる。だが、しかし、心酔する、徳重会長を撃たれた至誠会若頭、桑木寛司は、敵対する伊吹会や早田組への報復に際してこの禁を破る決断を下すことになる。二年半前のその日、至誠会の反撃は、香月が、今、腰を掛けているこのベンチから始まった。
いつもの平凡な日常が香月の前にあった。今この瞬間ここに居る人たちの大半は、普通の家庭に生まれて、当たり前のように、幼稚園、義務教育、高校、大学を修了して就職して結婚子育てを得て老後、そして最後の日を迎える。このレイアウトの上に生きていると思われた。故に、それを、つまらないと思いパラレルワールドに夢を馳せる人も多いのではと思う。だが、香月は、ライターという職業柄、その、与えられた環境故にそんな理想とは真逆の人生に多く接してきた。最も多くの時間を割いたのが、『反社会的勢力』いわゆる極道と言われる人間達である。しかし、香月自身は取材を進めて行く内に、彼らの存在は一定の『必要悪』と言う結論に行き当たった。この世には秩序やルール更に常識といった道徳や倫理を説く言葉が多数存在し普通人や常識人と言ったカテゴリーで表現される。が、しかし、現代には、これらの言葉が示す範疇に収まりきらない人間達が一定数はいる事も、又、事実だと思う。その事が良い方向に触れれば『天才・秀才・傑物』と言われる人々であり、他の人たちからは、瞠目と尊敬の念で語られ、後の世まで語り継がれて行く事だろう。だが、これが、悪い方向に触れるならば、いわゆる『犯罪者』と呼ばれる人間達だ。極道社会は、彼らの様な人間達を受け入れ、又、一般社会などよりも、遙に厳しい縦社会の掟の中に閉じ込める事で、彼らが内面に持つ猟奇性を押さえつける役割を果たしている。それ故に、通常ならば抗争のような非常時に於いてさえも、彼らのような人種を第一線に立たせることは殆ど無かった。それは、世間に与える影響があまりにも大きいからだ、もし、日本の国民社会を全て敵にしたならば極道とて、その存在は立ちゆかなくなる。だが、しかし、心酔する、徳重会長を撃たれた至誠会若頭、桑木寛司は、敵対する伊吹会や早田組への報復に際してこの禁を破る決断を下すことになる。二年半前のその日、至誠会の反撃は、香月が、今、腰を掛けているこのベンチから始まった。