第27話

文字数 2,054文字

 未明から今朝に掛けての、放射冷却現象のため底冷えする琵琶湖の空気は澄み渡り、比叡の山並みや湖畔の景色がカフェの窓から遙か遠くまで見渡せた。「おまちどおさまでした」言いながら初老にさしかかった店長が二人分のモーニングサービスを運んで来る。「ありがとう」ボックス席でそれを笑顔で受け取りながら、市内でガラス製品製造工場を営む『三宅燎』と幼なじみで同じく、市内で建設業を経営する『石山洋』の常連客ふたりが店長に答えた。店のテレビには国営放送の朝のニュースが流れ、画面に映る時報は午前七時四十五分を指していた。 日曜日の早朝に近くの山に登りその帰りに此処に二人で立ち寄りモーニングを食べながら、商売のことや、世の中で起きていること、または、子供たちの事その他雑談を交わすことが、ふたりにとっては、週末の何よりの楽しみだった。ふたりが登る山は標高が百九十三メートルと決して高くは無いが、戦国の覇者が日本ではじめての天守閣を備えた大規模で且つ華麗な城を築いた事で知られる県民にとっても誇りの山だ、「そう言えば、大坂で至誠会に三島興業という所の社長さんが殺されたが、なんや、早田組絡みと言うや無いか、確か自分の所も早田さんとは付き合いがあるよな」三宅が思い出したように、石山の顔色を伺いながら聞いた。「ああ!、確かに、俺の所も早田さんには世話になってるし、月々のみかじめ料も納めてる。せやけどな、三島興業さんは、早田組の下部組織で正式な構成員や、そこ行くと、俺、はみかじめ料納めてる言うだけやし、それ以上の関係は無い!、堅気やし、ヤクザも堅気には簡単に手へ出さへんやろ」三宅の心配そうな顔に石山が笑顔で返した。「そんなんら、ええねんけど、でも、念には念を入れて用心した方がええで」石山の言葉に納得が行かないのか三宅が言葉を重ねた。「まあな!」聞こえているのか聞こえていないのか、三宅の言葉に生返事を返して石山は、パンを頬張りながら手元に持った週刊誌に目を落とした。『俺の考えすぎか?』忠告に耳を貸さないどころか、普段通りのリラックスした態度を取る石山の姿を見るにツケ、本気で心配した自分が道化師になったように三宅には感じられ阿呆らしくなってきた。「おっと、あかへん!、冷めてまうがな」思い出したように呟くと冷め掛かったコーヒーに、フレッシュを落とした。
 コーヒーに口を付け一口啜ると、三宅は席を立ち店の入り口の本棚に向かい、複数種類並ぶ週刊誌をとり出し表紙の広告を見た。どの本の表紙も事件の内容は違えど全て至誠会絡みの事件が一番目立つように掲載されている、ある週刊誌は、北新地での至誠会会長の銃撃事件、また、別のある本には、大坂での三島興業の事件が大きく印刷してあった。『家族の目の前とは、酷いことを!』胸の奥で想いながら、本を持って席に戻ると記事を読み始めた。「なんや!、今日はよく晴れてるし、昼からは少し暖かくなりそうやな」席に戻った三宅に、モーニングを完食した石山が話し掛けてきた。「ほんまやな、このまま、一気に春になってくれたらええのにな」陽光に照らされて、三宅が作るガラス細工のように、キラキラと照り返す琵琶湖の湖面に視線を向ける石山に三宅も言葉を紡いだ。『ブッシュッ!ブシュッ!』三宅の耳に缶入りの炭酸飲料を振り栓を開けた時のような音が二度聞こえた、と、同時に何かが目に入り視力が完全に塞がれ、痛みに襲われた。『なんやねん、これ、どないしてん!』混乱した三宅の心が叫んだ。手探りでテーブルに置かれた、おしぼりを右手で探り当てたとき、「痛っ!」と、人差し指に条件反射が働き、咄嗟に手を離した。目が見えない状態でも、人差し指からの出血が自覚出来た。今度は備え付けのシートを左手で探り当て、右手の一指し指を押さえ止血するように本能が命じた。左手で指を押さえつつもう一枚シートを取り出し目を拭った。痛みの中で霞む視線に飛び込んで来た物は『赤一色だった』「エッ!」膝に乗せた週刊誌も、真っ赤に染まっていた。「ヒー・ーッ」と言う悲鳴が上がった。声の方を振り返ると店長が床に座り込むというより、腰を抜かしたと言うような姿勢で後ずさりしてしており、更に股間から不快な匂いを発する液体が、湯気を出しながら流れ落ちていた 。三宅がその液体の正体が小便だと気付くには少し時間を要した。三宅はシートをもう一枚取り出し、再度目を拭い状況を確認した。テーブルの上には、赤くドロドロとした大量の血で血だまりが出来、辺りにガラス片が散乱しており、血だまりからは湯気が立ち上っていた。『ヒュー・ーッ』冷たい冷気を含んだ一陣の風が舞い込むとテーブル上のシートや塩の入った容器などを吹き飛ばしてしまった。窓ガラスに丸い弾痕が開き、そのまわりをヒビが取り囲んでいた。風はそこから、吹き込んでいた。「ウワー・ーッ!」悲鳴を上げた三宅の視線に飛び込んで来たものは、先程まで屈託の無い笑顔で話していた、石山の血まみれで見るに堪えない変わり果てた姿だった。
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