第28話

文字数 1,460文字

「あれはね、酷い現場でしたよ!」元大阪府警察本部鑑識課を、一年前に退官した別所がベンチで香月が用意した大手チェーン店のハンバーガーにかぶりついた。大阪城公園に近い空き地、狭い周囲は金網の柵で囲まれて中央には子供用の滑り台がポツンと一台置かれており、入り口から一番離れた奥側に、今、別所と香月が座るベンチと一本だけ植えられた、ソメイヨシノが小さな蕾を付けていた。そして、ソメイヨシノの木の下には別所が居住している、二人用のテントが張ってあった。「今年もようやく暖かくなりそうですね」ソメイヨシノの木を見上げながら別所が祈るような声を出した。「何故、こんな生活を!」警察官の退職金とその後支給される、恩給は公務員の中でも高いことは広く知られている。好き好んで路上生活をする必要はないのだと香月は疑問に思う。「鑑識で扱う現場はね、まともな、仏さんなんて滅多に無いんですよね、溺死、交通事故死、列車への飛び込みなんて言うのはね、もうね、人間の形を成していないんですよね、あんなもの一般の普通の人間が見たら何日も眠れませんよ、私はね仕事とは言えそう言うものをね見過ぎてしまいました。それでも、仕事としている間は、別になんと言うことは無かったんですよね」独特の癖のある話し方で別所は淡々と香月に話して聞かせた。「でもね、不思議な物で仕事を辞めてね、独身の、私はね、一人となると何というか心の中にねポッカリと穴が開いたような気がして、今まであった緊張感がね、なくなって生きていると言う感覚がね、無いんですよね、でもね、ここでこう言う生活をしているとね、まだね、緊張感が得れて眠れるのですよね」「普通の屋根付の住宅では落ち着かないと言うことですか?」寂しそうに語る別所に香月は問いかけてみた。「そう、普通の建物で普通の生活をしているとね目を閉じると、昔現場で見た光景が現れて眠れないのですよね」香月は咄嗟に、戦争ストレス反応(PESD《心的外傷後ストレス障害》のような症状だと想った。「その中でもね、早田組若頭『原田怜』殺しの現場はね、私のキャリアの中でもね一番二番を争うような酷い現場でしたよ。人間にね鹿や猪を狩るときに使うスラグ弾をね散弾銃でそれも口の中に銃身を入れて発泡している、更に、一緒に就寝中だった愛人の目の前でね、何故に、人はここまで同じ人間に対して残酷になれるのかと想うほど信じがたい仏さんの状態でしたよ」警察の鑑識課一筋で数々の事件現場や事故現場で三十年を優に超えるキャリアの人間がこれ程までに怯える事件と言うのは、やはり尋常では無いのだと香月は別所の態度からその心中を察することが出来る。『山桜の栄二!』、至誠会が放った殺し屋の仕業だとこの事件を伝え聞いた、この世界に少しでも詳しい人間ならば直ぐに想像することが出来る、それ程、名の通ったヒットマンだった。栄二は、原田を殺した後、愛人関係の女性に「あんた、別嬪さんじゃね、本間なら楽しませて貰うんじゃが、儂が女に興味がない人間でよかったのう、まっ!見逃してやるわ。ほんかわり今日ここであったこと、早田組の皆さんには、宜しゅう言うといてな」と毒づいたと、後の警察にの捜査で判明していた。「それでね、この時、栄二はね、殺害する前に原田を拷問してね、この事件の核心の部分をね聞き出した可能性、いや、ほぼ間違いなく原田を吐かせていたと、思うんだね」別所が香月の目を見ながら呟いた。言いながら別所は震えていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み